第38話


 路地を入った先にある、築50年はありそうな、ただのボロ民家。

 巨大な再開発の流れから意地を張って取り残されたような佇まい。

 中に入ると、4人用テーブルが2卓、2人用テーブルが2卓だけ。

 

 「……静さんは、普段使いがよさそうかなって。」

 

 分かられてた。

 リアクション、薄かったからかな。

 

 「それに、ハレのものって、

  このへんなら、橋向こうへ行くか、

  会社帰りでいいわけじゃないですか。」


 まぁ、それは確かに。

 

 「……こういうところでいいんですよ、わたしは。」

 

 こういうところ、ね。

 そうは思わないけど、そういう気分なんだろうな。

 

 ふむ。

 九州の離島の昆布出汁のうどん、か。

 メニューリストが実質2つしかないな。

 

 「ここって、注文取りに来ないですからね。」

  

 えぇ?

 

 「ほら、あそこにお客さんいるじゃないですか。」


 あぁ、うん。

 

 「あのお客さんにうどん持ってくるまで待つんです。

  お年寄りの方がお一人でやってますから。」


 へー。

 

 「ここは鴨汁ですよ。

  カレーはちょっと、辛いんです。」

 

 ってことは、少なくとも二回はひとりで来てるのか。

 

 「だって、静さん、付き合ってくれないから。」

 

 そういうわけじゃないんだけどなぁ。

 たまたま、流れが合わなかっただけで。

 

 「ふふ。でも、いいです。

  今日、誘ってくれなかったら、

  わたし、部屋の中で首吊ってたかもですから。」

 

 は。

 

 「……

  いやー、世間の風は前科者に厳しいですねっ。」

 

 あ、あぁ……

 あることないこと、いっぱい聞かれたってことか。

 

 「分かってはいたんですけれどもね。

  面と向かって聞かれ続けると、

  なんか、こう、キました。」

 

 ……。

 

 「……あはは。

  だめですよ、静さん。

  気持ちないコ相手に、そんな顔しちゃ。」

  

 ないんじゃ、なくて。


 「必死に向かないようにしてるだけで。」


 「ぇっ。」

 

 っ!?!?

 ま、また、声が

 

 「はい。カレー汁。

  どうもぉ、おまたせしてぇ。」

  

 「!」

 

 「こ、こっちじゃないですよ?

  向こうのお客さまです。」

 

 「あー、そうかぁ。

  ごめんねぇ、これ運んだら、注文、取りに来るからぁ。」

 

 ……ほんとにお爺さんがやってるんだなぁ。

 あの年齢まで働けるだろうか。

 

 うん。

 

 「あのカレー汁、辛そうだったね。」

 

 「なんですよ、ほんっと。」

 

 ふふ。

 

 「はい、おまたせしましたぁ。

  そちらのお嬢ちゃんは鴨汁で、

  えーと、そちらのスーツの方は?」

 

 あら、もう決めてかかってる。

 なら。

 

 「同じもので。」

 

 「ほいほい。

  じゃ、まっててねぇ。」

 

 ふぅ。

 

 「……。」

 

 静か、だ。

 向こうの席の人が、背中を丸めながらうどんを啜る音しかしない。

 

 会話は、ない。

 でも、気まずくはない。

 

 波長が、合うのかもしれない。

 食べ物の好みも、わりと近い。

 なにが好きなのか、なにを大切にするかも。

 

 ……だめ、だ。

 どうにも、綺麗すぎる。

 釣りあわないなんてもんじゃない。

 

 飽きられたら一瞬にして棄てられるだけだろうし、

 そうなったら、僕はもう、とても耐えられそうにない。

 それこそ、こんどこそ首を吊って

 

 「……静さんって。」

 

 ん?

 

 「もしかしてですけれど、

  ジャケットとか、持ってないんですか?」

 

 「あ、うん。

  スーツ2着だけ。」

  

 「……それで、ですか。

  いっつも同じ服なの、なにかポリシーがあるのかと。」

 

 「食事代に全部振り向けるポリシーなら。」

 

 「あはは。すごいですね。

  わたしもそうしようかな。」

 

 いや、それは。

 

 「もったいないよ。

  そんなに瞳が綺麗なのに。」

  

 「……前から思ってましたけど、

  静さんって、ホストの才能ありますよね。」


 「ただの事実でしょ。

  っていうか、ホストクラブなんていったことあるの?」

 

 「……ちょっと、だけ。」

 

 へー。

 

