最終話② 二人で紡ぐ未来 ※拓海視点

 飛鳥曰く「イルミネーションが瞬く夜の街は、未来ある恋人たちの物」


 そんな未来ある恋人たちの仲間入りを果たした拓海と飛鳥は、クリスマスイブに夜の街を歩いていた。

 手を繋ぎ、ぴったりと寄り添い合いながら――。


 ――2023年12月24日——


 体にぴったりとフィットした白のニットワンピースに、Aラインの赤いコート。

 黒のショートブーツに、ファー付きのマフラー。

 そんな気合の入ったコーディネートの飛鳥は、豪奢なイルミネーションよりも眩しかった。

 特に彼女を輝かせていたのは、何と言っても胸元で輝く給料3か月分(ボーナス一括払い)だろうと思うのは自惚れだろうか。

 まだサイズの合わないぶかぶかのリングは、今の所ネックレスになっている。


 半ば衝動的にこの指輪を買ったのは、10日ほど前の事。


 勤務時間中、ジャージ姿で結城俊介がプールサイドにやってきたのはキッズクラスのレッスンをしている最中だった。

 スタッフとの密接なコミュニケーションとやらを課題にしている結城は、こうしてちょくちょくプールサイドにやってきて。


 会員の子供たちの様子や、スタッフの働きぶりを一通り視察していなくなる。

 それが日課だったが、あの日は違った。


 結城は拓海の耳元で「後で社長室に来い」と告げたのだ。

 それは、中高生時代によくある「お前、後で校舎裏に来いや」という呼出し的なやつだと思った。

 なぜなら、結城がしょっちゅう飛鳥を社長室に呼び出しては、どうでもいいような作業をさせているのを知っていたからだ。

 あいつは絶対飛鳥を狙っている。

 拓海の存在が気に食わないのだ。


 言われた通り、社長室に行くと結城はこう言った。


「君がいつまでも飛鳥さんと宙ぶらりんな関係を続けるなら、僕が彼女にプロポーズします。今の彼女はとても幸せそうに見えない。僕が彼女を幸せにする。

 結婚する気がないなら少しでも早く彼女を解放するべきだ。

 それが君にできる精いっぱいの誠意だろう」


「は?」

 ふざけやがって。と思ったが相手は社長。

 震える拳を握り潰して


「話はそれだけですか?」


「ああ、そうだ」


「では失礼します」

 と社長室を出てしまった。


 咄嗟に、何も言い返せなかった。

 後から怒りと情けなさがふつふつと沸いて来て、あの時、殴り掛からなかった事を心から後悔した。


 その日の仕事はちょうど早番で、5時に退勤した拓海は、その足で街へ。

 目当てのジュエリーショップへと向かったのだ。


 しかし、ずっと飛鳥の機嫌は思わしくなく、話しかける事すら憚れるような状態で「結婚しよう」なんて、なかなか言い出せずにいた。

 なぜ怒ってるのか、なぜ笑顔が消えたのか、あの時の拓海には皆目見当もつかなかったが、一つだけ分かっていたこと。

 それは――

 飛鳥を誰にも渡したくない。手放したくないという自分の気持ちだった。


「ここよね?」

 飛鳥が近代的なビルの前で立ち止まる。

 高級そうなゴールドのイルミネーションに彩られたビルに、思わず尻込みしそうになった。

「ああ、そうだね。ラバーズってここの最上階」

 奇跡的に、キャンセルが出たとやらで予約が取れたホテルのラウンジ。

 初めての二人でのデートは、何らかの理由で辞退した恋人たちが空けた席。

 注文していたらしいディナーコースもそのまま引き継いで、無事クリスマスらしいデートとなった。


 ただ――。

 昨日に増して、飛鳥の体調は悪そうだった。

 何度も無理はやめようと言ったのだが、飛鳥は珍しく聞き入れない。

 まるで、もう二度とこんな日は訪れないかのように、この日のこの時間に執着を見せていた。


 席に着き、料理が運ばれると、彼女は一層口元をおさえて吐き気に耐えている様子。


「どうしたの? 具合悪い? 帰って休んだ方がいいんじゃない?」


 彼女は断固拒否する。


「いやよ、大丈夫」

「またいつでもデートできるじゃん」

「今日じゃなきゃダメなの」

「どうして?」


 飛鳥は急に神妙な顔をした。

 拓海に不安が押し寄せる。


「二人きりで過ごせる最後のクリスマスイブだから」


「え? どういう事?」

 プロポーズはOKしてくれたんだよね?

