第27話



「野々原留美さんを共演させられるのであれば、

 榊原晴香さんの出演は、確約すると。」



 え。

 

「えっ!?」


 それって。


「私も、存じ上げておりますよ。

 告発者として知られており、大手事務所と訴訟を抱えておられると。」


 それ、無理じゃないの?

 どう考えても。


「ははは。御懸念、御尤もですね。

 広報部や代理店の者でも、そうして来るでしょうな。」


 一ノ瀬さんとしては、門前払いをしたってことか?

 

 いや、

 違う。

 

 一ノ瀬さんは、試しているんだ。

 槌井社長の、本気度合いを。

 

 まさかと思うけど、僕を呼んだのは、裏口から行こうと?

 あの一ノ瀬さんが、意見を替えるとは思えないし、

 はるなさんにとって


「お待たせいたしました。季節の天ぷらです。

 こちらは活車海老と白鱚になります。」

 

 うわーん、めっちゃいい油の音がするっ。

 衣、軽くて、さくっと音がして、うわ、海老、ぷりぷりっ!

 っていうか、なにこのハーモニー、温度管理完璧じゃん。


 あぁ、塩の締まり方がヤバい。舌、蕩けそう。

 細胞の奥底まで悦びが湧き上がってくるぅ……。


 ……やばい。

 旨すぎて、頭、悪くなってる。


「ははは。

 若いお二人にそこまで喜んで貰えると、冥利に尽きますよ。」

 

 あら。

 榎本さん、恥ずかしそうな顔してるなぁ。

 横顔しか見えないんだけど、ちょっと俯いちゃってる。

 

「さて、口幅ったいお話ですが、

 小辻さんに、個人的なお願いがありましてね。」


 個人的、ですか。


「ええ。

 業務命令ではありませんが、

 こちらの一席分くらいのお気持ちでひとつ。」


 うわ。

 嵌められたわ。

 めっちゃ高い天ぷらになったじゃないか。


「どういった、御用件でしょうか。」


 いかな社長といえども、

 はるなさんに無理を言ってくるようなら。


「あなたにお会い頂いて、

 真贋を見極めて頂きたいのですよ。」

 

 ……ん?

 それって、どういう


「一ノ瀬さんほどの方が、あれほどまでにこだわる、

 野々原留美さんのことを、ね。」


*


「なるほどね……。

 一ノ瀬女史、そう来たか。」

 

 あれ。

 課長はご存知なかったんですか?


「ふふ。

 この形で、ここまではっきり聞いたのははじめてかな。」

 

 ある程度は知ってたってことか。

 一ノ瀬さんの事務所の人とも情報連絡があるんだろう。


「で、僕に報告して良かったの?

 槌井社長からのお願い、なんでしょ。」


 あぁ。


「記念事業案の推進は公務ですからね。

 その一環と考えれば。」

 

「あはは、そういう考え方、ほんとにきみらしいよ。

 あはははは。」


 課長のツボに入ったらしい。

 なにがそんなに面白いのか。


「あぁ、ごめんね、はは。

 きみってほんと、よくわからないトコだらけだよね。

 ま、そうでなきゃ、にはなってないか。」


 伏せてる言葉が多すぎて、いまいち意味が分からない。

 社内だから、っていうのもあるんだろうな。


「それで、札幌のほうは進んでるの?」


 あ。

 福岡の精査に夢中になってすっかり忘れてたな。

 絶対そんなこと言えないけど。時間のやりくりが難しいな。


「ふふ。

 帆南ちゃんに下調べして貰ったら?」

 

 ん?

 あ、あぁ……。


「部下を育てるってことも、そろそろ考えないとね。」


 そ、っか。

 そういう発想、皆無だったな。

 そもそも、部下だなんて思ったことないけど。


「それとね。

 さすがにこの件にもう一人廻せはしないけど、

 社長の個人的なお願いについては、社長室や秘書課を通せるからね。」


 ……人の力の借り方が絶妙に上手い。

 組織で働く術を心得てるというか。

 長らく、ずっと一人だったからな、僕は。

 

「あと、

 報告を受けた以上は、僕はいろいろ目をつぶってあげる。

 そんなところかな?」


 あぁ。

 ありがたくはあるけれど、実質、そっちへ促された感じもする。

 課長こそ、ほんとよくわからないトコあるよな。


*


 うん。

 ちゃんと、できてる。

 書式もばっちりだな。


「ありがとう。

 これで寺岡さんのところに出しておいてくれる?」


「はいっ。」


 あぁ、嬉しそうだ。

 なんていうか、そのへんのアイドルが霞むくらい眩しく輝いてる。

 意気揚々と4階に向かった榎本さんの背中が頼もしすぎる。


 仕事、もっと早く振るべきだったかもしれないな。

 ずっと一人だったものだから、視野が狭くなってる。


 さて、と。


「暫く外に出ますので。」


 植村主幹に声をかけておくと、主幹は静かに頷いた。

 ほんと、榎さんによく似てるな。髪型もぱっつん系フレンチボブだし。

 中学の図書委員がそのまま四半世紀を過ごしたタイプ。


 いつものように、

 主幹の傍を離れようとした時。


「小辻主任。」


 一年ぶりくらいだろうか。

 主幹に、声を掛けられるなんて。


*


(帆南ちゃんのことなんだけど)


 関係がない、とは、

 もう、言えなくなった。

 

 榎本さんは、同期入社で、

 大事な同僚で、ご飯友達で、ご近所さんになって、

 なにより。


「!」


 笑っていて、欲しい人だ。


「ど、どうしたんですか、先輩。」


 驚いてる、な。

 それはそうだろう。

 送り出した後で、4階に来る理由なんてないから。


「なんでも。

 ちゃんと働いてるだろうな、って。」


「なんですか、それ。

 あはは、先輩、今日も平常運転ですねっ。」


 それ、どういうい……


 ……い、た。

 あのオトコ、一瞬、こっちを向いた気がする。

 

 それなら。

 本当に、そうだったのか。


(人事課所属の元彼が、性的な危害を加えようとしています)


 突然、植村主幹が、こんなことを伝えてきた理由は。

 なぜ、主幹がそう判断したのか。

 なんで、社内で、僕に、伝えたのか。

 

 どうして、榎本さんが、

 通りすがっていく4階の女子社員達から、

 蔑むような、憐れまれたような眼で見られているのか。


(小辻君が手を差し伸べなければ、

 帆南ちゃん、配転じゃ済まなかったわ)


 分からない。

 分かりたくもない。


 ただ、僕は。


「札幌の起案、寺岡さん、なんだって?」


「よくできてるねって褒められましたっ!

 あと、札幌のお店、幾つか教えてもらいましたよっ。」


 この笑顔を。

 この日常を、壊したく、ない。


 ぶーっ


<榎です>


 あぁ。


<例の件ですが、今日の夕方に手配できそうです>


「……かのやさん、ですか?」


 違います。

 社長に個人的に頼まれちゃったお仕事のほうです。

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