第7章

第42話


「羽村洋子。

 旧姓、源川。

  

 貴方と婚約していながら、

 貴方を裏切ってお金持ちと結婚した、貴方の元彼女ね。」


 みなとがわ、ようこ。

 ……


(偶然とは、恐ろしいものを結び合わせますね。)


(今回の件、きみも相当苦しむと思うけど)


 はは。

 ……ははは。

 

 そ、っか。

 東京、だもんな。

 結果的に、そう、なってたんだ。

 

 東京なんて、1000万人以上いるのに、

 なんで、よりによって、こんな。

 

 ……でき、ない。

 降ろしてしまうなんて権限はない。

 それはただの情実人事の逆版だ。


 ……

 そもそも、僕のミッションは、

 社長の個人的なお願いを達成した時点で終わっている。

 もう、無関係だ。

 

 そうだ。

 この件は、社長肝入りの事業。

 テレビCMプロジェクトの主管課は社長室。

 僕はもう、まったく無関係なんだ。

 

 だから

 

「……あはは。

 意外に打たれ弱いのね、小辻君。」


 っ!?


「男女差もあるかもだけど、

 私なんてもう、元旦那にされたことなんて忘れちゃったわ。」


 ……。

 それは、ただの個体差じゃ。

 あんな激しいDVを受けてたってのに。


「……湯瀬さんがどうしてこの企画案を呑んだのか、

 バランス勘案してもいまいち分からないけど、

 案外、君が企画から外れたことへの意匠返しだったりして。」


 ……は、はは。

 タチの悪い冗談だこと。

 

「君のやつも、十分、趣味、悪いんだよ。

 空港で衆人環視の中で直接対決までした恋敵同士を、

 同じプロジェクトにぶち込むなんて。

 二人のせいでプロジェクトの空気悪くなったら、ぜんぶ君のせいだよ?」


「それは、ないと思います。

 二人とも、業務上はプロですから。」


「そういう信頼してるなら、

 カネに目がくらんだ元カノのことなんてさっさと忘れなさいな。」


「そういうわけには。」


「帆南ちゃん、可愛い顔してるから

 あんまり考えないかもだけど、もう26よ?」


「もう、って。

 ぜんぜん、まだ、じゃないですか。」


「バカねぇ。そんなわけないじゃない。

 フタコブラクダの後ろに堕ちると、歳取るのって、すっごく早いのよ?」


 また答えづらいことを。


「ふふ、元気になった?」


 あ。


「……ありがとうございます。」


 ちょっとだけ、冷静になれはしたな。

 ありがたいな、有能な元同僚って。


*


<先にお話頂いておりました件、御社より正式に打診を頂きました

 既に一ノ瀬と相談済ですので、御受けする方向で調整することになろうかと>


 ……遂に、か。

 例の話がなければ、気持ち、もっと上がったのかもだな。

 

(みなとがわ、ようこ)


 ……

 あぁ、もうっ!?


 考え、ない。

 関係ない。なにも関係ないんだから。


<ご連絡頂きありがとうございます

 弊社の百五十周年事業ですので、どうぞよろしくお願い致します>

 

 無内容。

 心、無駄に動かさない。


(二人のせいでプロジェクトの空気悪くなったら、

 ぜんぶ君のせいだよ?)

 

 それはない、と、思いたいけど。

 

(なんで、

 なんで、

 

 なんで…………っ!?)

 

 ……あぁ。

 止めようとしてるのに、心が勝手に、ぐちゃぐちゃに散らかる。

 二日、しっかり休めるだけマシなんだけど、

 一人で閉じこもってると、それなりに……

 

 ……あはは。

 広い、な。

 本当に、なにもない。


 はるなさんは公開された映画の舞台挨拶で、榎さんと一緒に東京を離れている。

 本当は、昨日のうちに説明するはずだったのに。

 

 あぁ。

 心がゆっくりしてないので、ゆっくりを見る気にもなれない。

 

 ……分かってる。

 が掘り起こされることを恐れてる。

 まだ、時効と言えるほど離れていない。

 申告されてしまえば、僕の人生は、終わりだ。

 

 ……終わって、いいのかもしれない。

 考えないようにしてるはずなのに、胸の奥から、苦い液体が上がってくる。

 こんなに心が騒めいてしまうなら、もう


 ぶーっ

 

 ……

 

 ……ん?

 

 しらたまさん、か……。

 

 ぇ

 こ、ここって

 

 <たっだいま領地、襲撃中ですっ!>

 

 は、はぁぁぁっ!?!?


*


 「あぁ。おにーさん。

  ひさしぶり。よくきたよくきた。」

  

 め、めっちゃ混んでるな。

 当たり前か、土曜日だもの。


 「おにーさんの席あっち。

  おねーちゃん待ってる。こないだと別の娘。」


 いちいち言わんでいいよそんなこと。

 

 「やっほーっ。

  静さん、おつかれさまでーすっ。」

 

 ……はは。

 なんだよ、これ、ほんとに。

 

 「近場、開発したんでしょ?」

 

 銀座まで自転車で20分の場所に住んでて、

 わざわざ一時間近くかけて池袋に降りるって。

 

 「そうですけど、

  静さんの領地、がっつり漁りたいじゃないですか。

  確実なトコばっかりでしょうし。」

 

 あぁ。

 

 「今日も帆南さんは別嬪さんだなぁ。」

 

 「!?」

 

 っ。

 ど、どうしてこの口は、

 思ったことをしまっておけなくな

 

 「はいおにーさん大根餅と香菜炒め。」

 

 ぬわっ!?

