八十七話 誇りと笑みと憎しみと
境界の邑(むら)を見下ろす、丘の中腹。
私たちは、見つからないようにじりじりと、少しずつ斜面を下る。
邑の入り口までの距離を縮めながら、斗羅畏(とらい)さんと覇聖鳳(はせお)の様子を注視する。
「でぇ? 物騒な連中を引き連れて、なにしに来たんだお前?」
定番ムーブである、馬上にあって大刀の肩担ぎ。
あいつが武器を持って騎乗し、余裕綽々の様子を見せている限り、翔霏(しょうひ)を飛び出させるわけにはいかない。
下手に襲い掛かっても逃げられちゃうし、逃げるついでに邑人を斬り倒して行くくらい、平気でやるからね。
まだ我慢。
観察と接近を、このままじっくり進めるしかない。
視線の先では、歯ぎしりの音がここまで聞こえてきそうな、怒りと憎しみに満ちた表情で、斗羅畏さんの怒鳴り声が響く。
「決まっている! 今すぐこの邑を立ち去れ! 刃向うなら相手になるぞ!!」
「坊ちゃんよお、おっかねえジジイに、勝手に突っ込むなって言われなかったのか?」
覇聖鳳は自分のペースを崩すことなく、からかうように斗羅畏さんに聞いた。
武器を手にしているけれど、リラックスしきっており、戦闘の意志はなさそうに見えた。
「親爺(おやじ)は俺に先陣を委ねた! ならば俺の判断で、貴様をこの邑から排除するだけだ!」
「お前と喧嘩して、俺サマになんの得があるってんだよ。大人しく帰ってくれってのはこっちの台詞だぜ。なあ?」
周りの仲間に軽く聞いて、覇聖鳳は笑った。
手下たちも覇聖鳳につられて、ハッハッハと楽しげな声を発する。
あいつ、なんであんなに余裕があるんだろう?
斗羅畏さんがその気になれば、踏みつぶされて挽き肉になるのは、覇聖鳳の方なのに。
「混戦になったら、止めを刺しに向かうぞ」
「うん、それはもちろん」
いつでもすっ飛んで行けるロケット花火のような翔霏の服をつまみながら、私は返事をした。
でも私は、ここで死んでもいいとでも言うような、覇聖鳳の余裕がどうしても引っかかるんだよな。
白髪部の精兵たちも全員、武器を抜いて構えているのに。
遠くで眺めて迷っている私までも、見透かしてあざ笑うかのように。
やれやれ、という表情を浮かべて、覇聖鳳は穏やかに、説き伏せるように斗羅畏さんに言った。
「ヨシ分かった。俺サマに文句があるなら相手になったろうじゃねえか。てめえら、下がってろ。邪魔すんなよ」
やる気があるのかないのかわからない、至極ユルい動作で、覇聖鳳は馬上で大刀を構えた。
同時に青牙部の番兵たちは、広がって後ずさり、十分な空間を作る。
「……な、なんのつもりだ、貴様」
戸惑いを見せる斗羅畏さんに、覇聖鳳は悪びれず言ってのける。
「なんだあ、俺サマが怖いのか? 未来の大統、阿突羅(あつら)ジジイの秘蔵っ子、斗羅畏さんともあろうお方がよ」
ガゴォン!!
覇聖鳳の挑発に、斗羅畏さんは兜を脱ぎ捨て、地面に叩きつけ、吼えた。
「辺境の匪賊(ひぞく)風情が、図に乗るなァァァッ!!」
怒髪天を衝くという言葉の勢い通り、斗羅畏さんは覇聖鳳めがけて、馬の胴を足で叩く。
斗羅畏さんと覇王聖鳳の、一騎打ち!
