剣よさらば

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剣よさらば


「『そうして人類は永遠の眠りについた。』これが21世紀の、典型的なSF小説の結末です。むろん核戦争を主題にしたものです。

 終末核戦争による破局・人類絶滅の恐怖は20世紀後半から現在に至るまで、SF作家の想像力を刺激するのみには留まらず、生きとし生ける全てのの人を苛んできました」


 国連機関の代表が満面の笑みで話している。若い男だ。おれはエムエフ(マルチフォーカスビデオカメラ)をそちらに向ける。昨今は静止画を撮るためのカメラというのはなく、報道用の写真は動画から切り抜いて使う。


「かつて誰もが携帯電話を持つようになった頃にはすでに、過去の文学や演劇にあった『特定の人物と連絡が取れない』という場面は全てリアリティを失いました。現代の人からは想像が難しいのです」


 そうだ。同様にエムエフが普及して「ピントがずれる」とか「シャッターチャンスを逃す」というような事実、および比喩のリアリティが無くなった。

 おれは頷くがカメラは高性能で、ブレることはない。


「今日、歴史に残るこの偉大な日に、世界核戦争による人類滅亡というシナリオが、それと同様にリアリティを失うことになる」



 快適な第一国際会議室に、各国首脳や外務大臣、防衛大臣が集まって、今日という日を祝っていた。

 俺は押しも押されぬ高級紙の記者兼カメラマンで、V・I・Pたちに混じってここに突っ立っている。この歴史的瞬間を取材するために。

 我が社の独占した大ニュース。これに比べれば財務大臣の汚職など、ハトが公園を散歩したようなものだ。




 世界核戦争の恐怖!


 世界核戦争による人類滅亡のシナリオは、もうすぐ過去の遺物となるのだ。


「土台、人類が人類全体を何度も滅ぼせる兵器を、保有している事自体おかしかった」

「おかしいと指摘した哲学者はこれまでに何千人もいた。しかし、哲学者や学者に解決できることではなかった。

 断固たる意志を持った政治によって、ついにその倒錯を正すときが来たのだ。行動することは哲学者には許されない、政治家の特権ですよ」


 俺のエムエフの向こうで、アメリカの大統領とシリアの指導者とフランスのセレブが、マオタイ酒で乾杯した。冷房と人工重力の効いた宇宙ステーションから、地上の繁栄を眺めていた。

 第一国際会議室からは椅子が取り払われ、ビュッフェが招かれ、立食パーティの形式になっていた。水族館の水槽よりも何十倍も丈夫な、そして巨大なアルミシリカガラスの窓からは、地上の様子を眺めることができた。




 乾杯の音に合わせて、地上には火の手が上がった。始まったのだ。我々は大きな窓からそれらを眺める。


 倒される前に倒してしまえ、壊される前に壊してしまえ。

 終末核戦争に怯えるくらいなら、みんなが避難した状態で、それを起こしてしまえばよい。

 制御不能な、完全で究極的な破壊より、コントロールされた破壊を起こしてしまえば。




 核の炎は、家々と都市と田畑と、核ミサイル発射に使われる軍事基地を、完全かつ徹底的に破壊する。

 破壊に必要な兵器の量は事前に完璧に計算され、宇宙から測定されている。どの勢力も使用する核兵器の量を誤魔化すことはできないようになっている。

 地下や宇宙空間で炸裂させるのとは違って、こうすればいかなる狡猾な国家も、核兵器を余らせて隠し持つことはできない。





 地が割れ、天が燃え、土が舞い、鳶色に燃えていた。

 ウラニュームの熱線が火炎の竜巻を作り、周囲の大気に大量の三重水素を生成していた。




 その間、市民はシェルターに籠もり、首脳陣はより絶対的に安全な宇宙ステーション(つまり、今我々のいる場所)から地上を眺めているというわけ。


 生まれ育った家や街や焼き尽くされる寂しさはある。だが明日から終末核戦争の恐怖が消失するのだと思えば、そんな寂しさがなんであろう。もう使わない携帯電話を、金属ゴミのボックスに入れるようなものだ。


 核は、引き続き旧市街地や文化遺産を焼き払った。

 寺社や宗教施設。

 過去の遺物。

 これらも過去の遺物だ。こういう場所に核兵器を隠すことができるようではいけない。過去の遺物は、人類滅亡の危険を甘受してまで残すようなものではない。


 死は絶対の断絶である。

 一度息がたえてしまえば、財産を山のように積んでも誰が金持ちと言ってくれよう。

 人類が一度絶滅すれば、自由の女神、ルーブル美術館が瓦礫の中に積まれていても、誰が、万物の霊長と讃えてくれよう。

 いま、エッフェル塔を焼くことは必要な犠牲である。ルーブル美術館も大英博物館も……なに、特に重要な収蔵物は専用のシェルターに入れてある。移動できない建物はどうしようもない。金閣寺も、焼かねばならぬ。なに、3Dモデルは保存してある。また建てればよいだけのこと。


