八十一話 梟雄のアキレス腱

 白髪部(はくはつぶ)の南都(なんと)と呼ばれる大きな都邑(とゆう)を出発し、東に向かった私たち。

 行く先に険しい山脈がそびえる土地に、小さな邑。

 そこに、小休止のために立ち寄っている。

 色めき立った軍勢がいきなり押し寄せて来たので、邑人たちは不安がるやら、興奮してはしゃぎまわるやら。


「坊ちゃんよ、干し肉食うか?」

「なんと、翼州(よくしゅう)の応さんの孫かいな」


 先に腰を落ち着けていた軽螢(けいけい)は、老将たちに囲まれ、おやつを貰い、可愛がられていた。

 この人たらしめ、少しはその能力を分けて欲しい。


「じっちゃんを知ってるの?」


 白髪部のオジさま連が、神台邑(じんだいむら)の雷来おじいちゃんを知っている。

 そこに驚いた軽螢が聞き返す。

 神台邑の話であるなら、私も翔霏も聞きたいところなので、会話の車座に混じる。

 名前も知らない老戦士たちは、遠い日を懐かしむように話してくれた。


「南都の郊外に田畑を作るときになあ、昂国(こうこく)から指導役が来てくれたのよ。応さんもその中にいたんじゃ。もう三十、いや四十年は前の話か……」

「わしらみたいな辺境の小僧を相手にしても、ちいとも偉ぶるところのない、立派なお方じゃったな」

「そうか、覇聖鳳のやつに……」


 国境を隔てているとはいえ、翼州(よくしゅう)や角州(かくしゅう)と白髪部の領域は、隣同士のご近所さんである。

 お互いに何かしらの形で影響し合って、今の姿があるのだなあ。

 ちなみに雷来おじいちゃんの最期は、覇聖鳳たちに惨殺されたのではなく、自爆である。

 そのことを軽螢がオジさま方に話すと。


「なんと天晴な壮士か」

「わしらも死ぬときは、そうありたいもんじゃのう」

「覇聖鳳のクソガキと刺し違えてやれば、本望ってもんだな」


 ガハハハと豪快な笑い声がこだました。

 老いてなお盛んな闘志を、余計に轟々と燃やしてしまったね。

 

「そんなこと言うなよ。長生きしてくれなきゃ」

「メェ~」


 軽螢とヤギにほだされたのか、オジさまたちは揃って目を潤ませ、鼻をすすりながら酒を飲んだ。

 一方では、相変わらず渋いオーラを放ちながら鎮座して、馬乳酒をゆっくりと口に含む阿突羅(あつら)さん。

 そこに先ほどまで私たちと話していた突骨無(とごん)さんが近寄って、こう切り出した。


「おやじ、覇聖鳳の付け入る隙を見つけたかもしれん。聞いてくれるか」

「話してみろ」


 阿突羅さんの隣に座ることを許された突骨無さんが、私たちを横目で見ながら言った。


「覇聖鳳の野郎は、一つの戦場に長っ尻(ちり)をする癖がある。行くのも逃げるのも速いのに、だ」

「ふむ」


 興味を持った顔で、阿突羅さんは話の続きを促した。


「神台邑にしたって、やけに丁寧に焼き尽くした。皇都を襲ったときもそうだ。やっこさん、しくじりは目に見えていたのにギリギリの際まで退却しようとしなかったらしい」


 難しい顔をして聞いている阿突羅さんが、ぽつりと呟く。


「戦場を愉しむ男か、覇王聖鳳は」


 まるで実際に見たかのような、鋭い洞察だった。

 そう、覇聖鳳は混沌極まる修羅場と、その果てにあるカタルシスに、快楽を覚えるタイプなのだろう。

 私がぼんやりと思っていたことを、明確に言語化してくれた突骨無さんと阿突羅さん。

 本当に、百戦錬磨の闘士なのだなあ。


「そういうことだ。ほんの少し遅ければ、駆けつけた翼州の軍にぶち殺されてたって話だな。ほら、おやじも知っているだろう。軍師の除葛(じょかつ)と、司午(しご)のボンだよ。あいつらが覇聖鳳を追い詰めたらしい」

「ふむ……」


 深刻に考える顔を崩さず、ちびり、と酒を口に含む阿突羅さん。

 おそらく突骨無さんの方が、玄霧(げんむ)さんより年下なのだろうに。

 ボンボン呼ばわりしているのが、私には面白かった。

 いいところの生まれ育ちと言う雰囲気が、玄霧さんは強く滲み出ているからね。

 角州(かくしゅう)で生まれ、翼州の軍に在籍している玄霧さんは、白髪部のみなさんにとっても身近な相手なんだろうな。

 聞いた話を総合して。

 だからこそ、と言える意見を、阿突羅さんは慎重に言葉にする。


「それほどの死地に遭って、生きて逃げたということが、覇聖鳳の油断できぬところであろう」


 まったくもって、その通り過ぎる。

 そして、突骨無さんの目をじっくり見て、続けて問うた。


「お前なら、あれらの猛者を敵して、五体無事に延びることができるか」


 厳しい父の質問に、肩を竦める突骨無さん。


「最初から逃げるつもりなら、なんとか間一髪には。他に気を取られて場がごちゃついたら、まず無理だ。司午のボン一人でも俺の手には余るのに、首狩り軍師まで横についてちゃ生きる目はない」


 突骨無さんは、自分ならその状況を打破できないと、素直に認めた。

 良かったね玄霧さん! 

 白髪部の中で、あなたの評価は、すごく高いよ!