「お、お待ち下され御曹司!!」
「かような形で戦を切り開くことはできませぬぞ!!」
しかし、そうはならなかった。
側に控えていた白髪部のベテラン将兵さんたちが、寄ってたかって斗羅畏さんを押しとどめたのだ。
「離せ! こんな山奥のコソ泥野郎に、ここまでコケにされて黙ってられるかぁッ!!」
わめき散らす斗羅畏さん。
ニヤニヤとそのさまを眺める覇聖鳳。
「これは、ダメだな」
翔霏がチッと舌打ちして呟く。
私も全く同じ感想を持った。
この状況は、ダメ過ぎる。
斗羅畏さんでは覇聖鳳の相手をするには若く、血の気が多過ぎたのだろう。
祖父の阿突羅(あつら)さんが心配して忠告していたのは、このためか。
一騎打ちを申し出た覇聖鳳に応じないのであれば、斗羅畏さんが腰抜けだという風評がまかり通る。
でも万が一に斗羅畏さんが負けて死ぬことを想定している部下の人たちは、そんな一騎打ちをさせるわけにはいかないので、全力で止める。
覇聖鳳が仲間の兵を脇に除け、堂々と一人で立っているのに、軍勢を使って殺してしまっても。
やはり斗羅畏さんの戌族域内全体での評価が急落するだろうし、おそらく斗羅畏さんのプライドも、それを許さないだろう。
詰んだな。
と私は乾いた感想を持ってしまった。
「覇聖鳳は、斗羅畏さんの性格もちゃんと調べてるね」
「あっちゃぁ~、俺はあの孫ちゃん、結構、応援してたんだけどなあ……」
軽螢(けいけい)が頭を押さえていた。
年齢も私たちとそう離れてはいなさそうだし、一族の頭目の孫、という立場が共通していたからかな。
斗羅畏さんと同い年の突骨無(とごん)さんが老成しているだけで、年頃の若武者というのは、ああいうものなのかもしれない。
「せめて覇聖鳳の気が逸れるような騒乱が起こってくれればいいが……」
翔霏がそう願ったのが、悪い意味で通じたのか。
事態は、動いてしまった。
痛ましくも、血を見る形で。
「あ、ぐあッ!!」
どさり、と白髪部の兵の一人が、苦悶の声を上げて落馬する。
太腿を剣で刺されたのだ。
地に倒れて傷口を押さえている。
敵に攻撃されたのではなく。
「邪魔をするやつは斬る! この斗羅畏、仕掛けられた勝負から逃げることはない!!」
自分を制止する仲間を、斗羅畏さんは刺したのだ。
いくら急所を避けたとはいえ、共に戦う同胞を。
周囲が怯んだ隙に、斗羅畏さんは覇聖鳳の前、青牙部の兵が作った人の環の中に躍り出る。
「へえ……」
覇聖鳳は、仲間を傷つけてまで自分との勝負を受けた斗羅畏さんを、少し意外そうな顔で見ていた。
覇聖鳳の思惑は、わずかに崩れたのだ。
斗羅畏さんを挑発しても、仲間が止めるから一騎打ちが実際に行われることはない、と踏んでいたはずの目論見が、狂った。
予想外の事態も、まず受け止め観察する、その顔、その表情。
憎たらしいなあ。
思い出すよ。
混乱の後宮の塀の上で、お前を目にして、喉も裂けよと叫んだときのことを。
むろん、今日の私は、同じ過ちを犯さない。
「翔霏」
ぱっ、と私はつまんでいた服の裾を離す。
忍者のように足音を殺し、信じられない速さで、翔霏が丘を駆け下りて行く。
私と軽螢もその後ろを、自分なりに静かに、できる限りの速度で、追いかける。
邑の入り口では、騎馬の二人、覇聖鳳と斗羅畏さんがそれぞれの武器を手に向かい合う。
「言い残すことはあるか」
斗羅畏さんの投げかけに、覇聖鳳は、ハテな、と考える素振りを一瞬見せて。
「坊ちゃんも大変だな」
と謎の言葉を返した。
それを合図として、斗羅畏さんが突進する。
「でやああああぁぁっ!!」
「おっとっと」
ギンギン! とすれ違いざまに二合を切り結んだ二人。
斗羅畏さんが攻め、覇聖鳳が受ける形になる。
十中八九、冷静さを失った斗羅畏さんは、勝てない。
その強きは弱め易し、と誰かが言った通りだった。
