第4話


 車に乗っけてってくれるのは、確かにありがたいんだけど。

 

 「ははは。

  知らなかったんだね、ほんとに。」

 

 なんだろう、この人。

 40代? 50代? 60代?

 圧のスタイルがどこぞの店の小母様を思い出すな。

 小柄なトコもそっくりで。


 「あぁ、ほんとごめんなさいね。

  私、こういうものだから。」

 

 んーと。

 

 nouvelle carte

 チーフマネージャー

 一ノ瀬美智恵

 

 ぜんぜんわからん。


 「失礼ながら、どういう業態で?」

 

 社会人の儀礼として名刺を交換しながら訊く。

 一応、国内の主要社くらいは頭に入れてるつもりだが。


 「うをぅ。

  貴方、ほんとになんも知らないんだね。

  だからかぁ。」


  不調法者だなこの人。

 降りてタクシー拾おうかな。

 

 「ああ、御免なさいね。

  あたしらの知名度が至らなかっただけ。」

 

 知名度?

 

 「んーと、まぁ、芸能事務所ってやつよ。

  ははは。」

 

 あぁ。

 それは知らんわ。

 

 「広報担当の者にお繋ぎしましょうか。」

 

 知ってる人がいるかもしらん。

 

 「ははは、それはとっても助かるけれど、

  今日はそうじゃぁないのよ。」

 

 ん?

 

 「まずひとつね。

  春菜を救ってくれてありがとう。」

 

 救う?

 

 「ははは。

  ほら、あの台湾料理屋で、

  春菜、一人になっちゃったでしょ。」

 

 あぁ。

 

 「当然、一緒に行くつもりだったんだけど、

  合流地点を間違えて教えた奴がいてね。

  いろいろトラブってて、一人で待たせちゃったわけ。」

 

 「それは未成年の同伴者としていかがなものかと。」

 

 「あはは。初対面なのに言うねぇ。

  その通りなんだけどさ。面目ない限りだよ。

  一応、春菜にクレカ持たしてたんだけど、あの店、カード使えないでしょ。」

 

 そうだねぇ。

 

 「それでこっちトラブっちゃって

  春奈は前の日の昼からなんも食べてなかったもんだから、

  あたしも焦ったんだけど、貴方に助けてもらっちゃって。」


 「偶然ですけれどね。

  偶々相席になっただけで。」


 「普通、たまたま相席になっただけの見知らぬ娘に、

  飯食わして、高級茶葉出して、カネ払ってく奴なんていないでしょ。」

 

 「お腹空いてそうだったので。」

 

 「あたしは裏をめっちゃ疑ったよ。

  時間返して欲しいくらい。」

 

 「それは一ノ瀬さんご自身の問題では。」

 

 「あはは。

  言われちゃったよ、初対面なのに。

 

  そしたらまた、撮影の時に、

  貴方の世話になったらしいじゃない。

  しかもこの娘ったら、それ、ずっとあたしに隠してたんだよ。」

  

 え?

 

 「だ、だって。」

 

 「スキャンダルになったら大変だってのに。

  まぁ、いまの貴方の顔見てると、

  そんなつもり、微塵もなさそうだけどね。」

 

 「スキャンダル、ですか?」

 

 「あはははは。

  こういう人もいてくれるんだねぇ。

  テレビとか見ない?」

 

 「ニュースはたまに見ますが。」

 

 「ははは。mytubeとかも見ないんだろうねぇ。」

 

 「それは見ますよ。」

 

 「え。」

 

 「へぇ。それは意外な。

  どんなのを見てるの? 地球の秘密とか?」

  

 あぁ、科学系か。

 あれはあれで面白そうだけど。

 さて、どう説明したものかな。クソゲーって言って分かるのか。

 

 「まぁ、貴方が見るものの中で、

  春菜が映ってるものはなさそうだね。」

 

 あぁ。

 そうか、芸能事務所。

 

 ぜんぜん実感がないな。

 遠くから見るようなものでしかなかったから。

 広報でもないし。

 

 「って、茗荷谷借上社宅かい。」

 

 「何か?」

 

 「いや、あたしらの事務所、割と近いんだよ。」

 

 ん? 