 「どういうところなの?」

 

 「どういう、って。

  そうですね……。

  

  今みたいに、お酒飲んで、話しを聞いて貰って、

  慰めて貰うところでしょうか。」


 「顔の綺麗な彼氏はそういうことしてくれなかったんだ。」

 

 「……それ、聞きます?」

 

 あら。

 

 「……最初は、違ったんですけれどね。

  だんだん、要求が厳しくなっていって。」


 ……なんて不遜な話だ。


 「拘束も愛情だと思いたかったんでしょうね。

  あーあ、馬鹿だなぁ、24のわたし。」


 2年前、か。

 

 「調子に乗ってたっていうのは?」

 

 「え。」

 

 「ほら、言ってたじゃない。

  調子に乗ってたんだ、って。」

 

 「あぁ……。

  よく覚えてますね、そんなの。

  その頃、営業成績がちょっと良かったんですよ。

  それで、仕事を優先しちゃってて、気づいたら。」

 

 この二つの話には、食い違いがある。

 だとすると、

 

 「この4年間で、彼氏って何人いたの?」

 

 「わ。

  それ、聞きますか。

  

  ……なんていうんでしょうね。

  いま、気づかされましたけど、彼氏っていうのとは違ったんですよ。

  デートをして、夜のお相手をさせられる相手です。」


 ……それって、いわゆる。

 

 「……意地悪じゃないですか、今日。」

 

 「かもね。」

 

 でも、それだと。

 

 「結婚の約束、っていうのは?」

 

 「……してました。してましたよ。

  いまの奥さんと別れてからって。」

  

 ……やっぱり、そっちのほうか。

 

 つまり。

 片方はセフレで、片方は、不倫。

 両者は互いに共謀して薬を飲ませ、欲望を勘違いさせて、弄ぶ。

 

 眉目秀麗な帆南さんの貴重な20代前半は無残に浪費され、

 挙句の果てに監査部からの事情聴取を喰らっている。

 

 「……なにしに東京出てきたんでしょうね、わたし。」

 

 「課長と逢うためじゃないの?

  すごく優秀だって言ってたけど。

  僕もそう思うし。」

 

 「……なんでそういうことさらっと言っちゃうんですかぁ……。」

 

 ことん。

 

 「ほい、鴨汁つけうどん2つねー。」

 

 ほほぅ。

 

 これはまぁ、鴨からでしょ。

 はむっと。

 

 あ、この出汁、旨い。

 かつおと魚介の上品な澄んだ部分を合わせて、

 これは優しくて味わい深い。

 

 鴨も柔らかいな。火入れの加減が絶妙にいい。

 固いやつとか、ぺらぺらの申し訳のやつとは全然違う。

 

 うん。

 これはもう、うどんいくでしょ。

 

 あぁ、これ、にゅるいつるうどんか。

 手延べうどんだもんな。稲庭うどんとかと同じで。

 あったかい鴨出汁に合うわ。

 

 つるつるつる……。

 あ、この出汁、梅が入ってる。

 酸味のアクセントが出汁とばっちり。

 

 来た、な。

 雑味がない。旨いぞ、これ。

 うん、これは生姜だね。身体、あったまるな。

 

 「……よかったです。

  静さんのお気に召して。」

 

 あぁ。

 こんなトタンの剥げかけたボロボロの店にいるのに、

 瞳の奥が息が止まりそうになるくらい麗しく揺らいでるなんて。

 どうしてこんな美しい人に、あんな惨いことができるんだろうな。

 

 うん。

 いいものでお腹膨れてくると、ぽかぽかしてきて、

 怒りを覚えられない分、冷静になれる。

 

 やわらかつるつるうどん、か。

 やわらかく、考えるなら。

 

 あ。

 

 ……こう、繋げてしまえるなら、

 いま、帆南さんを取り巻く問題の、かなりの部分は。

 

 でもなぁ。

 これ、めちゃくちゃ禁じ手っていうか、無理筋にも程がある。

 

 「?」

 

 ええい。

 突破力、大事大事。

 

 「帆南さんって、

  榊原晴香のファンだったよね。」

 

 「!

  ……そう、、けど。」

 

 ファンが空港でご本尊に喧嘩売るかな?

 とは、思うけれども。

 

 「いまも?」


 過去形じゃ、なかった。

 

 「……

 

  変わらない、ですね。

  演技も繊細ですし、声使いも上手ですし、

  なにより、すっごく可愛いですから。」

 

 それ、なら。

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