 100年か200年は核の冬が続く計算だが、都市はグリーンハウスで守られ、多少の不便はあるが、概ねこれまで通りの生活ができる。まあ少し生活の水準が落ちたところで、終末核戦争の恐怖に怯えながら生きているという根源的な問題に比べればなんであろう。





 これまで、核兵器を「せーの」で捨てましょうと言っても、誰もその通りにはしなかった。

 今回の方法ならば、密かに核兵器を保有し続けることは誰にもできない。





 そして最も優秀な科学者たちが重要な仕事をした。最後の仕事。


 彼らは次の時代に残すべき研究資料と、厳に禁じるべき研究の目録を作成し、我々に託した。

 それで彼らの最後の仕事は終わった。

 彼らは今地上に残り、実験施設とともに灰と化している事だろう。

 今日のことを知らず焼き尽くされた訳だが、帰結主義の観点からするとこれは栄誉だ。

 人類の繁栄の礎だ。

 彼らの脳を知識とともに焼き尽くしたことが、何万年何億年に及ぶ人類の繁栄のために必要だったと、語られる日がきっと来るだろう。

 核兵器は過去の遺物となった。

 破壊の剣は遺物となった。


 科学技術はもちろん後退するが、核兵器が過去の遺物となることと比べたらそれが何であろう。







 他にも核シェルターに入れない貧民が、地上で幾らか核の炎に焼かれているがこれはしょうがない。

 新型の、人工食糧生産装置は文字通り空気から直接パンを作り出すが、それでも核の冬によって、食糧・エネルギーの生産能力は著しく落ち込むだろう。これまでと同じ人口を維持することはできないのだ。


 アフリカの島国の首相はゆったりと落ち着いて、葡萄酒を傾けている。

 もちろん全体的に貧困な国々には相応の配慮がなされた。死ぬのはどの国でも、最も価値のない人々だ。その程度の犠牲など、人類全体が滅亡の恐怖を常に感じながら生きることを思えば何であろう。


 人権は、はるか昔に過去の遺物となった。





 イタリアの大統領とハワイの王様が、広々とした第一会議室で、エスペラントでお辞儀した。

「厳しい時代が来るが、これまでも乗り越えてきた。今回も乗り越えられるだろう」

「これでまた元のように戦争ができるね」と笑い合った。

 俺はそれをエムエフに写した。



 相互確証破壊は過去の遺物となった。

 平和も過去の遺物となった。


 そうだ、これからは相互確証破壊に縛られず、また自由に戦争が出来る。20世紀前半のように。

 もはや、核兵器による脅しがあるからと、大国の不法な侵略行為に対して、見てみぬふりをする必要はどこにもない。あるいは小国の身の程を弁えぬ領有権主張に対しても、見てみぬふりをする必要はどこにもないのだ。




 地上の都市という都市は、地から天まで塔のような炎に覆い尽くされ。

 建材はガラス化し。

 地上に残っていた人々は、一割が一瞬のうちに吹き飛び、一割が生き延び。

 八割は熱線によって、元が人間であったこともわからないような形にされ。

 彼ら彼女らは20分ほどで死ぬのであるがその間思い出していた。

 昨日の夜幸福のうちに眠ったことを。今日の朝お喋りをしながら学校へ向かったことを。

 午後に訓練があるから、アクセス可能な者はシェルターに入るようにという何気ない放送を。

(彼らは権利を持たないから、その時刻も立ち尽くしていた。)

 もはや本を読むための目も歌うためののども無くして、人間であったときのことを思い出しながら。

 どうして私が。

 どうしてこんなことに。





 今日の路傍の石は、叫ばないまま焼けていく。

 どの詩人も、どの記者も、かわりに叫ぶことはない。






 俺は大統領や王様たちを集めて写真を撮る。窓から見える、炎に包まれた地球を背景に。

 彼らは笑顔で、希望に満ち、一点の心の曇りもない。

 俺にも、一点の心の曇りもない。憂いもない。




 核爆発の犠牲者は居る訳だけれど、それは人類の歴史上最後の犠牲者となる。一歩間違えばここで笑って写真を撮っている我々も含めて、全員が最後の犠牲者となる可能性も有った。それを思えばこの程度の犠牲が何であろう。


 人権は過去の遺物となった。

 平和も過去の遺物となった。

 そして世界核戦争の心配は永久になくなった。

 もちろん代償として、芽生えかけていた人権思想の萌芽は、完全に踏みにじられて潰えた。

 21世紀の人間が理想とした倫理という意味で、人類は目覚めかけていた時期もあったのだが、またそのまぶたを下ろすこととなった。

 毒ガスや空襲といった『小規模の』戦争はまた起こるかもしれない。

 殺し合うかもしれない。だが古い冗談で言われたように、石器で殺し合うようなことにはならない。


 世界滅亡に至るダモクレスの剣を頭上に置いたまま過ごす日々。それが今や取り払われたことを思えば。

 人権や倫理が失われたことくらい何であろう。





 式典が終わる。速報に間に合わせるために、俺は録画を確認しなければならない。エムエフの確認画面で、国連機関の代表の若い男が、満面の笑みで話し始める。

 リフレイン。


(『そうして人類は永遠の眠りについた。』……)



 


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