 そんな疑問が胸を騒がせる。


 飛鳥は少し回りを気にした後、こう言った。


「来年から、二人じゃなくなるから」


「え? どういう事?」


「三人になるかもしれないから」


「え? え? 三人?」


 まさか――。


「社長と三人って事?」


「バカね」


 飛鳥は呆れて笑う。


「赤ちゃんが、できたのよ」

 ピアノジャズが流れるかしこまった空間に、拓海の歓喜の雄たけびが響き渡った。


「うぉおおお!!!!!」


 子供が欲しいなんて思っていたわけではなかったが、二人の間の絶対的な絆が生まれたような気がして、気持ちが昂った。


 ◆◆◆


 これまでどこか他人事だった、「高齢出産」という言葉もすっかり日常となり、飛鳥の体調の変化や不良は逐一ネットで検索し、妊婦検診もできる限り共にした。


 担当医の話では、飛鳥は健康そのもので、気を付けるに越した事はないが、気にしすぎる必要はないと言っていた。


 出生前検査というものがあり、心配ならと勧められたが、二人で話し合った結果しない事にした。

 今後、飛鳥が妊娠する確率を考えると、自分たちが子を持つチャンスは最後だろうと思う。

 例え何らかのハンデを持って生まれて来たとしても、日頃、そういう子供をスイミングで指導している拓海にとっては、特別な事とは思えなかったのだ。


「きっと、俺たちなら大丈夫だよね」


 飛鳥は澄んだ笑顔でこう答えた。


「そうね」



 そして、飛鳥は今、分娩代にいる。


「子宮口全開です!」

 助産師がそう拓海に告げた。

 うだるような暑さが続き、連日ニュースでは最高気温更新を告げていた2024年8月18日。


 ついに、拓海と飛鳥のベイビーが、この世に誕生しようとしている。


 飛鳥はなんの問題もなくこの日を迎えたが、陣痛はおよそ10時間。

 どんどん強く、間隔が短くなっていく痛みに、拓海もずっと寄り添い続けた。


 あの苦しみがようやく終焉を迎えるのかと思い、胸をなでおろす。


「飛鳥は、これでようやく、あの痛みから解放されるんですね!」


「お父さん。何言ってるんですか? 本番はこれからですよ」


「え?」


「さぁ、入ってください。立ち会うんでしょ?」


「あ、ああ、はい」


「ああああーーーー、うううがあーーーーー」

 先ほどからホラー映画さながらのうめき声が廊下まで聞こえてはいたが、まさか――。


 何かに取りつかれたように、分娩台で呻いていたのは飛鳥だった。


「あ、飛鳥」

 ナースに促されて、飛鳥の枕元に立った。

 ここから、赤ちゃんの出口は見えない。


「飛鳥。頑張れ!」

 そう言って、手を握ると痛いぐらいの力で握り返し。

 ぎっとこちらを睨みつけ、汗だくの顔でこう言った。


「もういや! 頑張りたくない!」


「そんな事いわないで、一緒にがんばろう。俺も頑張る」


「ああああーーー、うぎゃああああ……」


「坂口さーん、もう少しですよ。はい、ひっひっふー」

「ひっひっふー」

 拓海も一緒にラマーズ法。


「はい、ひっひっふー。はい! いきんで!」


「んんんーーーーーーーーーーーーーーー」


 汗と涙でぐちゃぐちゃになった真っ赤な顔。

 こんな飛鳥を見たのはもちろん初めてだが、拓海はそんな彼女を、世界で一番美しいと思った。


 飛鳥が痛みに呻くたび、拓海もなぜかお腹が痛くなる。

 緊張からくる胃腸障害なのだろうが、痛みを共有しているみたいで、なんだか役に立ててるような気分にもなった。


「俺も、お腹痛い」


「ああ? ああーーーーーーーー、うぎゃああああーーーーーーーー……」



「ふぎゃあ、ふんぎゃああ」

「生まれましたよー。元気な男の子」


 ――は! 生まれた。

 その瞬間、重力に従うように、大粒の涙がぼたぼたと床に落ちた。


「おめでとう」

「よく頑張ったわね」

 助産師やナースたちが口々に飛鳥を労った。


「飛鳥ぢゃん……うぐぅ……おめでとう。頑張ってぐれでありがとうー俺の子供、産んでぐれで……ありがどーーー、うっうう……」

 とめどなく溢れる涙と感謝の気持ち。

 色素を失くした顔で、飛鳥は拓海に優しく微笑んだ。


「拓海。ママにしてくれて、ありがとう」


 その言葉で、更に涙が溢れた。



 ◆◆◆



 既に男の子だと知った日から、名前は決めていた。


『坂口海飛かいと

 いわずもな、拓海と飛鳥から一文字ずつ取った。


 すくすくと順調に成長する我が子を、何度「天才!」と思った事か。

 顔は飛鳥ににて美形。

 お風呂でバタバタと足をバタつかせる姿を見て、水泳選手になる才能が見えた。


 ――海飛、2歳6ヶ月——


 今日彼は、スイミングスクールデビューを迎える。


 拓海の唯一の懸念は、海飛が思いのほか、結城社長と舞香に懐いてしまっている事である。



 完


あとがきに続く

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