六十六話 想いよ、壁に閉ざされず広く飛べ
眠れたような、そうでないような曖昧な夜が明けた。
私は土壁にボコボコと空いた穴から差し込む朝日に正対し、大きく伸びをする。
ラジオ体操第一を途中までこなしていると。
「なにかの拳法か?」
寝ぼけまなこの椿珠(ちんじゅ)さんに見られて、恥ずかしい突っ込みを受けた。
「うちの地元では、子どもから老人までみんなが体得している、健康の踊りです」
「そりゃあ、よほどの道場か流派だな。誰だって長生きはしたい、か」
なにか商売や遊びのネタを思いついたのか、椿珠さんが顎に指を当て、悪い顔で笑う。
いずれ、毛州(もうしゅう)を中心として、謎のくねくね舞踊が大流行するかもしれない。
そんなフラグが立った瞬間であった。
「私たちは周囲も含めて全体的に調べる。手が必要ならその都度言ってくれ」
翔霏(しょうひ)と軽螢(けいけい)は、砦周りを大まかに調べてくれる。
戌族(じゅつぞく)が残した痕跡の中に、なにかめぼしいものがないかを探るためだ。
私と椿珠さんは、昨日の打ち合わせ通りに、砦の内部、特に壁際の調査だ。
「同じ地点からそれぞれ反対方向に出発しましょうか」
あくまでも時間効率の合理性から、私はそう提案したのだけれど。
「いや、二人分の目で一緒に見ながら丁寧に調べた方が良い。些細なものでも見逃さないようにな」
椿珠さんにそう言われて納得。
なるほど確かに私一人で見て調べても、環(かん)貴人が残したほんのわずかなサインは見逃してしまうかもしれない。
決してバカにしてたわけじゃないけれど、結構賢いな、この人。
それだけ環貴人の手掛かりを見つけたいと、本気で思っているのだろう。
きょうだいっていいなあ。
一人っ子の私は少し、羨ましい。
「獣の骨がここに集中してるってことは、おそらく覇聖鳳(はせお)含めた幹部連中がここで食事をしてたんですね」
砦の中にいくつかある焚火跡の中で、最も食べかすの獣骨が固まっている地点から調査を始める。
壁際に椅子代わりの岩が転がっているので、覇聖鳳はここに座って肉を食べながら、仲間の様子を見ていたに違いない。
傍らに、環貴人を侍らせていたか、どうか。
「琵琶の弦だ……」
岩の下に、椿珠さんが二本の細い物体を見つけた。
気を付けて見ていないとまず見逃したであろうそれは、彼の言うように、環貴人の使っていた琵琶の弦なのだろう。
私は状況を頭の中でシミュレートする。
「ここで覇聖鳳はご飯を食べながら、隣に環貴人を座らせて琵琶を弾かせていたんでしょうか」
「おそらくな。演奏途中で弦が切れたんだろう。ぶら下がっていては邪魔になるから、外してここに捨てたのか……」
考えの途中、椿珠さんは黙りこくってしまった。
想像としては妥当と思えるこの解釈だけれど。
「なにか、おかしいことでも思い当たるんですか?」
「玉楊(ぎょくよう)は、調子の悪い弦を無理にかき鳴らして切ってしまうなんて、そんなヘマをするやつじゃない。切れそうな弦を避けて弾いても、曲をちゃんと成立させるほどだ」
「スゴッ」
五弦のうち四弦しか使わずに、臨機応変に演奏できるなんて。
音楽はからっきしな私には、まったく異次元の技術だった。
宮中に並ぶものなき琵琶の名手という、銀月(ぎんげつ)太監の評は、ただのお世辞ではなかったんだな。
要するに環貴人は、いつもはしない不手際を、ここではしてしまった、と言うことだ。
覇聖鳳に連れ去られてしまうという、平時ではない状況における精神的な不調が原因なのか。
それとも、わざとこの場所で琵琶の弦を切り落とし、意図的に残して行ったのか。
引き続き、他の場所も調べている最中。
私たちは土壁の亀裂の中に、赤く光るものが埋め込まれているのを発見した。
「紅玉だ」
椿珠さんが壁の隙間からほじくり出して、掌に乗せた、名前通りの小さな紅い玉。
鋼鉄の短刀でほじっても表面に傷一つない。
鉱物的な分類では、赤色透明コランダム。
一般的に知られる名前はルビーである。
この世に存在する物質で、ダイヤモンドに次いでひっかき硬度の高い鉱石であるそれは、金属でひっかいても傷付くことはない。
宝石の女王とも呼ばれ、当然、滅茶苦茶な高級品だ。
こんな貴重なものを覇聖鳳たち戌族がポポイと捨てて行くわけはないので、ここに残したのは環貴人の意志である可能性が極めて高い。
でも、と私は少し、思うところがある。
「環貴人は、目がお見えになってませんよね? 残された宝石が赤色であることに、意味を持たせられるでしょうか?」
自分がここに嵌め込んだ石が血のように赤いことを、環貴人本人が認識しているかどうか、ということだ。
私の疑問に対して、難しい顔をして椿珠さんが答える。
「玉楊は指の感覚で、自分の持ち物についてはしっかり把握しているはずだ。おそらくこの石が紅いこともわかっていてここに埋めたのだと思う。あくまでも俺の想像だがな」
その後も砦の中を夢中で調べていたら昼になり、翔霏と軽螢も交えて一旦、休憩を挟む。
食べながら情報交換だ。
「ビワって言えば、花が咲くのは冬だよな。この辺には咲いてないみたいだけど」
残り少ない食料を大事に味わうように食べ、軽螢がなんとなしに言った。
楽器の琵琶ではなく、植物、果物のビワの話だ。
「たまには食いたいな……」
