第52話


 あれ。

 体調、悪いんですか。


「ちょっと、ね。

 丹羽君の送別会タシュケント営業所転属、三次会まであったから。」


 うわ。

 そんな人望あったんですか。


「違うわよ、丹羽君は一次会だけ。花束渡してぽいってして。

 その後、女子だけ集まって、君に言えない話のオンパレード。

 みんな無理の利かない身体になってるってのに、

 気持ちだけ高校生みたいになっちゃって、大変だったわ。」


 ……はは。


「そうそう。

 報告書、ざっくりだけど、見させて貰ったわ。

 こっち人事二課はあの内容で特に異論はなし。私の担当範囲では、ね。」

 

「上では揉めると。」


「多少ね。

 負け犬の遠吠えくらいは言ってくるんじゃない?

 湯瀬さんに遊ばれるだけなんだけど。」

 

「一寸先は闇、ってことにならないといいですけど。」


「君はそういうとこ、変に慎重よね。

 そんなことだから、を、

 5年も悩むことになったんだろうけど。」


 う゛っ。

 

「あはは。

 ま、よかったんじゃないの?

 君の元カノの再就職先、そんな悪くないトコでしょ?」

 

 まぁ、悪いところではないらしい。

 地元からそう遠くない隣県の中核市にある中堅部品メーカーの広報課。

 海外向けの広報素材が必要だから、培った編集技術は十分重宝されるらしい。

 派手さはまったくなくなったけど。


「あれ、長老様が口を利いたのよ?」


 え。

 羽鳥社長室長が。


「後腐れ、ないようにって。」


 うわ。

 ほんと、配慮の人だなぁ。


「ま、27で定職あれば、

 田舎ならあっという間に再婚させられるでしょ。

 器量もそんな悪くない娘だしね。」


 そうかなぁ。

 中核市クラスだと、もうちょっといろいろありそうだけど。


「まぁ、こう言っちゃなんだけど、

 あの娘にとっては、極めつけの不幸だと思うわよ。

 君を巡るライバルが、あまりにも強すぎたから。」


 ……。


「あはは。

 もう、罪のバリアが外されちゃってるから、

 そろそろ答えないといけないわけよね。」


「……このプロジェクトが終わる頃までには。」


「……そっか。

 ちょっと遅いかな、と思ったけど、

 考えてみると、クリスマスよね。」

 

 あ。


「全然考えてない、っていう顔ね。

 ほんともう、中学生みたい。」


 ……はは。


*


「あれま。

 貴方、こんなとこ来ていいのかい?」


「退院されたそうですから、

 快気祝いに。」


 一ノ瀬さんは、ステージ4の癌に侵されていた。

 で搬送されてから、生死の淵を幾度となく彷徨ったらしい。

 

 それを、徹底した緘口令で凌ぎきり、

 各種スポンサー、広告代理店に、

 なにより、はるなさんに一切気づかせないようにしたのは。


「こういう時のため、

 ってわけじゃなかったんだけどさ。」

 

 フレンチボブで痩せぎすの榎さんが、珍しく、温和な微笑を向けている。

 機密保持は良くも悪くも役所のお家芸だから。

 一ノ瀬さんが癌だと分かった時から、

 密かに作成していたBCP事業継続計画をしっかり廻してたらしい。

 

「あーあ。

 癌ってやつをちょっとだけ散らせただけだから、

 明日ポックリって状況はなんも変わりゃしないのにさぁ。」

 

 文字通り、小康状態。

 ただ、表で陣頭指揮を取れる程度には回復しており。


「死に花にしちゃぁ、小粒だがね。」


 製作費、予算ベースで20億円。

 有名アニメーション作品の実写版の主役に、

 榊原晴香を、文字通り押し込んだ。


「この国の産業なんてな、もうほとんどなくなっちまったけどさ、

 アニメってやつだけは、まだまだ世界中に売れる。

 あいつ等が侮ってるうちに、掻っ攫ってしまうのさ。」

 

 ……ははは。

 一ノ瀬さんの眼が黒いうちは、

 原作ファンが失望するような作品にはしないだろう。

 案外、名作になるかもしれない。


「春菜がね、珍しくやる気なのさ。

 ま、そいつは本人に聞けばわかるだろうよ。」


 ん?


