第36話


(私、結婚したいの。

 結婚したら、きっと、幸せになれる。)


 ……


(あなたじゃ、ない。)


 ……


(貴方とは、幸せになれそうにないの。)


 ……


(この、甲斐性なしがっ!)


 ……っ!?


 なんで、こういう夢、見るのかな……。

 洋子さんのことなんて、ほんとに忘れてたのになぁ……。

 

 あぁ……

 これはたぶん、戒めなんだろうな。

 

 調子に乗るなと。

 どうせ、同じなんだと。

 己のを、忘れるなと。


 がちゃっ

 

「お、おはようございますっ。」


 あれ、はるなさん、

 早朝なのに、ちゃんとコーデしてる。

 

 プリーツスカートにチェックのネクタイに御洒落なベレー帽か……。

 うわぁ……、めちゃくちゃしっかり芸能人してるな。 

 現場入ってからスタイリストに廻して貰うんじゃないのかよ。


 こういう服を家で準備しないといけないなら、

 ウォークインクローゼット6畳の意味は分かるわ…。

 っていうか、このマンションに住んでること、バレバレになるじゃん。

 

「朝一で取材なので、どうしてもって。

 最近できた喫茶店の背景を撮りたいっておっしゃる方がおられまして。

 お店の準備を邪魔しない時間だと、この時間しか。」


 ……はは。

 それはまた、地獄が見えそうな話だこと。


 ……あぁ、なんか、


(私、こういうの、向いてると思うんだよね)


 洋子さんとか、そういうこと拘って言ってそうだなぁ……。

 よりによって、いま、そんなこと、思い出さなくても……

 

 ……ん?

 

「ちょっと思いましたが、一ノ瀬さんがおられるときって、

 この手の無理、どこまで聞いてました?」

 

「え?

 ……そう、ですね。

 聞いてることも多かったですけれど、


 ……あ。」

 

 気づいた、か。

 だと、したら。

 

 いや、榎さんに悪意なんてない。

 ただ、実務を廻してるだけだ。


 そして、要求された内容の重みを、判断して断る感覚が弱い。

 なぜなら。


「榎さんって、役所のご出身でしたっけ。」

 

(二十年来になりますね。

 前の会社役所からですから。)


(私どもは本庁舎制作現場に向かわなければなりませんので)


 使っている隠語から分かるべきだったけど、

 榎さんは、エクスプロージョンに発注していた側だった。

 役所でのキャリアを棒に振ってまで

 一ノ瀬さんの会社に移籍した理由は分からないけど。


「あ、はい。

 そうだって仰ってました。」

 

 やっぱり、か。

 我儘な人の相手が上手なところはあるかもしれないけど、

 受け身にしてしまってると、はるなさんが。

 

 ……メッセージ、送っておこう。

 まったく余計なお世話だから、慎重に送らないとだけど。


「……ふふっ。」


 ん?

 

 っ!?

 

「……ありがとうございます。

 いつも、わたしを、しっかり見て下さって。」


 瞳、潤ませながら、

 顔、覗き込まれてる。


 って、いや、そんな抱いちゃったら、

 このコーデ、わりと、壊れやす


「……

 あれ……

 

 が、がまん、してたのに、

 は、離れられなくなっちゃっうじゃないですかっ……。」

 

 な、なんか、泣きそうになってけど

 現場で化粧、一から組み直すことになるんじゃないの。

 

 そ、それよりもっ

 やばい、朝一で、いろいろなものが素晴らしくやばい


 り、

 理性、総動員っ!


「き、今日は、帰られますか。」


 あっ、って顔してる。

 遠距離の撮影でなければ、帰れることを学習した顔だ。


「はいっ!」


 ……ふぅ……。

 一瞬一瞬が、めちゃくちゃ心臓に悪いな。


*


「朝から激戦を潜り抜けた戦士の顔かな?」


 ……

 訳知り顔過ぎませんか。


「ははは。

 こんなときでも、通常業務を忘れないきみは、

 社会人の鏡だとは言っておくよ。」


 ……それは、どうも。

 って。

 

 あれ?

 

「ん?

