第4章

第23話


「うん。

 だいたいのところは聞いていた通りだね。」

 

 あれから。

 

 博多から2駅の福岡空港で、当日便を自腹で確保し、

 課長に連絡を入れ、事情を端的に説明し、繰りあげ帰京の許可を得てから、

 割高の飛行機に飛び乗って羽田へ。


 羽田から京浜急行経由、都営地下鉄で最寄り駅へ、

 そこからタクシー飛ばして、ようやく。


 当たり前だけど、社内は何も変わってない。

 そんなものだ。僕なんかがいなくても、地球は変わらずに廻っていく。

 

「こんな時でも仕事をちゃんとあげておくのは尊敬に値するよ。」


 機内で気になった資料だけ読み込み、

 要点を整理して報告資料だけ送信しておいた。

 もうちょっと細かい作業は明後日あたりになるだろうけど。

 

「福岡の件、だいぶん黒そうだね。」


 まったくもって。

 にしても、課長が定時外にいてくれて助かった。

 話がいろいろスムーズでほんとありがたい。

 

「ま、それはあとだね。

 じゃ、ちょっと外に出ようか。」


 1000キロの空を超えてやっと着いたのに。

 会社を離れるのが勿体ないってのも変な話だけど。


「あぁ。

 帆南ちゃんは、千里さんに報告してきてくれる?

 小辻君が作ってくれた報告様式、課内の共有サーバーに入ってるから。」


「は、はいっ。」


 一緒に来てた榎本さんとはここでお別れ、か。

 博多屋台街のハシゴを幻に消してしまってなんだか申し訳ない。

 っていうか、寺岡さんもまだ残ってたのか。


*


 え。


「車、ですか?」


「そうだよ。」


 しかもタクシーじゃなくて、課長の自家用車。

 どこへ行くつもりですか、そもそも勤務中じゃ?


「ははは、何言ってるの。

 きみの業務は、福岡支社へのヒアリングで終わってるじゃない。」


 え。


「もちろん、当日運賃の復路飛行機代もここまでの交通費もちゃんと出ますよ。

 あぁ、タクシー代もね?」

 

 あぁ……。

 なんだろうこの安心感。

 自爆を覚悟しての執行だったんだけど。


「ま、いいから乗って?」

 

 うわん。

 なにこのイケメンスマイル。

 ほんともう、なんだよ。


 わぁ……

 ソファーの座り心地、めっちゃいいな……

 都営地下鉄とえらい違いだ。役職手当ってそんなに違うの?


「一応ね、電波の遮蔽くらいはできるから。」


 え。

 

「ま、事案が事案だしね。

 瀕死の重傷を負った一ノ瀬女史が、意識が切れる前に、

 貴種中の貴種をきみに預ける決断をしたわけでしょ?」


 そうらしいですね、勝手に。

 ぜんぜんまったくこれっぽっちも意味が分からないんですが。


「これ以上なく分かりやすい話なんだけどね。

 ま、それはともかく、さすがに茗荷谷は不味いでしょ。」


 借上社宅。

 家賃3万5000円、築47年、21㎡。

 どう考えても2人収容するのは無理だ。まして、年頃の女性を。


「だから、空港からのきみの電話を聞いた時、

 僕のほうで、、手配した。」

 

 は?


「いやぁ、実質2時間強でしょ?

 相当な突貫対応だったよ。」

 

 イケメンにドヤ顔されましても。

 っていうか、ほんとにどういうこと?

 

「ま、きみは寝てて?

 今宵は長いだろうからさ。」


 不吉なことをおっしゃる。

 これ以上、何があると言うんだか。


*


 は。


「前から思ってるんだけど、

 きみって、わりと運がいいほうだと思うんだよね。

 ちょうど、即日入居できるっていうから。」


 い、いや。


「なんですか、コレ。」


「見て分からない?」


 マン、ション?

 なんていうか、城みたいなんだけど。


「それとも、愛宕のほうがよかった?」


 い、いや。


「あぁ。家賃の心配してるの?

 ヌーベル一ノ瀬社長の事務所の側で持ってくれるって話はついてる。」


 さっきから、話が勝手に進みすぎてるんだけど。


「ま、それはもう、あと。

 ちゃんと説明してあげるから、さっさと入って?」


 築47年、21㎡に慣れてると、これは、ちょっと。

 異世界とは言わないまでも、

 20世紀から21世紀にタイムスリップくらいしてきたような。

 

 うわぁ……渡り廊下がちゃんと遮蔽されてる。

 電気もちゃんとついてて、管理費が高そう……。

 

「で。

 きみのお部屋はココ。」


 鍵、渡されましてもですね。


「細かい手続きはあとでこっちでやっとくから。

 ま、僕って言うか、ヌーベル側なんだけど。」


 ……。


「どうしたの?

 僕の顔に、なにかついてる?」

 

 ……

 

 地獄の淵を彷徨っている時に、掬い上げてくれた人。

 残業も一緒にしてくれたし、上申は聞き届けてくれたし、

 社内外に手回しもしてくれたし、不条理から守ってくれた。


 なにより、僕の願いを叶えてくれた。

 普通に生きて、普通に働きたいという願いを。


 この人にも裏切られるならば、

 それはもう、生まれ落ちてからの運命だってことだろう。


「いえ。」


「そう。

 じゃ、入って。」


 一歩、足を踏み入れると、

 広大な白無垢の空間があった。


「あはは、なにもないでしょ。

 備え付け家具があるって物件じゃないから。

 一応、リフォームは済んでるよ。」


 ……ただただ、広い。

 家具がない部屋は広く感じられるとはいえ、

 実質自由スペース3㎡だった昨日までと比べると。

 