「今日、春菜と逢うんだろ?」


 あぁ、まぁ。


*


 ……ふふ。

 ほんと、絶対に分からないな。

 

 アーケード街の都市銀行支店横。

 寂れた裏路地が見え隠れする下町の地下鉄駅前に似つかわしくない姿。


 シンプルなブラウンニットに、

 モコモコした柔らか毛皮素材のロングジレ、

 首筋にゴールドのネックレス。


 20代後半、丸の内系OL帰社ルック。

 一番最初に逢った時と、ほぼ同じ雰囲気。


 この人が、いまを時めく若手天才女優、

 榊原晴香の仮初の姿だと気づく人など、いるはずがない。


 あ。

 

 帆南さん、先に到着したんだ。

 はるなさん、ちょっとぎこちなく挨拶してる。

 帆南さんはもう砕けちゃったのか、はるなさんの服装を褒めまくっている。


「うーわ。

 はるちゃん、めっちゃおとなっぽーい。」


 帆南さんは、はるなさんのことを、

 「はるちゃん」、と呼ぶようになった。

 明らかに誰かを真似ている。


「そ、そんな。」


「え、そのコート、可愛いのに落ち着いてるっていうか。

 そういうの、どっから見つけてくるの?」


「その、スタイリストの方に教えて頂いたりして。」


「あー、本職。

 いいなぁ、わたしも本職のアドバイス受けてみたい。」

 

「……ばっちり決まってるじゃないですか。」


 ネービーのトレンチコートを堂々と翻す様子が、これほど様になる人も珍しい。

 巻きつけただけのストールが、重たくなりすぎない抜け感を演出している。

 受験勉強のようにファッション誌に線を引いてたらしいけど。


「選択肢、狭いもん。

 自己流はどうしたって限度があるよ。

 素材も良くないしさー。」


「そ、それはもう、ただのイヤミです。」


「なに言ってるの?

 いまをときめ

 

 ……って、静さんっ。」


 あ。

 まずそうなことを言いそうだったから、

 思わず身体が反応しちゃった。


「え、どこまで聞いてました?」


「いまをときめく、のあたりから。」


「絶対ウソですよね、それ。」


 ま、嘘といえばウソになるけど。


「ほんとだめだって。

 なんのためのお召替えなの。」

 

「だってぇ…。」


 ここ、ほんとに変わらないんだよな。

 無意識に見せびらかしたい厄介ファン心理、何とかして欲しいんだけど。

 

 ただ。

 一対一で逢うよりも、紛いは少ない。

 

 スポンサー側の担当社員と、その連れの社員。

 万が一、なにかあっても、言い逃れを効かせられるスタイル。


「じゃ、今日はどこ行きましょうか。

 こないだはイベリコ豚づくしでしたよね。」

 

 どこからどうみてもただのマンション街の路地に佇む穴場店。

 スパイシーに見せかけた旨みたっぷりのイベリコ豚づくし。

 スペイン料理屋でイベリコ担々麺は意味不明かと思いきや、

 まぁ、こういうのもアリっちゃアリと思わせてくれた。


「これなんかどうですか?

 都心の一流料理店で修業したシェフのカジュアルフレンチ。

 銀座よか安く済ませられますよ、きっと。」


 お、これは悪くなさそう。

 でも、


「まだ開店したてだと、ちょっと混んでるかも。

 予約なしでは難しそうだね。」


「あー、それは確かに。

 週末ですしね。

 

 あ、じゃ、はるちゃんは?」


「えっ!? 

 わ、わたしですか?」


「そうそう。」


 あぁ、確かに。

 だいたい、連れまわされるだけだったから。

 

「……。


 あ、あの。」

 

 うんうん。

 

「そ、その……

 

 ……お、お肉なんか、

 ち、ちょっと、食べたいなぁって。」


 おっ

 

「た、高いですよねっ

 餌で小麦いっぱい食べるから環境にも悪いですし身体にもよくないかなって


「あったっけ、このへん。」


 なければタクシーで橋向こうにいっちゃえばいいだけ。


「ありますよー。

 ほら、これなんて。」

 

 あー。近江牛か。

 見た感じだと悪くないんじゃないのかな。


「個室はないですけど、奥座敷とかもありますし、

 この椅子はなかなかいい感じです。」

 

 取れるかなぁ、そこ。


「ま、行ってみましょうっ!

 あ、先、電話しますねー。」


 ……はは。

 営業仕込みの着手力の高さだなぁ。


「……

 あの……っ。」


 ん?

 

「なんでしょう?」



「……ほんと、に、

 ほんとうに、ありがとうございます。

 あの時、わたしを、みつけてくれて。」

 

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