第19話


 「なるほど。

  こういうところね。」

 

 会社から3駅先の高台にある老舗鰻屋。

 事前に電話を入れて置けば完全個室が取れる。

 なんちゃって個室ではなく、壁はしっかりしているので、外に音は漏れない。

 

 「注文、決められちゃってるのね。」

 

 「40分、待ちますか?」

 

 「あはは。それはさすがに。

  ま、鰻重だから、選択肢ないんだけど。」

 

 さすがに真昼間から鰻のコース料理を食べる時間はない。

 

 「いらっしゃいませー。」

 

 高級店なんだけど、細身の若女将の接客がちょっと軽め。

 最近接客しはじめました、っていうスタイルを4年は貫いてる。

 まぁ、見慣れてしまえばこれはこれ。


 で、漬物と一緒に、なぜか肝吸いが先に出る。

 これもいつものことなので驚かない。


 「あ、これ、いいお茶ね。」

 

 バタバタしてても隠れ高級店。素材の水準は侮れない。

 吟味された煎茶を飲んでほっこり一息。

 

 ……あー。

 おちつくぅ……。

 

 「ふぅ……。

  うん、君と二人でご飯を食べるのも久しぶりね。」

  

 「そうですね。」

 

 「あの頃は色々お世話になりました。」

 

 「そんなことは。」

 

 「……ううん。

  君が背中を押してくれなければ、私は離婚に踏み出せなかったよ。」

 

 ……。


 「あはは、私のことはもういいの。

  で、小辻君のことだから、察してくれてることも多いと思うけど、

  丹羽君ホスト系社員の件ね。」

 

 「……はい。」

 

 「こないだ、丹羽君が警察に任意で事情聴取を受けた後で、

  『何を聞かれたか』をうちの課長に詳しく報告しなかったの。」

 

 ふむ、香月人事二課長か。

 人事二課は女性比率が高いんだよね。

 

 「それでうちの課長が訝しんだんだけど、

  部長が不問に付したの。」

 

 ……結城人事部長、か。

 なんか知らないけど、ニガテなんだよなぁ。

 

 「それと、こないだの仙台の報告ね。

  きみが出したやつ。」

 

 ええ。

 

 「うちの課長が早急に対応すべきと具申したんだけど、

  部長のほうから、すべての対象支社の状況を調査してから適切に対応すべき、

  ということで、棚上げになってる。」

 

 はー。

 つまり、

 

 「時間を稼がせてる。」

 

 「そういうこと。

  なんだけど、追及はできない。

  証拠があるわけでもないし、

  そもそも監査でも検査でもなく、ただのヒアリング調査だしね。」

 

 まったくもって。

 

 「といってもね、ここまで怪しいと、

  なにか、別の理由があるんじゃないかって思うの。」


 「別の理由。」

 

 「うん。

  小辻君に関わりそうなこととかね。」

 

 ん?

 

 「はいはーい、お待たせしましたー。

  こちら、上鰻重二つになりますー。」

 

 きたっ。

 

 「あはは、正直な顔してる。

  じゃ、私も頂こうかしら。

  

  ……。」

 

 うわぁ、いい匂い……。

 うわ、やわらか。箸でさっと切るだけで心躍る。

 

 うふふふふ。

 はむっとっ。

 

 ……きた。

 うん、うん。

 うんうんうん、これだよ、これっ。

 

 「あ。」

 

 「でしょ?」

 

 「……これ、あぁ、うん。

  これ、美味しい。

  なんていうんだろう、焼き方が独特ね。」

 

 「なんですよ。

  川魚風の焼き方と、江戸風のふっくらな焼き方が合わさってるんです。」

  

 「そうそう。

  香ばしいのにやわらかでふっくらしてる。

  で、少しこう、苦味があって、なのに身とタレの甘味が合わさって。

  複雑で広がりがある味わいよね。これは飽きないわ。」


 なんだよね。

 鰻って焼き方が平板だと飽きちゃうんだけど。

 これは口の中でグラデュエーションが変化していくから、

 いくらでも含んでられるっていうか。

 

 「あぁ、これ、ほんと美味しい。

  君の選ぶ店って、外れがないよね。

  ちょっと小骨があるけど。」

 

 そこは勘弁してあげてください。

 川魚風なもので。


 「それでね?

