第10話


 「おつかれさまです、先輩っ。」

 

 榎本さん、歓迎会の翌日だってのに元気そのもの。

 若いからだろうなぁ。


 「おつかれさまです。

  昨日、ちょっと食べ過ぎましたね。」

 

 関西の著名老舗料亭のうどんすき。

 うどんもだしも素材が吟味されていて十分美味しいんだけど、

 いかんせん、腹が破裂するくらい量が多い。

 ヌーベルキュイジーヌ以前の料理は分量に難がある。


 「ですね……。

  今日の昼はちょっと、軽いものにしましょうか。

  マクロビとかどうですか?」

 

 あぁ。

 二日目から開拓意欲フルスロットル。

 外食先を見つけに調査一課に来たみたい。


 「おはよう、帆南ちゃん。」

 

 「?

  ! 千里さんっ。」


 寺岡てらおか千里ちさとさん。今年から人事部人事課の課長補佐。

 去年までは調査一課の主任だったので、

 昨日の歓迎会も顔を出してくれていた。

 

 肌が少し白めで、清潔感があり、

 光に当たると透き通るような透明感がある。

 凄い美人というわけでもないけど、ふんわりとした雰囲気があって、

 同世代向けの赤文字系雑誌の表紙を飾りそうな感じ。

 

 ただ、外見と立ち振る舞いとは裏腹に、

 仕事はしっかり捌ける人だから、女子からも嫌われていない。

 言動は少し捌け過ぎるくらいで。

 

 「あら、小辻君も昨日ぶり。

  ちょっと、食べ過ぎたね。」


 「入っちゃいましたから。」

 

 野菜の旨みと出汁の滲みたうどんの魔物が、するするっと。

 

 「ふふ。

  若いよねぇ。いいなぁ。」

 

 寺岡さんは課長よか1つ下くらいなので、

 年齢差が大きいわけじゃないんだけど、まぁ、突っ込まない。

 女性にこちらから年齢の話は振れない。

 

 「あら、御免なさいね。

  帆南ちゃん、ちょっとだけいいかしら?」

 

 「は、はいっ。」

 

 たたっと駆け寄っていく姿が本当に若くて眩しい。

 あぁ……歳、取ったなぁ、僕も。


*


 結局、お昼はいつものように一人。

 寺岡さんに榎本さんを取られてしまった。

 まぁ、そのほうが正しい姿なんだけど。

 

 21世紀に入っても、テレビが備え付けられてる店はそこそこある。

 そう。ちょうどこんな感じの、ギトギトの調理油が床にこびり付く店。

 居抜きだからしょうがないんだけど。


 客側はスマホを見てるだけなので、ふつうなら、見向きもされない。

 ただ。

 

 「いやぁ、めっちゃくちゃ珍しいんだよね、

  晴香ちゃんがこういうの出てくれるなんてさぁ。」


 「お約束されたそうですから。」

 

 「そうなんだよ、あの一ノ瀬さんがさぁ、OKしてくれたっていうんで、

  ほら、向こう、普段いない人がいっぱい。

  プロデューサーなんて絶対現場こない癖に。」

 

 寂しいリーマン共が、全員、テレビをチラチラ見てる。

 スマホ見てるフリしながら、目と耳が釘付けになってる。

 

 ……また、違う。

 

 台湾料理屋で偶然相席になった時とも、

 隠れ日本料亭で清楚な高校生の姿をしていた時とも、

 無化調ベトナム料理屋のバリキャリ寄りのオフィスカジュアルの時とも。


 「顔、ちっちゃいよねぇ。

  セットのこのリンゴよかちっちゃいんじゃないの。」

  

 それは流石に無理があるだろうよ。

 ……そう言いたくなるのもわかるけど。

 

 「なんていうの、ほんっと、おにんぎょさんみたいだよね。

  こんな顔してんのに、どこをどうすればあんな激しい演技ができちゃうの?」

 

 「そんな。

  わたしなんてほんと、大したことないですから。

  みなさんお芝居が本当に素晴らしくて。」

 

 なんというか、余所行きの顔、だ。

 可憐ながら洗練された清純派若手女優の、完成された受け答え。

 

 芸能界を生き抜くだけに特化してきた中堅司会者の面白くもないフリに、

 小さく笑って、頷いて、必要なことに、ただ、反応しているだけで。

 一見すると生き生きとしているように見えるから、タチが悪すぎる。

 

 (なんにでもなれてしまう、なんでも隠せてしまう)

 

 リーマン達は、完全に自分の願望を投影して眺めている。

 理想の彼女、理想の娘……理想の孫までいやがるな。

 気にならないフリをしつつ、チラチラテレビを眺めてる奴もいる。

 ヘッドフォンしてるのに、フリオチの部分でしっかり笑っちゃってるじゃないか。

 

 ……演技の先に演技を積み上げてしまえるタイプ、か。

 プロフェショナルといえば聞こえはいいが。

 

 現場に、プロデューサーに、世間に。

 顔を赤らめたり、恥ずかしがったりする隙の部分までも、

 その場に求められることを、完璧にやってのけてしまっている。

 そういうタイプの仕事のこなし方をしているのだろう。

 

 ん?

