第2章

第9話


 「ヒロインから彼氏を奪い獲る肉食系女子を怪演し、

  東京映画記者会賞新人女優賞を受賞。

  対照的に、映画『霧の隅』では、

  主人公の懊悩する医師をサポートする清楚系助手、柚野沙菜を演じたが、

  監督の期待を大きく上回る好演を見せ、

  ブルーブロンズ賞新人女優賞をはじめ、各新人賞を総なめにした。

  その後

 

 「榊原晴香のwikiかい? 

  朝から余裕だねぇ。」

 

 うわ。

 

 「ま、いいよ。

  形式上は始業前だしね。」

 

 ……はは。

 

 「ん? それ、弁当箱かい?

  外食道楽の小辻君にしては珍しいね。」

 

 「ちょっと大枚を叩きすぎたもので。

  調整しようかと。」

 

 さすがに西風軒はハイコストだった。

 まぁ、一片の後悔もしてないけど。

 

 「はは。

  自腹で行くってのが凄いね。

  僕だったらできる限り接待に寄せるけど。」

 

 それは課長職だからできることじゃないのかな。

 調一に接待なんてないでしょ。

 

 「出張もあるじゃない。

  食卓料が出るでしょ。」

 

 あ。

 え。

 

 「で、出るんですか、食卓料。」

 

 「出るよ、そりゃ。

  だって公務出張だもの。」

  

 あぁぁ……。都市伝説だと思ってた。

 前職では交通費すら自腹ってのもあったのに。

 

 「君の役職でも近距離で1500円まで出る。長距離なら2500円かな?

  上限いっぱい使って貰っても構わないよ。」

  

 真っ白な世界に乾杯。

 うわ、出張への夢が広がるっ。

 

 「そろそろ時間だね。

  じゃ、社長んとこ行くよ。」

 

 あぁ……。

 わりと胃が痛むな、すきっ腹だし……。

 

*

 

 常務、調査部長、人事部長、調査一課長、人事二課長。

 その前で、直立不動で説明を要求されること、凡そ30分。


 「……なるほど。

  あなたのお考えはよく分かりました。」

 

 厳しい眼で僕と資料を睥睨していた槌井社長が、

 薄い銀縁の眼鏡を、ゆっくりと外した。

 

 「……ありがとうございます。」

 

 緊張が、解けそうになる。

 まだ、終わってないんだけど。

 

 「少々荒いところはありますが、一案と思います。

  では、皆さんで相談して、細部を詰めて頂けますか。」

 

 社長が向いているのは、常務。

 

 「畏まりました。」

 

 ここから先は、提案者の意思など関係なく、

 通常の社内規則制定の手続きに入る。

 なので、部局の違う僕の出る幕はない。

 

 「では、これで結構です。

  皆さん、忙しいところ、ありがとうございます。」

 

 槌井社長がそう告げると、

 職位の高い順に一礼して社長室を退出していく。

 当然、僕は最後であって。

 

 はぁ、ひさびさに緊張した。

 凌げたのは米沢牛100%ハンバーグパワーだろうな。


 いや、あれはマジでめちゃくちゃ旨かった。

 肉々しい触感をざらっと残していながら、

 肉汁たっぷりの旨みと野菜の甘味が交互に襲って、

 そこへ米沢牛をしっかり煮込んだデミグラスソースの


 「あぁ、

  小辻くん、ちょっと。」


 へ?

 え?


 ま、まだなにか?

 結構しっかり説明したでしょ。

 社長、お暇じゃないでしょうに。

 

 あ、あら。

 秘書さんが扉閉めて一対一になっちゃった。

 4年前の採用面接の時だって、こんなことなかったのに。

 

 「ふふふ。

  いや、大した話ではないのですがね。」

 

 は、はぁ。

 

 「ときに。

  一ノ瀬さんは御元気でしたか。」

 

 え?

 一ノ瀬さんっていうと……

 

 あぁ。

 

 「70歳になろうとする方とは思えませんでした。」

 

 「そうですか。それは良かった。

  あなたがお会いすることがあれば、

  どうぞよしなにお伝え下さい。」

 

 は、はぁ?


*


 「そんなこときみに言ったの? 槌井社長。」

 

 「ええ。」


 ほんと、なんのことやら。

 

 「……。」

 

 あの、湯瀬課長?

 

 「ん?

  ふふ。きみもすっかり渦中の人かな?」

 

 「どういう意味ですか?」

 

 「そういう意味。

  ま、身をちゃんと慎んでね?」

 

 「課長に言われても説得力が。」

 

 「……そういうところ、ほんときみらしいけど、

  まぁ、そういうきみだからなんだろうね。

  で。」

 

 ?

 

 ……ん? 

