九十四話 百の中間地点は五十ではなく九十

 仰向けの状態で、手足をもそもそと動かしながら意識を取り戻した私。

 周りには、軽螢(けいけい)と同じく不安げな顔で翔霏(しょうひ)、巌力(がんりき)さん、椿珠(ちんじゅ)さん、そしてヤギが顔を揃えていた。


「泳いでないから。歩いてたから」


 そう言って私はむくりと体を起こし、正座の姿勢で翔霏と軽螢に向き合う。

 楽天家の軽螢までもがこんなに心配しているんだから、私たちの蓄積した疲労は思った以上に、深刻なのだ。


「ふたりとも、ごめんなさい。邑から余所に貰われて行っちゃう赤ちゃんたちを、翔霏も軽螢も心を痛めて見送ってたに決まってるのに」


 気を失う前に口走ってしまった、自分の不見識を詫びた。

 なに不自由なく埼玉でガリ勉して過ごしていた私が想像もつかないくらいに、翔霏も軽螢も、大事な人との別れを経験して生きてきたはずなんだ。

 それを思いやって配慮する余裕が、私にはなかった。

 疲れのせいだけには、できないよね。

 めそめそと目に涙を溜めて俯く私を、翔霏が優しく抱きしめる。


「なにを言う。私も、言い方がまずかった。麗央那が知らない風習なのだから、もう少し説明のしようもあっただろうに……」

「そうそう。それに、貰われっ子も悪いことばっかりじゃないんだぜ。邑に余裕がある年なら、翔霏みたいに余所の子を預かる場合もあるし」


 そうだ、翔霏も元々、神台邑の子ではない。

 邑の事情で養子を出すということは、逆に他の邑に余裕がないときに、神台邑が引き取るということもあるだろう。

 二人はそのことを、丁寧に説明してくれた。


「貰われて行ったとしても、親兄弟の縁が切れるわけではない。言うなれば他の邑に肉親がいるということで、それは邑同士の結びつきも強くしているんだ」

「そうそう、困ったときはお互いさまでさ。だから翼州(よくしゅう)の小さい邑同士はみんな、親戚が多くて仲が良いんだ」


 軽螢が誇らしげに言った。

 あ、これか。

 どんな物事でも、良い面と悪い面があって当たり前なのだ。

 視点を変えたり、あるいは見ている側のバイアス次第で見え方は変化する。

 白い石と黒い石を並べた、文机のようにね。


「それだけ仲が良かった翼州の田舎を、ぐちゃぐちゃにしてくれたのが、覇聖鳳なんだね」


 翔霏と軽螢が話す仲の良い邑々も、いくつかは覇聖鳳の襲撃を避けるため、移動を余儀なくされた。

 土地を放棄するということは、古くから続いてきた伝統的な暮らしやしきたりが崩壊するということでもある。

 毀損されたものをもしも計れるとしたら、とてつもない大きさであり、それは死人の数に限らないのだ。

 夢の中でそれらの思考と情報の整理を終えた私。

 居並ぶ一人一人の顔を順番にじっと見る。


「表情が澄みましたな。さては麗女史、眠っている間に霊感を得られたか」


 かつて晩秋の後宮をともに走り、私の奮闘を目の当たりにした巌力さんが声を弾ませた。

 そう、あのときと同じく、今の私は冴えている。

 全員から期待の視線を浴び、私はにやりと笑って。


「もう少しの間、休みます」

 