 なんだあの人……あ、映画監督か。

 表に出ていい顔じゃないんだよな映画監督って。不健康顔すぎる。

 

 「はるちゃんの演技、何度も鳥肌が立ちましたよ。

  なんていうんでしょうね、

  こっちも無理だと分かっていて出してるハードルがあるとすると、

  はるちゃんはそのハードルを軽々と超えるだけじゃなくて、

  このハードルをどうして立ててるかを理解しちゃった上に、

  自分でハードルをとんでもなく高いところへあげちゃうんです。」

  

 「ははぁ、なんとなくわかります。」

 

 「若い俳優が勝手な思い込みで突っ走ると普通、破綻しちゃうんですけれど、

  はるちゃんの場合、絵になったものを見ても、

  ずっといいものになっちゃってるんですよ。

  空間とか、構造を把握する能力が飛びぬけて高いんでしょうね。」


 「ほほぅ。」


 「それがまわりにも影響を与えていって。

  ぼくも30年映画撮ってますけど、

  こんなこと、片手で数えるくらいしかないですよ。」

 

 「簡単にまとめると、

  『天才』ってことでいいんでしょうか。」

 

 「そうですね。うん、そうです。

  子どもの頃から光ってましたから。」

 

 「やめてくださいっ。

  またそうやってからかって。

  すっごく厳しかったんですよ、もう。」

 

 可憐に恥ずかしがる姿も板についてる。

 リーマンがわざわざラーメン屋のテレビをスマホで録画してしまうくらいには。

 

 嘘、ではない。

 ただ、装いに装いを重ねている。

 本心は幾重にも包まれて、隠されている。

 そもそも、本心などあるのかというくらいに。

 

 ……そう、考えると。

 僕と逢っている彼女も、

 僕の見たい姿を投影したものになってるということなのか。

 

 ……いや。

 そうだったら、スタンプを50個も送ってこない。

 そもそも、僕にそんな趣味はない。

 

 全国民が知りようがない榊原春香の「地」を知ってるっていうのが、

 彼女に何の関心もなかっ

 

 「はいこちら、梅つけ麺一丁っ。」

 

 ……ほほぅ。

 細麺なんだ。だいたいつけ麺は中太麺なんだけど。


 黄金色に輝く麺を、

 背油と煮干しの魚粉、昆布だしを合わせたスープに付けて、

 はむっと。

 

 ……これは。

 梅だ。

 梅が絶妙に効いてる。

 

 このぎっとりしたスープのパンチをそのままに、

 梅の風味と食感が、めっちゃさっぱりしたものに仕上げてくれる。

 

 おお、軽い。

 軽いのに味わいが深い。このコントラストちょっとやばいな。

 変化球だと思ったが、これは、するするっと入っていく。

 昨日の夜にあんだけうどん食べてパンパンだってのに。

 

 あぁ、これこそ女子向けのつけ麺だと思うけど、

 榎本さんも寺岡さんも、絶対に誘えないなぁ。

 手入れしてる髪が油ギッシュになっちゃいそう。


*


 うーん。

 「かのや」の梅ヶ枝餅、ね……。

 事務所へのお土産の筈なんだけどな。


 (し……じ、事務所へのお土産、なにがいいですか?)

 

 Shijimaさん、って、言いそうになってたな。

 隠したってことは、誰かに聞かれるのを恐れたってことか。

 すぐ電話切ってたし。


 にしても、クール便で送られて来るとは。

 郵送費考えるとバカにならないな。


 まぁ、そうそうに貰えるものじゃないから、

 それ自体はいいんだけど、

 

 問題は。

 

 「東京都港区愛宕二丁目」

 

 これ、どう見てもどこかの住所地なんだよな。

 一ノ瀬女史の会社じゃない。これはいったいなんだろう。

 建物名称からしてマンションっぽいんだけど。


 まぁ、見なかったことにして、と。

 

 <届きました、梅ヶ枝餅。

  おすそ分け頂きありがとうございます。>

 

 写真撮って、送ってみる。

 が、連絡がない。

 ってことは、仕事中かな。こんな遅くに。

 

 ぴりりりりりっ

 

 ん?

 また、はるなさんから電話?

 

 ぴっ

 

 「もしもし。」

 

 「あぁ、驚いたかい?」

 

 は?

 

 「あたしだよ、あたし。」

 

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