第6話
うーん。
このチョイスとは、やるな。
さすが営業課のエース、侮れない。
<明後日、楽しみですねっ>
確かに楽しみになってきた。
この店、密かに行きたかったんだよな。
「Shijimaさんっ。」
ん?
……あ。
って。
20代中盤、
ちょうど、榎本さんくらい、かな。
「……これなら、だいじょうぶかなって。」
確かに。
違和感が、ない。
瞳の色と同じチェスナットブラウンに染めあげたワンカールボブ、
キャリア系よりのオフィスカジュアル。
品よくぱさっと羽織ったホワイトジャケットに黒のキャミソール、
ハーフサイズ大き目のカーゴパンツを合わせ、
スタイルの良さに遊びを持たせてる。
頬や額の化粧を心持ち厚めに塗って、アイラインと眉毛をしっかり描いて
オフィスワーカー相応の年齢に見せてるから、
この街に、完全に溶け込んでる。
声だけは若い。
けど、声だけ若い子なら、
このあたりにも、一杯いる。
こないだ公園で見た、闇から浮かび上がるようなこの世ならざる者の儚さはなく、
いまにも仕事を捌きにオフィスに戻りそうな現世の姿しかない。
凄い、な。
ほんとの姿が、まったく分からない。
なにしろ、この娘の名字すらわかっていない。
まぁ、それが都会的な接点の持ち方なのかもしれない。
「行きましょうか、はるなさん。」
「はいっ。」
え。
腕、さらっと組んで来たけど。
都会の芸能人ってこんな感じなのか。
……まぁ、いいか。
笑ってるし。
笑ってる顔が、少しだけ幼く感じる。
棄てたはずの掻きむしられるような邪な欲を、感じずに済む。
なんだろう。
委ねられている感じがするだけで、こうも心が暖かくなるのか。
*
個室があり、芸能人がこなそうで、ネット民にも知られてなくて、
安全性が確保されていて、ある程度信頼が置ける店。
もちろん、旨くなきゃ話にならない。
この条件をほぼ全て満たすだろう店が、ココで。
「……。」
オフィス街の端っこ。
夜になると、人通りすら少ない道の雑居ビルの地下。
絶対に立地、間違えたと思うんだよな。
「その、お客さん、少ないですね。」
「そのほうがいいと思いましたから。」
「は、はい。」
店主は一念発起して脱サラして店を開いたけれど、
残念ながら、絶対に五年以内に潰れる。
利用してるのは、生前供養のようなもので。
勿体ないなぁ。
金持ちだったら、こんな場所から引き離せるんだろうな。
まぁ、いまはこれ以上なく都合がいいけど。
「ぜんぶお任せにしてますが、良いですよね。」
「は、はいっ。」
そのほうが予算が膨らまない。
夜のアラカルト注文はコスト高の極みと学習済だ。
まぁ、今回は一ノ瀬女史から軍資金送りつけられちゃってるんだけど。
誰だよ、
あぁ。
店主、一段と疲れた顔してるなぁ。替えてない眼鏡がずり落ちそう。
誰か経営指導してやってくれないかなぁ。
「海老のゴイクォンになります。」
「?」
「食べたことありませんか? ベトナム料理。」
首、大きく振られた。
まぁ確かに、外観からじゃ何屋さんかわかんないもんな。
夜だと看板すら出してないし。商売が下手すぎる。
「生春巻きです。
ライスペーパーですから、食べやすいですよ。」
おそるおそるライスペーパーを見てるな。
バリバリのキャリアウーマンの姿してるのに、
動きが上京したての中学生みたいだなぁ。
「ホイシンソースをつけて、
こんな感じで。」
はむっと食べる。
海老のぷりっとした触感と、海鮮醤油の風味が合わさって、
うわ、うまうま。このパクチーほんと上品。
「パクチーは大丈夫ですか。」
「は、はい。
香りがいいです。」
それは良かった。
ここのパクチー、下処理もちゃんとしてるし、
なにより、無農薬なんだよな。