けれど斗羅畏さんも、翔霏が珍しく瞠目したほどの戦士である。
戦いの中で、覇聖鳳に一瞬の隙でも生まれれば。
わずかな手傷でも負わせてくれれば。
それを見逃すほど、うちの翔霏は、甘くないぞ。
「喰らえっッ!!」
びゅうん、と音が鳴るほどの横薙ぎで剣を振るい、斗羅畏さんが覇聖鳳の首を狙う。
「危ねっ」
かろうじて頭を下げて避けた覇聖鳳の、長い髪が少し切られた。
いいぞ、斗羅畏さん頑張れ、超頑張れ。
願わくば覇聖鳳の馬を潰して欲しいんだけれど。
戌族(じゅつぞく)の掟か習慣か、斗羅畏さん個人の信念か、そういうことはしないんだよな。
斗羅畏さんを見守る将兵さんたちの声が聞こえる。
「こうなってしまった以上、御曹司に勝ってもらうしか……」
「だが、負けそうになったらどうする!?」
「突っ込むしかあるまい」
「そんなことをすればいい笑いものだ。恥じて自刃なされる恐れもあるぞ」
一騎打ちが成立しちゃったから、お仲間はもう、手助けできず見守るだけだ。
そう、白髪部、阿突羅(あつら)さん率いる一党のお仲間なら、ね。
「うおおおおおっ!!」
「あがっ」
近距離の打ち合いの中、斗羅畏さんが肩で覇聖鳳の顎をタックルし、のけぞらせた。
覇聖鳳は大刀を手から落として、眩暈を起こしたように馬上でふらついた。
「貰った!!」
好機と見た斗羅畏さんが剣を振りかぶり、覇聖鳳の頭上に斬り下ろす。
しかし。
ヒュッ、と風が切り裂かれ。
「ぐうっ!!」
乾坤一擲の斬撃は空を切り、斗羅畏さんは呻き声を上げた。
斗羅畏さんの右目に、小さな刃物、手裏剣のような投げ武器が突き刺さっている。
「おお、ジャリどもに付き合って練習した甲斐があったぜ」
体のどこかに隠し持っていた暗器を、覇聖鳳が投げたのだ。
それを見た斗羅畏さんの仲間たちが、色めき立つ。
「一騎打ちに飛び道具を使うとは!!」
「苦し紛れとは言え、戦の礼を知らんのか!!」
現場に殺到し、斗羅畏さんを助けて覇聖鳳もついでに殺そうと、突っ込もうとする白髪部の将兵たち。
「来るな!! 俺の勝負はまだ終わってない!!」
しかしそれを斗羅畏さんが一喝し、兵たちを留めた。
片目の傷くらいどうと言うことはない、とばかりに刺さっていた暗器を抜き取り、地面にカチンと捨てる。
「貴様も武器を拾え。してやられたが、二度は喰らわん」
斗羅畏さんは覇聖鳳の姑息を詰ることもなく、むしろ自分の油断を戒めているようだった。
プライドの塊も、ここまで至れば天晴だなあ。
そう思ったのは覇聖鳳も同じだった。
「お前、面白いな。こんなバカバカしいことはやめて、俺サマのとこに来ねえか? 思う存分暴れさせてやるぞ」
「寝言をほざくのもここまでだ。次で終わらせる」
空気を読まないリクルートをすげなく拒否された覇聖鳳。
心底残念そうに肩を竦ませ、馬をしゃがませて、自分で武器を拾い直す。
部下に拾わせるのではなく、自分で。
その隙に斗羅畏さんが攻撃してくることはないと、信用したのだ。
無防備を晒したのは、斗羅畏さんに敬意を表したのかもしれない。
手傷を負いつつも、むしろそのおかげで血の気が収まった斗羅畏さんが、スーと息を吐いて剣を引く。
二人を除き、時間が止まっているかのような、張り詰めて静まり返った空間に。
恐るべき速さで忍び寄る、殺意の化身が一つある。
木々を滑るように縫い進み、人垣をふぁっと一足で飛び越えて。
「あ?」
翔霏の体が自分の頭上に作った影を、覇王聖は素の驚きの声と顔で見上げた。
「死ね」
あまりに唐突、あまりの速さ。
見ている周りの誰も予見できず、理解できず、反応できない中。
翔霏の棍が、覇聖鳳の眉間に振り降ろされる。
毒串を握る手に力を込めて、私も必死でその場に駆けた。
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