 「……飯田橋駅の裏あたり名刺の住所、ですか?」

 

 「そうそう。

  社用車さえ廻せれば、悪いトコじゃないさ。

  接待先は近いし。」

 

 ん? 

 ……あぁ、神楽坂か。

 

 「じゃあ折角だから家まで廻すよ。

  せめてものお詫びで。」

 

 特に断る理由もないか。

 

 「ではよしなに。」

 

 「ははは。

  本当に度胸が据わってるね。」

  

 「そうでしょうか。」

 

*


 「じゃあ、このあたりで。」


 「なんだい。

  家まで連れてってやるって言ってるのに。」

 

 「さすがに申し訳ないですよ。」

 

 っていうか、しっかり寝てるな、この娘。

 夜中まで起きてて疲れたんだろうなぁ。

 

 「……春菜はさ、

  3年前に、母親を亡くしちまってね。」

 

 え。

 

 「父親はもともといなくてね。

  ずっと一人きりなんだよ。」


 ……。

 

 「だから、子役の仕事を繋いでやる必要があった。

  そうじゃなきゃ、施設送りだからね。」


 「親戚は?」


 「ロクでもない奴らばかりさ。

  今なんて掌替えてタカリに来てやがるよ。

  まぁ、モップ食わしてやってるがね。」


 ……。

 

 「では、一ノ瀬さんの養子には?」

 

 「ははは。その発想はなかった。

  私、前の職場、地獄だったからさ。」


 「いまもこんな深夜まで働いてらっしゃいますが。」

 

 「寝る時間は取れてる。」

 

 ……本物の地獄、か。

 そこだけ親近感を感じてしまった。

 

 「……小辻さん、だったね。」

 

 「はい。」

 

 「本当に済まないが、春菜を頼むよ。」

 

 「どういう意味ですか。」

 

 「……

  春菜、こんなに我を出したことはないんだよ。

  なんにでもなれてしまう、なんでも隠せてしまうこの娘がね。

  貴方のこと、よっぽど気に入ったみたい。」

 

 「餌付けしたからですか。」

 

 「ははは。

  そうかもしれないね。」

 

 「……僕に、何をしろと。」

 

 「そうさね。

  まず、無視しないでやって欲しい。

  今日みたく。」


 「……。」


 「なんなら、報酬を出してもいいけど。」

 

 「お断りします。

  副業申請めんどくさいんで。」

 

 「……はははは。

  こりゃ、相当な変わりモンだね。

  ま、そうじゃなきゃ、この娘がこんなに懐かないか。」

 

 ……肩で、寝てる。

 息遣いが、聴こえる。

 生きているものの重みと温かさを、肌で、感じる。

 

 「貴方の横が、春菜にとっては

  グランクラスの席みたいなもんかもしれないね。

  まぁそういうわけだから、どうか、この娘を見捨てないでやって欲しい。」

 

 ……。


*


 「はるな?」

 

 「はい。」

 

 「うーん、僕は知らないなぁ。

  そんな源氏名の子はいっぱいいそうだけど。」

 

 嘘なのか、それとも芸名とやらを使ってるのか。

 

 「では、この会社はご存知ですか。」

 

 ぱっと調べたけど、

 検索しても出てこなかったんだよな。

 

 「ん?

  名刺、ね……

  

  え゛っ」

 

 「え゛っ、ってなんですか。」

 

 「……

  小辻君さ。

  きみみたいな人が、なんでこの名刺持ってるの。」

 

 「お会いしましたから、昨日。

  素性の知れない方でしたが。」

 

 「………。」

 

 なんだ?

 めっちゃ呆れた目で見られてるけど。


 「はぁ。

  これ、絶っ対に広報に見せないでね。

  きみ、普通に繋ごうとしそうだから。」

 

 はぁ。

 まさにそうしようとしてましたが。

 

 「昼メシ食う?

  俺のおごりで。」

 

 「店、選ばせてもらえるなら。」

 

 「……はは。

  きみのほうが詳しかったね。」

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