九十五話 若き伏龍たち
目一杯遊び終えた、ある日の夕方過ぎ。
「メエェ……」
私たち三人はヤギの身体を枕にして寝転がっている。
ヤギを中央に三人がそれぞれバラバラの方向に足を投げ伸ばし、上から見ればベンツのエンブレムを想起させるだろうか。
「次の新月っていつだろ」
「五日後くらいじゃねえかな、この分だと」
私が質問すると、軽螢(けいけい)が半分以下に欠けた月を見て答えた。
新月の日に開催されるのは、新たな白髪部(はくはつぶ)大統を決める、輝留戴(きるたい)の大選挙。
私たちは覇聖鳳のねぐらである重雪峡(じゅうせつきょう)に向かうので、選挙会議の様子を見学することはできない。
しかし選挙の行く末は白髪部と青牙部(せいがぶ)のこれからの関係を、大きく左右することになる。
「覇聖鳳が自分で会議に乗り込むか……代理のものに委任票を持たせて会議の場で青牙部の意向を伝えるか……それともなにもせずに重雪峡の温泉で療養しているか……考えられる展開としてはそんなところだろうな……」
ボソボソ声で翔霏が予測する。
眠たいなら、寝ていいのよ。
斗羅畏(とらい)さんが制圧し直した境界の邑だけれど、輝留戴の委任票は、いまだに覇聖鳳の手中にある。
新しく票を作り直すなんてことは二重投票になるからできないし、票の奪還自体は斗羅畏さんの目的ではないので、そこに手を付けてはいないのだろう。
覇聖鳳の手にある票数はわずかと言えど、そのわずかな票のあるなしが他の候補者にとって重い要素になる。
もしも僅差で争っている候補者がいたら、覇聖鳳を抱き込んで票を分けてもらう、ということをするかもしれないからね。
あくまでも、普通に考えればの話だけれど、覇聖鳳の狙いがその辺にある可能性は高い。
「お、遊び疲れておネムか。焼いた羊のあばら肉があるんだがな」
「よこせ」
椿珠さんが戻って来て、芳香を放つお土産の封を解く。
シュバっと素早く起き上がった翔霏が、焚火であぶり直した骨付き肉に、文字通り食いついた。
「申しつかった資材の手配、問題なかろうと思われまする」
いつも通りに厳粛な面持ちで、巌力さんが報告してくれた。
重雪峡の付近に構えられた、移動式テント集落に、無事に微粉炭と塩を届ける手配が進んでいる。
商人が味方にいると、行動の選択肢が広くて助かるなあ。
ジューシーな羊肉をみんなでかじりながら、椿珠さんの集めてくれた情報を聞く。
「斗羅畏は相変わらず、境界に駐留して邑人を安撫してる。それまで邑を治めていた覇聖鳳の野郎が、女やガキに無償で食料や燃料を配布していたらしくてな。覇聖鳳の下にいたほうがマシだった、なんて言われないように張り切っているようだ。話を聞く限りでは、今回の輝留戴は完全に諦めてるだろう」
「クソ真面目だなあ、孫ちゃん」
同情と尊敬と、わずかな揶揄が混ざった感情で軽螢が言った。
不器用で感情的だけど、誰よりも真っ直ぐな斗羅畏さん。
国境の防備と、邑人たちの気持ちを汲む領地経営を経験し、次の四年後に開催される輝留戴までに、きっと立派な大頭目に成長するのではないか。
椿珠さんも軽螢のコメントに同意の微笑を浮かべ、説明を続けた。
「阿突羅(あつら)のジジイはそんな斗羅畏を背後から見守るように、東都で静かにしているようだ。もちろん、覇聖鳳がなにかを仕掛けて来るなら東側から来るはずだから、その警戒の意味も兼ねているだろうな」
「爺さまと孫の動きは一蓮托生で連動しているだろうな。孫が派手に動くつもりがない限り、爺さまも目立った行動は起こすまい」
骨まで綺麗にお肉をしゃぶり終えた翔霏が、再びヤギを枕に横になりながら言った。
食って遊んで寝て、私たちのコンディションは最高潮を迎えている。
決戦の前の静けさ、その真っただ中にいる実感が、強く湧いてきた。
私は自分たちが関与できない、外側世界の最大の注意事項を椿珠さんに確認する。
「で、突骨無(とごん)さんは今、どうしています?」
「南都にいるらしい。ほら、お前らの知り合いだとか言う沸(ふつ)の坊主の、なんつったかな。怪しいおっさんと一緒にいるようだぞ」
「星荷(せいか)さんですか」
賢い末息子と胡散臭い僧侶が、一緒に同じ町にいる。
気になると言えば気になるけど、二人とも正体不明過ぎるので、そこになんの意味があるのか、上手く想像が働かない。
「そう、そいつだ。なんでも突骨無の伯父貴だそうじゃないか。阿突羅(あつら)大統から見れば奥さんの兄貴ってことなんだな。賓客をもてなす意味で、突骨無が饗応してるんだろうさ」
「そっか、あの二人は血の繋がった親戚なんだ。なら別に不自然なことはないかな」
難しい顔をする私に追い打ちをかけるように、椿珠さんはさらに事態がややこしくなる情報を提供してくれた。
「本来だったら斗羅畏に渡すはずだった各地の委任票の数割を、突骨無は自分の手元に抱えたままらしい。斗羅畏が輝留戴(きるたい)に出ない以上、その票を使って突骨無がなんらかの選挙工作をするかもな」
「え、そんなこと、阿突羅大統が黙って見過ごすんですか」
「そこまではわからん。俺の言ってるのもただの可能性の話だ。少なくともうちの実家、環家(かんけ)は今回の輝留戴に干渉する余裕はないし、突骨無がなにかやりたくても支援することはできん。各地を行き交う商人たちから集められた情報は、それくらいだな」