ベトナム料理は都内でも専門店がいろいろ出てて、
大使館御用達の店もあるんだけど、
ベトナム本国がまだ化学調味料全盛期の状態なので、
高級店でも化調の味がする。
ここはそうじゃない。
でも、その価値がいかほどかなんて、こんなオフィス街の端っこで、
こんな飾り気のない店に来る客には、そうそう分からないだろう。
「いいものを作れば売れる」と考えてしまったタイプ。
あぁ。
身体が、喜んでるのが分かる。
はるなさんの顔が、すっかり綻んでる。
なんていうか、動く姿がいちいち絵になるなぁ。
大人カジュアルなジャケット着てるのに、
首筋を彩っているネックレスは大人っぽく輝いているのに、
少し幼く感じる仕草がえらくギャップがある。
「こちら、バインセオになります。」
あぁ。
興味深々って顔になってる。わかりやすい。
「米粉のクレープみたいなやつですね。
もう巻いてありますから、こんな感じで。」
豚肉と、海老と、あ、シソにしたわけか。
レタスが瑞々しくて、もやしがシャキシャキしてて、
うーん、甘酢タレのアクセントがいい。
旨い。
旨いけど、全然流行ってない。
大手口コミサイトでも3.07なんだよなココ。
小麦が〇〇さんとか書いてくれないかな。
あぁ、裏金要求しそうだわ。ここの店主が払えないような額。
お茶はふつうにジャスミン茶なんだけど、
さっぱりしてていい。たぶんこれも無農薬。
あー、ほっこりする。
美味しいものはほんとにありがたい。
「……。」
満足そうな顔してるなぁ。
よかったよかった。
それで、と。
「鶏肉のフォーと牛肉のフォー。
どちらを選ばれますか。」
「……。」
考えてる。
めっちゃ真剣に考えてる。
それなら。
「シェアしますか。」
「?
シェア、ですか。」
「別々に頼んで、取り分けて貰いましょう。」
あ、って顔してる。
「普段、お一人でご飯食べられてますか。」
「……はい。
お弁当が多いです。」
あぁ。
仕出し弁当みたいなやつね。
「撮影だと出るものを食べられるんですけれど、
一人だと、どうしていいか分からなくて。
結局カップ麺とかおにぎりとかにしちゃって。」
……なるほど。
榎本さんの対極にあるわけか。
「学校でも、食堂とか、食べたいんですけど。」
あぁ。
やっぱり学生さんなんだ。
あ、って顔してる。
言っちゃダメなやつだったか。
「食堂が美味しくないんですか。」
「……
その……
と、
友達が、いなくて。」
え。
……
「その、どういう距離感でいったらいいか、
わからなくなっちゃって、
仕事に逃げちゃったところもあって。」
……。
「演技だったらできるんですけれど、いろいろあって、
どういう役を作ればいいかもわからなくなっちゃって。」
……。
「だからいま、すごく幸せです。
温かいものを、温かいまま食べられて、
しかも、こんな美味しいものを頂けてるので。」
……だめ、だ。
こんな娘、絶対広報に渡せない。
餌付けされて、悪所に連れ込まれる。
「?」
綻んだ笑顔が、透明で、たまらなく魅惑的で。
ただ見ているだけなのに、なぜか、涙腺が緩みそうになって。
ぐらりと揺れた心の底を、根こそぎ持って行かれそうになる。
「失礼します。
フォーはいかがなさいますか。」
あ。
あぁ。
「こちらに牛、私は鶏で。
取り皿を二つお持ちいただけますか。」
「かしこまりました。」
……ふぅ。
なんとか、正気を保てた。
フォーのお陰だな。
あ。
もう一組、客がいるな、珍し。
でも夜に二組じゃ、絶対赤字だろうなぁ…。
賃料どころか、材料費の回収も危ないわ。
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