 なんだ、これ……

 

 「ラジオの記事を起こしたやつ。

  まぁ、読んでみて?」

 

 「勤務中ですけど。」

 

 「じゃあ業務命令。」

 

 は? わ、わかりましたって。

 眼力を見せられると怖いんだよな、この人。

 凄まれると少女漫画に出てくるインテリヤクザにしか見えない。

 

 んーと……

 ん?

 

 「……榊原晴香、無化調フォーを語る?」

 

 ……

 あ。

 あっ!?

 

 「……そういうこと。

  具体的な店名を言ったわけじゃないんだけど、

  外観とか、内装を特定できる程度の情報は十分にある。

  

  で、こっちが特定班によるまとめサイト。」

 

 ……

 うぁぁぁ。

 

 「女子のネットユーザーが30分で特定したらしいね。

  今日の昼からお客が増えるだろうし、ひょっとしたら行列になっちゃうかもね。

  地方から来る高校生とかで。」

  

 ……なんて、こった。

 

 「たぶん、雑誌が後追いする。

  その後は、それを見てるテレビクルーかな?

  ここの経営者がどこまでお付き合いするか次第だけど。」

 

 ……

 

 「わかるかな?

  きみが一緒にご飯を食べてる娘の影響力の巨大さを。」


 ……これ、は。

 

 「そう。かなりまずい。

  今回の件はまぁ、悪いほうに向かったわけじゃないけど、

  きみたちが行こうとしている店で、

  もし、彼女の存在がバレたりでもしたら、かなり深刻な騒乱になるよ。」

 

 ……だろう、なぁ。

 小麦が〇〇氏など、塵のようなものだろう。

 脅されたり、縋りつかれたり、暴れられたり、拉致されたりされそうだわ。

 

 「ま、だから逢うな、っていう話じゃないさ。

  いろいろ気を配ってってことだよ。」

  

 「くれぐれも、会社に影響を与えないように、ですか。」

 

 「そういうこと。

  きみは賢いし、優秀だとは思うけど、

  対人関係ではいろいろ抜けてるところがあるからね。」

 

 ……否定、しづらい。

 

 「あぁ。

  これ絡みで、もう一つだけ言っておくね。」

 

 「……なんでしょう。」

 

 「他の人と一緒に彼女と会わないこと。

  特に、うちの女子社員とかね。」

 

 「……秘密が、漏れるからですか。」

 

 広報とかは地雷だろうし。

 

 「ははは。それもあるね。

  女子社員達は彼女のことをよく知ってるから。」

 

 そういえば榎本さん、鼻息荒かったなぁ…。

 

 「なにより、17歳は立派なレディだからね。

  難しいお年頃なのさ。」

 

 ん……?


*


 <(疲れたやさぐれウサギのスタンプ)>

 

 <おつかれさまです>

 

 <(号泣する猫のスタンプ)>

 

 ……こりゃ、相当疲れてるな。


 初回挨拶で地方の映画館廻されて、地元スポンサー対応して、

 合間に取材受けて、次の撮影の台本読んで、みたいな話だったと思うけど。

 

 労働密度、濃いよなぁ…。

 クソゲー攻略の動画見てられる余裕があって申し訳ない。

 

 ぴりりりりりっ

 

 !?!?

 

 ぴっ

 

 「……こ、こんばんはっ。」

 

 え。

 

 「こんばんは。どうしました?」

 

 「……マネージャーが下にいったので、ちょっとだけ。」

 

 マネージャー、ね。

 

 「一ノ瀬さんではないのですね。」

 

 「……。」

 

 肯定、か。

 

 名刺にはチーフマネージャーって書いてあったけど、

 マネージャー業務に特化した事務所で名乗ってる肩書であって、

 実質、代表取締役みたいなものらしいからな。


 他の子の面倒も見ないとだろうし、

 経営、経理もやらないとだとすれば、相当な激務だろう。


 「……ご迷惑、でしたか。」

 

 「いや。ちっとも。

  mytube見てたくらいですから。」

 

 「よかった、です。

  どうしても、ほんのちょっとでもいいから、

  声が聴きたくなっちゃって、その、つい。」


 ……。

 

 「あ、明日、福岡に行った後、

  ちょっとだけオフがあるんです。

  し……じ、事務所へのお土産、なにがいいですか?」

 

 お土産って。

 うーん、福岡のお土産だと

 

 「梅ヶ枝餅、ですかね。」

 

 「?」

 

 「太宰府天満宮の餅菓子です。

  ふつうお饅頭は蒸し物なんですが、これは焼餅で、面白い食感なんですよ。

  餡子ものですから、餡子の質が低いと美味しくないんですけれどもね。

  博多の駅ビルで買えますから、遠出しなくて済みます。」

 

 「……調べてみますっ。」

 

 ふふ。

 

 「っ!?

  ま、またですっ!」

 

 ぷつっ

 

 ……あぁ。

 見つかりそうになった、か。

 無茶をするなぁ。

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