  帆南ちゃんのことなんだけど。」


 ……ん?


*


 ……やれやれ。

 ちょっと、散財が過ぎるな。

 取り崩ししないで済むように、夜はシメていかないと。

 

 うーん、クソゲー動画もセンスでだいぶん違うな。

 個人的には、顔出しして煽るように喋ってる人よりも、

 編集技術と言葉選びのセンスが光るゆっくり実況とかのほうがいい。


 でもココ借上社宅、築47年の絶賛木造だから、音ちっちゃくしないとだわ。

 ゆっくりって、わりと外に響くから


 ぴろん

 

 ん?


 <いま、だいじょうぶですか?>

 

 一応、持ち帰りのお仕事中なんですけれど、まぁ、


 <少しなら>

 

 <よかったです

  明日のお昼、ちょっとだけでいいから、お会いしたいです>


 は?

 明日の、お昼??

 えぇ??

 

 <都内で、ですか?>

 

 <はい>

 

 大胆、すぎる。

 

 いま、はるなさんは注目の的になっている。

 いくら希代の百面相女優と言われてるとしても、

 何かあったら取返しがつかないんじゃないか。


 それこそ、こないだの仙台みたいに、

 皆から注目されるようなことがあれば、さすがに誰かが

 

 <だいじょうぶです

  わたし、絶対に人が来ないところ、知ってるんです>

 

 ?

 

*


 ……なる、ほど。

 ほんとに、誰もいない。

 

 高級老舗ホテルの地下商店街。

 その奥まった場所にある老舗高級和菓子店の、さらに奥のイートインスペース。


 なにしろ、周りの店の価格帯が三桁高い。

 ガラス細工だけで三百万円とか普通にあるからなぁ。

 

 ごく普通の茶廊なのだけど、

 凶悪な超高級店に挟まれているので、人通りは皆無。

 目の前の持ち帰り用の小店舗は、接待需要でちらほらとお客が来る。

 しかし、そういうお客は社用族だから、

 さらに奥まった接待向きとは言い難い茶廊までは来ないわけであり。


 「ね?」

 

 この間とは違う、少し大人びた化粧を施している。

 どちらかといえば、寺岡さん寄りの透明感のある30代前半のOLルック。

 髪色もちょっとメッシュを入れて、落ち着いたエイジング感を出してる。

 新進気鋭の高校生女優の姿を想像することは不可能だと思わざるを得ない。

 

 でも、ヘーゼルナッツの瞳は変わらない。

 仙台で会った時よりもずっと、輝きを増している。


 「どうしても、お会いしたかった。

  お会いして、直接、お伝えしたかったんです。」


 大人っぽく抑えようとしたはずの声の抑揚が、

 波打つようにうねっている。

 

 「次の舞台公演の下読みまで、あと2時間です。

  台詞、他の人のぶんまでぜんぶ入れましたから、

  40分くらい、作れました。」


 さらっと言っているが、本当に天才なのだろう。

 夢見るようなきらきらした笑顔で見上げてくる。

 心を騒めかせるような、透明で、限りなく深い瞳で。


 ……僕は、この笑顔を、曇らせてし

  

 「ご注文のほう、よろしいでしょうか?」

 

 あ。

 えーと?

 

 っていうか、ココだったら。

 

 「『闇はあやなし』、でしょ。

  どう考えても。」

 

 「?」

 

 「小倉羊羹です。

  大納言小豆の水準でいえば国内トップクラスですね。」

 

 お持たせで絶大な人気を誇っている。

 厄介な謝罪といえばココの羊羹っていうくらい。

 

 「同じもの頼んでもですから、

  折角なので生菓子にしてみましょう。

  『歌始』と『暮紅葉』あたりで。」

 

 「畏まりました。」

 

 うん、楽しみだなぁ。

 でもこれ、今日のお昼になっちゃうけど、

 この老舗和菓子店でおばんざい素麺セットになど行く意味はない。

 真っすぐに旗艦を狙うのが正しい姿。

 

 ……ん?

 なんか、すごく嬉しそうな顔してるけど。

 

 「な、なんでもないです。」

 

 下、向いちゃってる。

 心なしか、耳まで赤くなってる。

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