会話の間、翔霏はもう眠ってしまったようで、すうすうと規則正しい寝息を立てている。
軽螢はまだ眼が冴えて眠れないのか、欠けた月を眺めながらこう言った。
「末っ子のあんちゃんが、孫ちゃんのせいで今まで冷や水ばっかり浴びせられてたって言うなら、なにかしら、荒れるかもなァ」
「どういうことにござるか」
巌力さんの疑問に、軽螢は苦笑いで答えた。
「だって、同い年の、同じ一族に生まれたのにさ。後継者は孫ちゃんの方に、って前から決まっちゃってるんだとしたら、突骨無のあんちゃんはどうしたって面白くねえよ。最初に会ったときに言ってたしな。斗羅畏のやつに先陣を取られちまった、って。あれ、半分は本心で悔しがってたと思うぜ」
小さな規模とは言え、長老衆に混じって邑の経営に携わっていた軽螢ならではの視点である。
「おどけて冗談っぽく言ってたから、ただの世間話程度に思ってたけど。突骨無さんは本音で、覇聖鳳と正面からぶつかって、自分は知恵が回るだけじゃないんだぞって周りに見せたかったのかもね」
男子ならではのプライドというのは正直、私にはピンとこない世界だ。
けれど軽螢が言葉にしてくれたことで、突骨無さんがそう考えていたかもしれないと、理解や推定くらいはできる。
なにせ、玄霧(げんむ)さんと除葛(じょかつ)軍師が万全で向かって来たと仮定して話した際に、勝てはしなくても生き延びることはできる、とまで言ってのけた突骨無さんだ。
決して戦下手の柔弱なお坊ちゃんではないんだよな。
実力者一族の後継者争いというのは歴史の東西において枚挙にいとまがない。
一見して一枚岩に見える白髪部、阿突羅一党の中でも、そんな紛糾が起こったとして不思議ではないのだ。
考え込む私を見て、答えの見えない思索に集中するな、と言いたげに椿珠さんが話題を変える。
「ちなみに重雪峡の方だが、青牙部幹部連中の家族が大小の包屋(ほうおく)に百人前後ってところか。男たちや兵隊の人数も似たようなもんらしい。合計で三百に届かない程度だろう」
包屋というのは、いわゆるテント式住宅のことである。
季節ごとに包屋を畳んでは組み直し、領内をぐるぐると周回するように青牙部の幹部たちは移動して生活しているのだ。
「覇聖鳳がそこにいるかどうかは、ハッキリわからないんですよね」
「そういうことだ、すまんな。いるらしい、というのが大方の予想だが。覇聖鳳の女房たちと母親がいるのは確実だ。玉楊(ぎょくよう)も一緒だろう」
環貴人に、もうすぐ会える。
再会が現実味を帯びたからか、巌力さんが力を籠めて、決意の表情で言った。
「環貴人のお体を確保できたなら、奴才が全力を賭して連れ出し申す。覇聖鳳めの討滅にはお力添えできぬかもしれませぬが……」
「はい、それで大丈夫です。私たちのことは気にせず、巌力さんは環貴人を守ってください」
「かたじけない」
そんな話をして、その夜は眠った。
翌日、私たちは雌伏の時間に別れを告げ、キャンプ地を撤収する。
目指すは湯煙が立ち昇ると噂の、峻険なる岩山に囲まれた絶界、重雪峡。
椿珠さんたちが用意した馬はすでに売って手放した。
ヤギとともに徒歩の旅である。
「お、あぶねッ。みんな止まれ止まれ」
身を隠しながら道なき道を進んでいると、先頭を行く軽螢が突然に叫んで、私たちの歩みを止めた。
前方の地面に目を瞠(みは)った翔霏が、感心した声で言う。
「落とし穴か。よく気付いたな」
「なんかな、ヤギが避けて通ったんだよ」
「メエェ……!」
野生の勘、侮るべからず。
穴の口を隠して覆っていた草木を除けると、底には尖った木の杭が仕掛けられていた。
「臭いからするに、杭の表面に糞尿が塗りつけられておりますな」
巌力さんが顔をしかめて言った。
傷口からばい菌が入って死ぬやつだ、これ。
単純にして効果抜群、コスパ最強のブービートラップである。
仕掛けが施されてまだ日が浅いので、おそらく覇聖鳳が最近になって、私たちの追跡を見越して用意させた罠だろう。
重雪峡に向かう道は一本しかないので、その脇に広がる山林に罠を巡らせば、私たちが引っかかる可能性は高い。
「帰りにうっかり罠にハマらないよう、木に目印を付けて行くか?」
椿珠さんの提案に私は首を振る。
「ことが済んだら、青牙部の馬を盗んで全速で道を通って逃げますから、林の中は気にしなくていいと思います」
「そうか、確かにその通りだ」
罠が存在するということに気を付けながら、私たちは行軍を再開する。
目印は要らない、とさっき言ったばかりだけれど。
「せっかくこんな地の果てまで来たんだし、記念になにか彫っておこう」
修学旅行先で城に落書きするバカな学生の気分になり、私は白樺の大樹に、こう彫り刻んだ。
麗央那在此処。
覇聖鳳潰此処。
「麗央那ここに在り。覇聖鳳ここに潰える」
決意を言葉に出し、力を強める。
「お、いいなそれは」
「俺も彫ろっと」
それを見て翔霏と軽螢も、横に寄せ書きする。
「誅を下すは天に非ず、復讐するは我の一撃」
「別れた仲間たちへ、応雷来の孫、軽螢の想いを捧げる」
それぞれの気持ちを刻み、私たちは重雪峡へ乗り込むのだった。
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