第50話


「……ふぅ。」


 課長が、首を小さく二度、振った。

 少し草臥れた姿まで艶っぽいのはどうかと思う。


「事務所が渡してるスマートフォンの連絡を切ったようだ。

 こんなことは初めてだそうだよ。」


 課長まで部屋に入っても、全然窮屈に感じない。

 この部屋が広いのか、課長のスタイルが良すぎるからなのか。


「で、と。

 きみたちは、どうして、ここにいるの?」


「……。」

「……。」


 あぁ。

 そこからか。


「帆南さんは、たぶん夕ご飯に誘いにいらしたんだと思いますが、

 そこを、洋子さんが跡をつけていたらしく。」

 

「っ。」


「……あぁ、そういうこと。

 羽村さんが部屋にあげるようにと、無理やり強要なさったわけですね。」


 課長、洋子さんを冷酷な目で見据えてる。

 カツアゲするインテリヤクザ状態。


「きょ、強要っていうか


「やれやれ、

 立場の分からない人達だなぁ。


 まぁ、こちらは構わないのですけれども、

 少なくとも、羽村さんは御帰り頂いたほうがよろしいのでは?

 いま写真を抑えれば、離婚調停上、かなり不利になると思いますよ。」

 

「!?」


 え。

 課長、その情報、しっかり把握してたんだ。

 ……身辺調査してたのかも。怖い怖い。


「僕らは差し上げますから、

 さ、早く。」


 ほんと恐ろしいんだよ、インテリヤクザモード。

 声、めっちゃ低いし、有無を言わさぬ口調なんだもん。


「わ、わかったわよ……っ。」


 ふぅ……。

 最初からこうすればって、そんな情報知らんし。

 

 ……

 で、ほんとに出てったわけだけど。

 

 あ。

 課長、インテリヤクザモードのまま、

 帆南さんのほうに向きなおったぞ。

 

「それで、帆南ちゃんさ。」


「は、はい。」


「きみも、お帰りになったら?

 家、近いんだし。」


「……。」


「ここ、入らないようにしてたんでしょ?」


 あぁ、それホントにそうだったのか。

 どっからどういう情報を得てるんだ、課長は。


「……

 わかり、ました。

 マンションの外で、待ってますから。」

 

 は?


「だって、探しに行くんですよね?

 晴香ちゃんを。」


 探しにいくっていっても、あてもなく探したって。

 

 ……。

 あても、なく、か。

 

(ちょっと、ためしたんです。

 すごく怖かったですけれど、うまくいったって。)

 

 また、のかもしれない。

 はるなさんが、僕を。

 

 ……。


(わたし、決めました)

 

 決めたこと、は。

 その、目的は。

 

(嫌なことから、逃げてたら)


 なんでも受ける、誰とでも共演するはるなさんが、嫌がること。


(記者なんて、みなかったのに)


 はるなさんは、記者に、

 好意的な感情を抱いていない。


 僕に逢う前からなのかは分からない。

 ただ、僕がはるなさんとの外食を躊躇ってきた理由の

 少なくとも一つは、記者の目線を避けるためだ。


 それが、はるなさんを焦らしていたとしたら。


 そして、

 「そこから逃げない」と決めたこと。


 事務所との連絡を切った、ということは、

 事務所の意向とは、違うことを告げるつもりだろう。


 それは、つまり。

 

 ……。


 事務所では、ない。

 はるなさんの部屋は、ありえない。

 

(バラしました)


 だと、すれば。


(ご飯、おいしくないです

 おいしいものじゃないですし)

 

(そうでしょう?

 ちょっと、自慢ですね、これは。

 たぶん、世界一だと思います、わたし)


(だからいま、すごく幸せです。

 温かいものを、温かいまま食べられて、

 しかも、こんな美味しいものを頂けてるので)


 ……三択、か。

 

 ぶーっ

 

 ん?

 …vaiduryaさん、か。


 ……。


 あは、は。

 たったいま、ひとつに絞れた。


「課長。」


「ん?」


「夕食、まだでしたっけ?」


「……きみね。

 こんな時まで……。」


*


「あ、おにーさん。

 よく来たよく来た。今日はいっぱい連れてるね。

 あ、あなたいいオトコ。すごいすごい。モテモテ。」


 ……はは。

 課長、かなり戸惑ってるな。


「おにーさん、

 カワイイ娘、あっちで待ってる。」


 ……うわ。

 気づいたのか? 凄いな。


 うーん、騒がしいな、相変わらず。

 ま、夜だもんなぁ。階段に並びが出てないだけマシか。


「いつもの?」


 いつもの、ね。

 大根餅と香菜炒めと台湾風香腸チャーハン。


「とりあえずそれで。」


 なんか違うものを持ってきそうで怖いんだけど。

 要らないからねピータンの山盛りとかは。


「わかったわかった。

 さっさと行く行く。」


「……こんな接客、ありなの?」


「ここではありなんです。

 慣れてください。」


 キャッシャーから見て、一番奥の席。

 唯一の回転式の六人掛けの席。

 

 そこに、座っていたのは。



(『で』

 だそうです。)



「!

 ……。」


 心が解けるような満開の笑顔と、

 かすかな、戸惑い。



「……

 榊原、晴香さん。」



 僕が、口を開ける前に、

 帆南さんが、一歩、前に出た。


 グレンチェックのジャケットを羽織ったはるなさんの瞳が揺れる。

 困惑と、不安が、広がっていく。


「わたし、

 ずっと、ずっと。

 晴香さんに、お伝えしたかったことがあります。」


 え。

 い、いまって、休戦中だって


 はるなさんの対面に座っている女性が、

 緊張した面持ちになって、はるなさんと帆南さんを、交互に見比べている。


 永遠に止まないはずの店の喧騒が、止まった。

 不愛想なホールスタッフが食器を置く音だけが、やけにはっきりと響く。


 はるなさんのヘーゼルナッツの瞳を輝かせていたハイライトが消えた。

 希望を閉ざしたような無表情に堕ちていくはるなさんに向かって、

 帆南さんは、世の美しさの粋を集めた輝く瞳を震わせ、鮮血が滴るような唇から、



「い……


 一緒に夕ごはん、食べませんかっ?」



 ……


 は?

 


「だって、もう、協定、めんどくさいんですもん。

 新規開拓もできませんし、行った店の共有もできませんし。

 それなら、一緒に行ける時に、みんなで行ったほうがいいじゃないですか。」

 

 ……そっち?

 ねぇ、大事なの、そっちなの??


「それはそれ、これはこれですよっ。

 わたしにとっては、どっちも大切なんです。

 ね、静さんっ。」


 ……はは。


 ははは。

 はははは。


 帆南さん、らしい。

 すっごく、榎本帆南さんらしい。


「……。

 だ、そうですよ? そちらの記者の方。

 当てが外れてしまいましたね。」


「は、はぁ……


 ……!?

 は、は、はいっ!」


 ん?


「じゃ、わたし、追加注文しますねー。

 台湾風焼きビーフンと水餃子、ふたつずつー。

 それと小籠包ふたつと海老入り春巻き、五本でー。」


 わ、さすが。

 すっごくいいところ突いて来るなぁ、帆南さん。

 ひょっとして、僕と一緒の時以外にも来てたのかな。

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