第3話


 使ってみると、RINEはチャットソフトの一種で、

 職場で使っているSlipと仕様はほぼ同じだ。

 

 いまのところ、トーク画面上に表示されてるのは、

 

 <はるな>

 

 これだけ。シンプルそのもの。

 整理もなにもないわけで。


 で。


 <お仕事、おつかれさまですっ>

 

 結構な頻度で送られてくる。

 多い時は一日に三十回くらい病みかけ


 まぁ、通勤時と退勤時には暇を潰せはするけれども、

 本を読む時間が削られてる気がする。


 <そちらもおつかれさまです。>


 <はいっ!>

 

 なんかスタンプ? みたいなのが来た。

 なんだろうこれ、猫がびよーんと伸びてる。

 これも有料らしいけど。

 

 <Shijimaさん、いま、どこですか?>

 

 <地下鉄の中です>

 

 地下鉄も強い電波が通るようになりました。

 震災の時はいろいろ酷かったな…。


 <お帰りですか?>

 

 <そうなりますね>

 

 <残業じゃないんですね…>

 

 ないよ。

 うちはそんなブラックじゃないっての。

 前職じゃあるまいし。

 

 ……ん?

 

 <ひょっとして、うちの会社の近くにいらっしゃいますか>

 

 <そうなんです!>

 

 あらららら。

 

 <もうちょっと前に知ってたら違ったかもですね>

 

 <ほんとですかっ!>

 

 ……なに言ってるんだ、僕も。


 っていうか、この娘、ほんとによくわからないな。

 遊んでるっていう娘だったら、新宿とか渋谷とか、

 繁華街側に行くはずだけど、夜以降でオフィス街周辺に用があるって。

 

 仕事してるようには見えなかったけどな。

 いや、ひょっとしたら、異様に若作りなだけで、

 実は27歳くらいってこともあるかもしれない。


 わからない。

 なんせ、東京だし。

 コスプレイヤーが連れ立って平然と街を闊歩できるところだし。

 

 うーん、どこまで聞いたものだろう。

 ほんとは聞いちゃダメだと思うんだけど。

 下世話な関心は持つべきじゃないんだけどなぁ。

 

 <おーい>

 

 <Shijimaさーん>


 <(寂しいウサギのスタンプ)>


 あぁ。

 すぐこんな感じになるんだよな。

 なら。

 

 <次いらっしゃるときは、先にご予定をお知らせくださいますか>

 

 固まった。

 前もこんなことあったな。

 

 <いっぱい残業してくださいっ>

 

 ……なに言い出すんだ、この娘。


*


 「ほんと御免、ちゃんとフルで出すから。」

 

 まぁ、しょうがないけど。

 営業部でプレゼン書類のミスをやらかした子がいて、

 基礎資料から何から全部間違ってるから、

 明日の朝一までに全部作り直さないといけないっていう。

 

 前職では珍しくなかったけど、

 ここみたいなホワイトな会社でなんでこんな派手なことあるんだ。

 と、思うけど、いまは口よりも手を動かす時。

 

 あ。

 

 <今日これから残業です。いつ終わるかわかりませんが>

 

 これだけ、おくっとこ。


*


 ふぅ……。

 

 「課長、送りました。」

 

 なんか真面目に働いちゃったよ。

 こっちの業績に全然ならないんだけど。


 ま、残業手当フルだからいいんだけど。

 どうせ生涯独身だし。


 ……うっわぁ、窓の外、くっらーい。

 ひさびさに結構な時間だわ。

 前職の地獄を思い出す……。

 

 まぁ金曜日だからいいんだけどさー。

 地下鉄、混みそうだよなぁ…。


 「……うん。

  これでいけると思う。

  いや、ほんと優秀で助かるよ。」

 

 ただのお世辞使い。歯と歯茎が離れてる基本仕様。

 わかってても、わりと持ち上げられてしまう。

 前職のクソ野郎共と偉い違いだ。

 

 言葉って大事だと思う、ほんとに。

 お金がセットでついてる前提だけど。

 

 「あとはこっちでやるから、

  あがってくれていいよ。」

 

 うん。

 男から見てもイケメンだよなぁ、ほんとに。

 そりゃ社内中の女子に懐かれるわけだよ。

 そのうち刺されそうだけど。

 

 「ありがとうございます。」

 

*

 

 あー。

 外、とっぷりまっくらだわー。

 どこのビルも電気めっちゃ消えてるな…。

 

 公園がもう真っ暗すぎて、ちょっと怖いわ。

 いつもながら光源少ないわ、この道。

 

 ん?

 なんか、忘れてるような。

 

 あ。

 

 あぁ。

 しまった。

 

 うーわっ。

 

 50件くらいあるな……

 途中から怒りのスタンプになってる。

 

 <変な期待を持たせないでください>

 

 <みてるんでしょうっ>

 

 <みてて笑ってるんですか。ひどすぎます>

 

 って、これ、1分前だ。

 なんだもう

 

 <いま仕事終わりました>

 

 <!>

 

 <(土下座する猫軍団のスタンプ)>

 

 <他部署のヘルプで拘束されてました

  ご連絡できずに申し訳ありません>

 

 <す、す、すみませんっ!!!>


 はぁ。

 まぁ、子どもだとすると

 

 <い、いま行きますっ!>

 

 は?

 いまいくって、なんの

 

 ……ぇ。

 

 闇が降りた細い園路の先から、幻覚が浮かび上がるように、

 純白のワンピース姿の少女の影が立ち現れて、

 

 「はぁ……はぁ……っ。」

 

 古い公園灯の明かりに照らされているだけなのに。


 なんで。

 どうして。

 

 疑問が、無限に沸いて来る。

 

 だけど。

 

 心の奥底を、揺り動かされた。

 まるで、妖精が現世に顕現したようだった。

 

 なんの変哲もない、無機質なオフィス街が、

 この娘が存在しているだけで、淡く、輝いて見える。

 空気が浄化され、澄んでいくように感じてしまう。

 

 「……やっと。

  やっと、逢えました……」


 雅な蛾たちが飛び回る公園灯の淡い光の先に浮かぶ

 正面からの卵顔の輪郭と、潤んだ薄茶色の瞳を、はじめて見た。

 

 得体の知れない背中の震えを感じた瞬間、

 脳の中を微かに漂っていたぼんやりとした記憶が、

 かちりと、一致してしまった。


 この娘、たしか

 

 「……はるちゃんっ!

  夜中に走らないでって言ったろっ!」

 

 ……ん?

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