「で、と。」


 その部屋の、先に。


 蹲るように両足を抱え、

 膝に小さく卵型の顔を埋めていた少女。


「ほら。

 お姫様に、お声がけして?」


 いままでみた、どの彼女の姿とも違って。

 段ボールに棄て置かれた仔犬のようで。

 

 彼女が、顔を上げると、

 泣き腫らした目を、二度、大きく開いて、

 そして、

 

 全力で、駆け寄られて、

 

「!?」


 っ。

 つ、強いっ。

 

 いま、マジで倒れそうになった。

 ……そりゃ、そうか。

 二十歳を過ぎたら、肉体は、衰えていくだけだから。

 

 あぁ……

 均整の取れた瑞々しく弾力のある身体が、芯の奥から震えてる。

 声を出さずに喉の奥だけで叫び続け、溢れ続ける涙を拭いもしない。

 天使のぬくもりの暖かさを感じる暇すらないほどに。


 いろいろまずいことを、考えずに済む。

 いまはただ、受け止めて、支えなければ。


「……はは。

 じゃ、あとは若いおふたりで。」

 

 僕は全然若くないんですけれど。

 

 ……って。

 説明、ほとんどしてくれなかったじゃん……。


「……っ、

 ……ぐ……ぅ………、……っ……」


 あぁ。

 天使の涙が、頬を伝い、僕のシャツを濡らしていく。

 こんなの、支えないわけにはいかないじゃないか。


「……!」



*


 ぴりりりりりりっ


 ?

 ……

 

 ぴりりりりりりっ

 

 ……ん、と……

 ……!?

 

「もしもしっ。」


『なんだい、大きな声を出して。』


「い、一ノ瀬さん、緊急入院で手術とお伺いしてますが。」


『そうだよ。

 ったくもう。起きてみたら、えっらい痛いもんでさぁ。』


 ……はは。

 ははは。


『痛み止め、もう効かないつってるのに、

 あと3時間はダメだとほざきやがるんだよ。

 もう死ぬ身なんだから副作用なんざいいから寄こせよって言っても、

 規則だとかぬかしやがって。』


「それだけお元気なら問題なさそうですが。」


『なんだい、年寄りに鞭打ちやがって、ったく。

 ……春菜は、どうしてる?』


「寝てますよ。

 一ノ瀬さんを心配しすぎて、疲れたみたいで。」


 震え続けていたはるなさんがようやく泣き止んだ頃、

 一ノ瀬さんの手術が無事に終わったとの連絡が榎さんから入った。

 その直後、僕の腕の中で、スコンと寝てしまったのだ。


 その姿勢を維持し続ける自信はいろんな意味で無かったが、

 いかんせん、寝具がなにもなく、空調設備すら入っていない。

 応急措置で、はるなさんのスポーツバックに入ってたタオルを

 できるだけ丁寧に掛けるしかなかったという。

 10月末の比較的暖かい日でまだ良かったというべきなのか。


『……そうかい。

 それはまぁ、冥利に尽きるって奴だけどさ。』


 照れてるの?

 まぁ、いいけど。


『貴方に無理を言ってるのは分かってる。

 ほんとうに迷惑に思うなら、投げて貰って構わないよ。』


「なかなかズルい言い回しですね。」


 ここまで周到に手を廻されて、いまさら言うのか。


『適切に判断できる奴っていうのは、

 こういう時に、なんの躊躇いもなく切り捨てられる奴のことを言うのさ。』

 

 それは、そうなんだろう。

 現下の状況は、あらゆる意味でリスクしかない。

 

 それでも。


 いま、僕の目の前で、

 スポーツタオルに包まって眠っているこの娘を、

 一人には、できない。


『ま、そういう奴だったら、

 春菜が貴方に懐くわけはないし、

 あたしが春菜を預けようたぁ思わなかっただろうけどね。』


 ……なんていうか、見透かされてるな、いろいろ。


『貴方に隠してもしょうがないからはっきりいっちまうとさ、

 いまの春菜の廻りはどこもかしこも敵だらけなんだよ。

 特に、同業者からはね。』


 まぁ、そうなんだろう。

 実力派女優で容姿端麗と来れば、嫉妬の渦に取り巻かれるのは自明に近い。


 はるなさんが快進撃を続けている、というのは、

 向こう側の視点に立つならば、凄絶な椅子取りゲームの中で、

 次々と陣地を奪われ続けてることになる。


『っ……ぅがっっ!?』


 おわ。

 痛み止め、ホントに効いてないんだな。


『……けっ。

 情っさけないねぇ、我ながら。

 昔は銃に撃たれたって痛みひとつ感じなかったのにね。』

 

 絶対ウソだろ、それ。

 

『うがっ!』


 これ、電話切ったほうがいいんじゃないのか。


『いや、切らないでおくれ。

 喋ってるほうが、ちったぁ、気がまぎれるんでね。』


 ……。


『貴方があたしたちに疑問だらけなのと同じくらい、

 あたしも貴方には疑問が尽きないのさ。

 興味って言ってもいいかもしれないがね。』


 ……。

 

『まぁ、あたしがやってることなんて、ただの罪滅ぼしなのさ。

 春菜には犠牲を強いてきたような

 ぐがうっ!? がっ!』


 わ。

 めっちゃ痛そう。


『あとっ、の、ことは、あ、あたしがこの檻から出られたらの話しさね。

 いまは、どうか、春菜のことを頼むよ。

 貴方の仕事は遮らない。家にいる間だけでいいから、離れないでやってくれ。

 っ、ご、後生だから、春菜を、ひとりにしないで

 

『一ノ瀬さん、消灯ですよっ。

 何度言ったらおわかりに』

 

 ぶつっ

 

 ……

 は、はは。

 ほんと、台湾料理屋の小母様ソックリ。


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