翔霏も果汁溢れるビワの実を思い出したのか、喉をゴクリと鳴らした。
美味しいよね、ビワ。
食べると手とか口の周りがベッタベタのギットギトになっちゃうけど。
「お前たちの方はなにか収穫あったか?」
小食な椿珠さんは、炒った豆を適当にポリポリつまんでお酒を飲んでいるだけ。
今日は蒸留酒ではなく濁酒(どぶろく)らしい。
秩父のお爺ちゃんがよく作ってたなあ、と懐かしい気持ちになる。
お爺ちゃんも椿珠さんも、酒は穀物から作ってるから実質穀物、とでも言うかのように、ごはん代わりにお酒を飲むタイプだな。
椿珠さんの質問に翔霏が返す。
「州軍もこの砦の周りを一応は調べたようだな」
そう言って私たちの前に、銀色の組紐を見せた。
綬(じゅ)、とも呼ばれるそれは、官位にある人の服などに結わえつけられ、勲章や位階などを示す印章を留める紐になる。
役人さん、軍人さんの服から剥がれ落ちた組紐が、ここに落ちていたのだ。
軽螢がそれを受けて続きを話してくれる。
「外の壁際に乾いた血だまりがあって、近くに沓(くつ)が転がっててサ。多分だけど、覇聖鳳が手下の誰かをここで殺しちまったんだろうな」
「なにがしたいんだよあいつ」
行くところ行くところで人を殺しているイメージしかない宿敵に、私はもうすっかり呆れ果てる。
軽螢が首をひねりながら返してくれた。
「怪我がひどくてもう歩けなくなったのか、覇聖鳳と揉めて殺されたのかは知らンけどね。血飛沫の流れた方向から見て、首を刎ねられたっぽいな」
翔霏が現場の様子を詳しく補足する。
「死体がないということは、州軍が片付けたのか、クマや怪魔が持って行ったかだろう。食い散らかした残滓が見当たらないので、おそらく前者だ」
などなど、砦の外側の状況を二人は話してくれた。
お互いの情報を交換し終わって、翔霏が改めて、真面目な声色で言った。
「そもそもの話として、だが」
私と椿珠さんを交互に見つめて、翔霏の視点が語られる。
「連れ去られたお妃は、自分を取り戻しに麗央那や家族が動いているとは思っていないはずだ」
「それは、そうだね」
あのとき、翔霏も覇聖鳳の元へ行く決意をした環貴人の行動を見届けていた。
環貴人が後宮の暮らしに見切りをつけて、ある意味で納得して覇聖鳳と共に北に去ったことは、誰の目から見ても事実なのだ。
取り戻して連れ帰るというのは、私や椿珠さんの勝手な希望に過ぎない。
「だからこの砦に残されたものは、自分を追いかけて欲しいと思って置いて行ったものではあるまい。なにか、別の意志が働いているはずだ」
「追いかけて来て欲しいというのではなく、別の、考えか……」
椿珠さんがお酒を飲む手を止め、黙考する。
環貴人の、考えとは。
遠くへ離れて行くとしても、環貴人が後宮やご実家の安寧を願う気持ちに、変わりはあるまい。
自分を助けて欲しいという気持ちではなく、環家や昂国(こうこく)のためという、大きな視点で、ここにメッセージを残したのだとしたら?
「考えが近視眼的になっちゃってたかな」
反省の弁を述べる私。
塀に囲まれた朱蜂宮(しゅほうきゅう)で暮らしていたから、というわけではないだろうけど。
どうも目の前のことや自分の考えで、いっぱいいっぱいになっていたか。
自分の身の置き場ではなく、戌族や昂国について、大きな考えがあって、環貴人はこれらのアイテムを置いたのかもしれない。
もっと視点を高く、視野を広く持って、環貴人の残したメッセージについて考えないと。
「赤と言えば」
椿珠さんは手持ちの地図を広げて、昂国八州の北に広がる草原部分を指で示し、言った。
「毛州と国境を接して交流している『黄指部(こうしぶ)』の、さらに北側に『赤目部(せきもくぶ)』という連中がいるな」
戌族全体は大きく分けて、五つのグループで構成されている。
覇聖鳳が率いる青牙部と別に、黄指部、赤目部、白髪部(はくはつぶ)、黒舌部(こくぜつぶ)が存在する。
五者はときには互いに牽制したり、ときには仲良くしたりと、流動的な関係にあると、中書堂の資料から私は知った。
「確かにその石、赤い目みたいだもンな」
綺麗な石集めが好きな軽螢が、物欲しそうな顔で椿珠さんの持つルビー玉を眺める。
さすがにいくら気前が良くても、環貴人との大事な繋がりの品だから、くれないと思うよ。
他にも思いついたことがあるのか、椿珠さんは続けた。
「お前らがさっき果物のビワの話をしていたが、ビワは尾州(びしゅう)の特産品だ。有名な首狩り軍師を輩出した、除葛(じょかつ)氏の本拠地だな」
「尾州と言えば、また反乱が起きるかどうか、微妙な話がありましたね」
切れた琵琶の弦。
尾州に漂う不穏な空気。
「ビワの花色である白も、尾州の旧王家を象徴する色だ」
椿珠さんがそう教えてくれて、私は考えをめぐらす。
白いビワの花と、宝石の赤。
南西の尾州と、北方の赤目部。
なにかしらの対応や対比を暗示しているのかも。
特に昂国の観念では、二つの物事を対比、対応させることが好きだし。
「あくまでも私の想像になっちゃいますけど、いいですか?」
前置きして、私はこの砦の中で調べたことと、今までの自分の考えを止揚して語り始めるのだった。
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