 あぁ、帆南ちゃんね、

 いま、監査部の事情聴取を受けてる。」

 

 ……え。

 大江戸線の中では、そんなこと、一言も。


「そりゃ、きみには言えないでしょ。

 帆南ちゃんもね。」


 あぁ……。


(私には、資格なんて)


 ……

 い、や。


「課長。」


「ん?」


「お昼の時間、頂けますか。」


「……ふふ。

 そこで、夜の酒席って言わないのがきみだよね。

 ま、夜は僕、用事があるんだけどね?」


 ……なるほど、ね。

 動いてる話があるわけだ。

 僕の知っている話も、知らない話も。


「じゃ、いまから楽しみにしておこうかな。

 どこ、連れてってくれるのかな?」


 ……はは。

 さて、どうしようかな。


*


 芸能人御用達、大手高級焼肉チェーンのオーナーが、

 自分のためだけに、銀座のビルの下に、

 コッソリと作ったフランス風少女趣味喫茶店。

 

 フランス直輸入の高級茶葉と、

 プロヴァンス風の内装が素敵なお店という風情なのだが、

 実は、

 

「……なる、ほどね。」


 裏メニューで、焼き肉弁当が出てくるという。

 カオスそのものなんだけど。


「……なんでこんなとこ、知ってるの?」


「情報源はいろいろありますから。」


 大手口コミサイトは金銭授受で操作されている点数は鵜呑みにしづらく、

 まして、互助会同然のイイネなんてどうでもいい。

 

 僕の行った店を検索し、その店について、僕と同水準か、

 それ以上の正確な情報を確実にレビューしていた人のIDをプールした上で、

 その人の他の記事を読み、視点や舌が信頼できるものだと確信したら、

 ロボットでクローリングして新規書き込みを掻っ攫う。


 仕様、わりと微妙に変わるから、このプログラム廻すの結構手間なんだよね。

 公開APIにしてほしいものだけど。

 

「……

 ほんと、きみって不思議さの塊みたいな人だね。」


 さて、と。

 ここを選んだ意図、伝わるかなぁ。


「……


 ふふふ。そうなんだ。

 いつから、知ってたの?」


 あら。

 ほとんど一瞬ですね。

 勘の良さ、ほんとに凄まじいものがある。


「分かってないですよ、いまでも。

 なんとなくそうかな、って思ったのは、

 いまのマンションを、僕が借りられた時ですね。」

 

 あのマンション、その手の人達芸能界関係者がそこそこいる。

 テレビを見ず、そちら側に無関心な僕ですら、

 電車の中のつり革で見たような人がちょこちょこといたりする。

 そんなところを、部外者の僕が借りられたというのは、異常そのものだ。


「あと、こないだのラジオ局前の喫茶店で。」


 あの近くにラジオ局がある、ということも、

 事後的に知ったという感じなんだけど。


「あぁ、あれね。

 あれはさ、ほんとうにきみじゃないんだけど、

 まぁ、結果的にね。」


 ……そう考えると、ここ、場所的には、

 非常に難しいところになっちゃってるな。

 ネタに走りすぎたか。

 

 でも、まぁ、課長だし。

 課長相手なら、主語なんて、ぜんぶ略せる。


纏わりついていたもの留美のストーカーを追っ払ってた感じですか?」


「あはは。

 それもやりましたよ。」

 

「ご関係は?」


「あぁ。

 んー。なんて言っていいかな。

 あの娘留美の兄をね、知ってたのさ。」

 

 あ。あぁ……。

 繋がりは、本人である必要もないわけか。

 

「その方とは?」


「……

 まだ、言えないな。

 早く、きみらにも言えるようになりたいけどね。」


 ふむ。ま、いいか。

 課長は、抱えてるものがいっぱいあるもんね。


「そういう意味では、僕のほうが、

 あの娘よりも、よほど過激なのかもしれないよ。

 あの娘はまだ、折り合いをつけようとしてるからね。」


 折り合い、か。


(私は、本当に、次の仕事に繋がるのなら

 生き抜くための、ひとつの武器と考えています)

 

 本心かどうかは分からないが、

 あれは、メッセージでもあるはずだ。

 偶然かもしれないけれども、課長も聞いていた可能性がある。


 あ。


「正直、手を引いて芸能界引退欲しいと思われてます?」


「……そんな段階はとっくに過ぎたよ。

 あの娘も、僕も、もう、引き返せない。」


 

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