 自信満々に、そう言ったのだった。

 覇聖鳳の本拠地、重雪峡(じゅうせつきょう)に乗り込むことを目前にして。

 私たちに今、一番必要なのは、心と体のメンテナンス。

 そして決戦へ向けての準備である。


「それが良いや。最近、目が回ることが多すぎて体も気持ちもクタクタなんだよな」

「実は私も少し、腕や足の筋が張る感じがあるんだ」


 休息を宣言したことに、軽螢も翔霏も安心の表情を浮かべた。

 翔霏は大立ち回りが多かったから、筋肉痛を引きずったままの行軍だったのか。 

 あからさまに、がくんと肩を落とした失礼な椿珠さんが、口を歪めて言った。


「なにか良い考えでも浮かんだのかと思ったらこれかよ。もちろん、俺の立場では無理をしてくれなんて言えないからな。お前たちが休むと言うなら、それに合わせるが」

「勘違いしないでください。休むのは疲れてる私たちだけです。椿珠さんは巌力さんと協力して、情報収集と必要な資材の用意をお願いします」


 私は無慈悲に無遠慮に。

 お前たちだけは働けよ、とのパワハラ上司じみた指示を出した。

 いやホント、今の私にはわずかでも、翔霏とイチャイチャしてキャッキャウフフする時間が必要なんですよ。

 軽螢はヤギと戯れてお互いに癒し合ってもらうとしましょう。

 次の一歩、最後の一足を大きく踏み出すために、あえて私たちは休む。

 方向レバーを斜め後ろに入力し、溜めを作らねば必殺の一撃は放てない。

 椿珠さんはその必要性を、私の迷いのない表情から読み取ってくれた。


「わかった。なにかを用意しろと言うなら、確かに俺の出番だな。お前たちは休んでてくれ。で、なにが入り用だ?」

「燃料を。できれば木炭か石炭の粉を大量にお願いします」

「微粉炭(びふんたん)ってやつか。珍しいものでもないし、都合はつくだろう」

「それを重雪峡の移動集落に届けられるよう、手配してください」


 私の注文に疑念を抱いた巌力さんから、質問が飛ぶ。


「敵の邑に、わざわざ冬の燃料をくれてやるのでござるか」

「はい。私たちが持ち運ぶのは面倒だし、目立っちゃいますから」


 使う場所は決まっているので、あらかじめそこに運んでもらえばいい。

 私が意図していることに気付いた椿珠さんが、ああ、と小さい声を漏らした。


「向こうに送った燃料に、お前が火を点けるわけだな。今度は後宮じゃなく、覇聖鳳の家を焼くのか……」

「ええ。最初からそのつもりでしたので」 


 初心に還り、初志は貫徹する。

 後宮での温かい暮らしを投げ打って、私が寒風吹きすさぶ北に飛び出したのは、なんのためだ。

 覇聖鳳の家を、焼くためだよ。

 お前に邑を焼かれた私は、お前の邑を焼くしかないんだ。

 これから毎日、家を焼こうと算段を立てるぞ。

 手始めは、これだ。

 合点が行ったと頷きながらも、巌力さんは不安要素を挙げ、椿珠さんと話し合う。


「ただ送ったのでは、当然に怪しまれるであろうと思われますが」

「そこは環家(かんけ)にまつわる、俺たちの腕の見せ所だ。玉楊(ぎょくよう)が嫁入りした縁で青牙部に差し入れだとでも言って、他のものと一緒に付け届ければいい。俺たちは怪しまれていないはずだからな」

「なるほど、さすがは三弟(さんてい)。意地の悪い企みをなさるときが最も活き活きとしておられますな」

「うるせっ」


 微笑ましいやりとりをしている巌力さんと椿珠さんに、私は追加注文をつける。


「燃料に紛れて他に物資を送るなら、塩が良いです。ぜひ、塩を荷物に添えてください」

「その程度なら問題なく用意できるが、どうして塩なんだ?」


 昂国(こうこく)生まれの椿珠さんにわからないであろうその理由を、私は教える。


「ゲン担ぎですよ。敵には塩を送るものです。軍神の加護があるかもしれないので」

「塩に関する戦の神……? 聞いたことがないな。お前さんの故郷の言い伝えかなにかかい」

「そんなところです。戦国最強なので、あやかれればと思って」


 もちろん、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄の逸話だ。

 上杉謙信は、私が生まれて二人目、ヤマトタケルの次に恋した人。

 もちろん故人だし、なにより女性説が根強いので当時小学生だった私はウーンと唸ったものだ。

 成長して価値観の広がった今は、女性でも全然オッケー、むしろ女性でいてくれた方がアツい、とすら思える。

 いつか、翔霏にそう言う感じのコスプレをさせてみようか。

 うむ、こういう他愛もないことを考えながら、上手い具合にストレスを散らして行こう。


「ほんじゃま、さっそく段取りに動くとするかな。巌力、行くぞ」

「承知いたした」


 身支度して出発しようとする二人を、私は少しだけ呼び止める。


「それと、白髪部(はくはつぶ)の輝留戴(きるたい)の情報もつぶさに集めておいてください。確かもうすぐですよね、選挙会議は」

「ああ、次の新月から開催されるはずだ。下馬評では斗羅畏(とらい)が大本命だが、覇聖鳳に対する警戒線を自ら指揮してるから、不参加の可能性もある。いまいち状況が読めん」


 難しい顔をしてそう話す椿珠さんに、根拠はないけれど確信を持って、私は告げる。


「末息子の突骨無(とごん)さんの動向に、特に注目してください。斗羅畏さんが身動き取れない以上、白髪部になにか大きな動きがあるなら、必ず中心に突骨無さんがいるはずです」


 私個人としては、突骨無さんに特に含むところはない。

 けれど他の人が意見をくれたように、頭が回りすぎる人は、良くも悪くもなにをしでかすかわからないので、注意しておくに越したことはないのだ。


「言われてみれば、確かにその通りかもしれんな。なにもせずボケッと事態をやり過ごすようなタマじゃない」


 納得して、椿珠さんと巌力さんは私のお願いを実現するため、近隣にある中小の邑へと向かった。

 それを見送り、林間のキャンプ地に残された私たち。


「さ、なにして遊ぼうかな」


 私の呼びかけに軽螢が微笑んで言った。


「俺、ヤギ公の毛玉でも取ってるわ。みすぼらしくなって来ちまったし」

「メェメェ」


 トリートメントの予定が立って、ヤギも心なしか嬉しそうである。


「じゃあ余った毛玉で鞠(ボール)でも作ろうか」

「ふふ、蹴鞠なら得意中の得意だぞ」


 私の提案に、翔霏がドヤ顔を返した。

 うん、すごく上手そうなのは、見なくても分かるよ。

 そうして私たちは、面倒な仕事を椿珠さんと巌力さんに押し付けて、敵地のど真ん中でボール蹴りに興じるのだった。


「あ、軽螢、手に当たったな」

「いやいや肩だって。ギリギリで手じゃねえって」


 言い訳も虚しく翔霏にお手付きを宣告されて、軽螢は顔にマルバツの落書きをされるのであった。

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