第39話


 ぶーっ

 

<橋、超えますっ>


 打ち上げに出ず、直帰中。

 人付き合い悪いって言われそうだなぁ。

 

 まぁでも、3時間も開演遅くなったんだもんな。

 そんな舞台あってたまるかと思うけど。

 

 一ノ瀬さんがいたら、なんらか素早く判断したんだろうな。

 あるいは、そのアーティストモドキやプロデューサーに

 思いっきり怒鳴り込んだか。

 

 そもそも一ノ瀬さんいたら、怖くてそんなことしないと思うんだよね。

 犬と同じで、舐められたら終わりってことだよ。


 ……つくづくと、一ノ瀬さんの個人商店だな、ヌーベルキャルト。

 まぁ、もともとそうだったものを分社化したようなものらしいけど。

 

 ん……

 あれ?


<ご飯、食べました?>


<まだですっ!>


 わ。

 うっわぁ。


 そ、そっか。

 たった一人の無意味な拘りとわがままで遅れていく時間が

 いつ終わるかなんて、分かるわけがないんだ。

 

 なんて、こった。

 さっき、帆南さんとボロボロ店でつるつるうどん食べちゃったから、

 なんの準備もしてないわ。

 

<こちらは職場の


 い、や。

 いくらなんでも、無神経に過ぎるだろう、それは。


 ……

 

 うん。

 詰ん、でる。

 

 いまからまともなものを作るのは時間的に絶対無理だし、

 このマンションの近くではるなさんを連れて外に出るのは

 あまりにもリスクが高い。


 ……

 

 あ。

 文字通り、当座凌ぎだけど。


*


 「美味しいです、これっ。」

 

 ……はは。

 

 空輸で届いた貢ぎ物用アイスクリームで配り切れなかった奴と、

 昨日のたこ焼き用の残りの小麦粉から無理やり作った

 薄塩プレーンクレープのアイス乗せ。

 

 天下を席巻する若手女優が食べていいもんじゃないけど、

 素材の良さで凌ぎぎった感じかな。

 

 まぁ、夜だし。

 スタイル的にいいこともないしね。

 

 うーん。

 美少女が自分が作ったものを食べて喜んでる姿はめちゃくちゃほっこりする。

 料理人になりたいって思う瞬間は、きっと、こんな感じなんだろうな。

 

 ……一ノ瀬さんって、ご飯、どうしてたんだろうな。

 あぁ。

 

 (だからいま、すごく幸せです

  温かいものを、温かいまま食べられて)

 

 だもんなぁ……。

 仕出し弁当か、コンビニのお握りとか、差し入れとかそういうやつ。

 最新ゲーム機はスポンサーから貰えるのに。


 「今日は災難でしたね。」

 

 今日も、かもしれないが。

 

 「ほんとですよ。いやな予感はしてましたけれど。

  美智恵さんがあのプロデューサーに借りがあったみたいですが、

  もう一生分はお返しできたと思います。」


 これでお別れというわけにはいかないようで、

 企画ものといえども、あと半月はその人物と顔を合わせないといけないらしい。

 わりと地獄だな舞台役者。自由業のほうがストレスが溜まるってのは本当だなぁ。

 

 「いらして頂いたお客様に申し訳なくて。

  はるばる遠くからおいでの方もおられるのに。」


 あぁ。ほんとそうだなぁ。

 地方から来てたら、帰りの切符とかも手配してたはずだから。

 でも、

 

 「はるなさんのせいではありません。

  ご自身のせいでないことは背負い込まないようになさってください。」

 

 ぜんぶその勘違いロックミュージシャンのせいだし、

 そういう奴だと分かっててキャスティングしたプロデューサーの責任でもある。

 万死に値するってやつだわ。

 

 「……。」

 

 ん?

 

 「その。

  いま、美智恵さんと同じことを仰ったので。」

 

 え。

 

 「ふふっ。

  似てますよね。

  静さんと美智恵さん。」

  

 えぇ??

 一ノ瀬さんに似てるって、妖怪大戦争じゃないか。

 課長とかには絶対言わなそうだわ。

 

 「ありがとうございます。

  明日もがんばれそうですっ。」

 

 ……うーん。

 17歳、花の女子高生のはずなのに、

 言ってることがブラック企業勤めのサラリーマンと

 まったく同じなのを、どう考えれば良いのやら。

 一ノ瀬さんがいないっていうのは、やっぱり痛いんだなぁ……。

 

 そう、か。

 そういう意味でも、この話は、意味があるのか。

 

 ただ、そこへ、一足飛びには行けない。

 地ならしというか、本来のお仕事というか。

 本業外の頼まれ仕事だけどね。


 「はるなさん。」

 

 「はいっ。」

 

 「なのですが、

  野々原さんに、RINEのIDを私に教えて良いか、お尋ね頂けますか。」

  

 「え。

  ……は、はい。」


 なにか、疑いのまなざしを向けられてるな。

 

 「大丈夫ですよ。

  彼女に篭絡はされませんから。」

 

 「!

  そ、そ、

  そういうの考えてたわけじゃなくてですねっ!?」

 

 あぁ、またなんか、わたわたしはじめたな……。

 血色のいい首筋とか形のいい耳朶とかをあちこち触ってる。


 はは。

 なんだろう、この環境。

 いろいろ贅沢すぎる。


*


 うーん。

 

 平日に有給休暇を取って、ゆっくり実況をヘッドフォンで、

 この喫茶店で、この絵面で聞くっていうのはシュールすぎる。

 耳に響くなぁ。

 

 ほんと、編集技術高いな。

 ここまで来ると本職とほとんど変わらないじゃないか。

 センスの問題なのか、掛けられた時間の問題なのか。


 これを、ね……。


 ……それにしても。

 前日申請で、病欠でも忌引でもないのに、

 まる一日有給が取れるって神すぎるけどね。

 

 (労働者の正当な権利だからね。

  それに、いまのきみは、会社にいないほうがいいこともあるから。)

 

 酷い言われようなんだけど、まぁ、気にしない。

 前職で聞いたら死にたくなったろうけれども。


 ……

 ここは、なにも変わらないな。

 ウッディで、小昏い間接照明の先に、ずらりと並ぶ磨き抜かれたコーヒーカップ。

 騒がしい家電量販店の隣とは思えないくらい静かだ。

 

 いや。

 変わらないのは当たり前だっての。

 半月も経ってないのに、なにかが変わるわけがない。

 なのになんだか、なにもかも景色が違いすぎて、10年くらい経ってるように

 

 ぶーっ

 

<もうすぐ着きます>


 ……はは。

 わりと律儀だな、留美さんも。

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