 虚心でそれを正直に言える、力の入り過ぎていないところが、突骨無さんの美点なのだろう。

 その上で、自信たっぷりにこう重ねた。


「覇聖鳳は厄介で獰猛な男だ。しかし、それならやっこさんが弱くなるように、エサを用意してやればいい。夢中になって、骨までしゃぶりたくなるような、でっかいエサをな」


 相手が強いなら、弱くしてやればいいという兵法だな。

 なにも、戦争に勝つために世界最強になる必要はない。

 戦う時点で、自分の方が相手より少しだけ強ければいいのだ。

 しかし問題は、その策の内容である。

 実現不可能なら、あるいは効果が見込めないなら、食われるのはこっちなのだから。


「ならば、どう攻める」


 阿突羅さんの言葉に、ぐいと体を寄せて突骨無さんは答える。


「先行している斗羅畏(とらい)に、東部の集落の輝留戴(きるたい)の票、委任状をまとめて持たせるんだ。輝留戴の票数に固執している覇聖鳳は、必ず食いついてくる」


 うお、そんな手が。

 確かにこの戦争は、覇聖鳳が族長選挙の票のために東の邑を占有したことに端を発している。

 邑人(むらびと)から正式に投票の委任状を預かった覇聖鳳を、輝留戴の会場でぶち殺すわけにはいかない。

 それは正当な選挙を穢(けが)す行いだからね。

 要するに選挙を前にした覇聖鳳は一つでも多くの邑から委任状を手に入れたいわけで、それをノコノコと無防備で持ち歩いている相手がいたら。

 十中八九、奪うためになにかしら、仕掛けて来るだろう。

 覇聖鳳の性格から弱点を導き出し、今この場で計画できる範囲の中から、最大限の効果を見込める策略を、スイっと出してしまえるなんて。

 え、突骨無さん、なにげに凄いな?

 とは思うけれど。


「で、でもそれって、斗羅畏さんを、囮にするってことじゃないんですか?」


 つい、私は口を出してしまう。

 囮として投票の委任状を持ち歩いている斗羅畏さんが、もしも覇聖鳳に丸呑みされてしまったら。

 覇聖鳳は各地の委任状を手に入れて、堂々と輝留戴に乗り込んでくるじゃないか。

 私の異議に対して、突骨無さんはきょとんとした顔で。


「そうだが?」


 と答えた。

 ふむー、と深く頷いた阿突羅さんも。


「覇聖鳳が斗羅畏に執着しているうちに、逃げ道を塞ぐのが、上策か」


 納得して、その案を採用している。

 やっぱりこの人たち、根っからの戦闘民族だったよ!!

 もちろん、それだけ斗羅畏さんが信頼されていることのあかしなのだろうけれど。

 座の端っこに立ち、それまで黙って話を聞いていた翔霏(しょうひ)。

 彼女が腕を組み目を閉じながら、自分勝手な異議を申し立てた。


「斗羅畏というあの男に、首尾よく覇聖鳳を仕留められては困る」


 あ、翔霏の見立てでは、囮の斗羅畏さんが、状況次第では覇聖鳳に勝っちゃうかもしれないと思っているんだ。

 たった一目見ただけなのに、翔霏の中での斗羅畏さんの評価、随分と高いなあ。

 その意図がわからない、周りで聞いている人の唖然とした表情をよそに、翔霏のワガママは止まらない。


「あいつにトドメを刺すのは、私と麗央那(れおな)だ。獲物を横取りされてはかなわない。私たちも斗羅畏という男の先行軍に合流させろ」


 空気を読まないで自分の都合だけをごり押しできる翔霏さん、素敵!

 やっぱりどんな屈強な男たちよりも、翔霏が一番カッコいいよ~。

 言ってる内容は、ただの意地っ張りで後先を考えない、子どもなんだけどね。


「嬢ちゃん、跳ね返るのも結構だがな、戦ってもんを少しは学べよ」


 一人の老将が、本心からの親切でそう言ったのだろうけれど。


「知らん。覇聖鳳の首がもう間近なんだ。邪魔をするならお前たちを薙ぎ倒して、馬をいただいて私たちは行く。これ以上のおあずけはたくさんだ」


 ざわ、と周囲の空気が震える。

 突然現れた小娘一人にここまで言われて、黙っているような腰抜けはこの場にはいない。

 うわ、一触即発かな、と私が思っていたら。

 やれやれ、と軽螢が溜息を吐いて、立ち上がった。

 翔霏を制止しようとはせず、居並ぶ将兵に申し訳なさそうに、こう言うのだった。


「あー、残念だけどコイツ、瞬きをする前にみなさんの骨を折るくらいは平気でやるやつなんで、言う通りにしてやってくれねえかな……」

「メエ、メェ」


 そうだそうだとヤギも言っています。

 知らんけど。

 唐突に緊迫した睨み合いが始まってしまった中。

 軽螢とヤギが空気を柔らかくはしてくれたけれど、翔霏の意志と、居並ぶ将兵たちの意志が噛み合わないことを、解決してはくれない。

 そんな危うい場を収めてくれたのは、やはりと言うか、戌族(じゅつぞく)白髪部において、随一の和やかで丸い性情を持ったその人だった。


「おやじ。俺がこいつらと行くよ。さっき言った策を斗羅畏と一緒に仕上げなきゃならんしな。後詰めはよろしく頼む」


 突骨無さんは今度は私を馬の後ろに乗せ、翔霏と軽螢に一頭の馬をあてがい、出発の準備をする。


「いいだろう。此度の戦は、お前たちのものだ。存分に舞って見せろ」


 大きな度量で私たちの要望を聞き入れてくれた阿突羅さん。

 こうして私たちは、先を進む斗羅畏さんの軍を追いかけるのだった。

 あ、危なかった~~!!

 渡し船の直後と言い、翔霏と白髪部のみなさん、なにげに相性が悪いかも。

 と、冷や冷やしながら思う私であった。

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