 た、頼んでないでしょっ。

 

 「いつも頼む。先回り。

  わかる?」

  

 わ、わかる、って。

 なにその新しい疑問系。

 ま、まぁ、確かに頼みますけど。

 

 っていうか。

 

 「帆南さん、ここ、一時間以上いたわけでしょ?」

 

 「あー、はい。

  そう、なりますね。」


 「どうしてたの。」

 

 「どうしてたの、って。

  お茶呑んで、ちょっと点心もそもそ食べて、

  またお茶のんで、ぼーっとしてました。」

 

 ……まぁ、そういう店だけども。

 

 「めちゃくちゃ香り高いですよね、この凍頂烏龍茶。

  すっごくゆったりした気分になれます。」


 それはね。

 それはまったくその通りなんだけど、

 店内環境は全然ゆったりしてないんだよね。

 

 「静さん。

  これ、食べていいですか?」

  

 あぁ。

 香菜炒めね。

 

 「もちろん。」

 

 これはホントに隠れスペシャリテで、

 ただの台湾風青菜炒めなんだけど、ちょっとだけ香菜がアクセントで入ってる。

 大蒜と菜種油と塩、んでもってたぶんシャンタンを入れてさっと炒める。

 

 青菜のシャキシャキ感と、火を入れた大蒜の力強い香り、

 これを邪魔しない程度に絶妙に隠れて薫ってくる香菜のバランス。

 

 で、例によってちょっと油っぽい。

 そこにこの無敵の凍頂烏龍茶を呑んでしまうとあら不思議。

 ぜんぶ中和されてやっぱり何度でも食べられる。


 うーん、大根餅もいつも通りのやわもち食感でウマウマ。

 なんかホーム感があるわ、ほんとに。

 

 ま、土曜にゃ来ないんだけどね、普通。

 こんな感じでめちゃ混むから。

 

 「……。」

 

 ん?

 

 「ど、どうしたの?」

 

 なんかじっと、見られてた気が。

 

 「な、なんでもないです。

  なんでも。」

 

 そ、そう?

 って、いうか。

 

 「そもそも、ここのことを、

  どうやって知ったの?」

 

 知る人ぞ知る店ではあるけれども、知名度は決して高くはない。

 たまぁに雑誌とかに載りはするんだけど。

 よっぽどマニアックな人でない限りは、

 

 

 「晴香ちゃんです。」

 

 

 そっかぁ。

 晴香ちゃ

 

 !?!?

 

 「は、はぁぁぁぁっ!?」

 

 な、なんで、

 なんで、はるなさんから、帆南さんに??

 

 「RINEのID、

  留美ちゃんに教えて貰いました。」

 

 る。

 

 「留美、ちゃん???」

 

 「あ、はい。

  昨日の夜、湯瀬さんから留美ちゃんのこと教えて貰って。

  留美ちゃんから晴香ちゃんに繋げてくれました。」

 

 ………

 ええと。

 昨日の今日、だよね。

 恋敵同士、血で血を洗う仁義なき戦いになるんじゃなかったっけ。

 

 「……正直、わたしも晴香ちゃんもお見合い状態だったんですけど、

  留美ちゃんが間に入ってくれて。」

 

 あぁ……

 そこは留美さん、約束通りやってくれたのか。

 想像と随分違った直球のやり方だったけど。

 

 「静さんを裏切った元カノ話で盛り上がって。」

 

 ……は?

 

 「元カノを押し込んだ向こうのプロデューサーの態度が

  めちゃくちゃ悪かったみたいなんですよ。

  それで、RINE上で三人で意気投合しちゃったんです。」

 

 ……なんだ、そりゃ。

 

 「だから、このプロジェクトが終わるまで、

  ってことになりました、わたしたち。」

 

 いったい何の報告を受けてるの、僕は。

 

 「このお店の情報は、休戦協定の証ですね。

  わたしの五島うどんのお店の情報と引き換えに。」

 

 あ。

 あぁ……。

 

 まぁ、減るもんじゃないし、

 そもそも五島うどんに至っては僕の開拓地ですらないけど。

 

 「だからですね、静さん。」

 

 ん?

 

 「見ててくださいね。

  このプロジェクト、わたし、絶対成功させますから。」

 

 あぁ。

 背景、めちゃくちゃ乱雑なのに、

 なんなら、目の前で皿が割れてるってのに。

 

 瞳も、睫毛も、姿勢も、矜持も。

 榎本帆南さんは、どこまでも綺麗で、澄んでいて。

 

 僕のが白日の下に晒された時でも、

 彼女は、こんな凜とした笑顔を向けてくれるだろうか。

 

 いっその、こと。

 

 い、や。

 そんな贅沢、考えるべきではない。

 

 この瞬間を、伸ばし続けるだけでいい。

 核の破裂を、目の前に感じる刹那まで、

 美しい瞬間たちを、目に焼き付け続けるうちに死ねるなら。

 

 「じゃ、次の店、つれてってくださいね。」

 

 は?

 

 「だって、ここ、晴香ちゃんも知ってるトコじゃないですか。

  このあたりで、わたしにだけ教えてくれる店、あるんですよね?」

 

 ……休戦中じゃなかったの?

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