最終話① カッコ悪いプロポーズ

「拓海せんぱい!」

 舞香の嬉しそうな声。


「拓海……どうして?」


「ハァハァ、瀬野さんに、ハァハァ、電話したら、ちょうど、飛鳥が……」

 そう言えば、事務所に入った時、美里は電話中だった。

 電話の相手が、拓海だった?


「それで、全力で……走って来た」


 ドアの向こうで、美里が飛鳥に向かって両手を合わせ、ごめんと片目をつぶった。


 拓海の背後には、野次馬と化したインストラクター達。

 素知らぬ顔をしながら、チラチラとこちらに視線を送っている。


「どうしても、言わなきゃいけない事があって……。いい?」


「うん、なに?」


 拓海は両手をぎゅっとグーに握って、ハァ、ハァと呼吸を整え、ぐつっと唾液を飲み込んだ。


「あの、その……ごめん」


 情けない顔で、飛鳥に頭を下げた。

 ぎゅっと胸が苦しくなる。

 けじめを付けに来たのだろうか?

 わざわざそんなのいらないよ、拓海。


「俺は、今まで、全然飛鳥の気持ち、考えてなかった。好きでいるうちはずっと一緒にいられるものだと思っていて、このままじゃダメなんだって、わからなかったんだ」


「うん、いいのよ。大丈夫よ」


 拓海はポケットから何やら小さな箱を取り出したかと思ったら、飛鳥に背中を向けた。

 その箱を右手に持ち、高く掲げた。

 インストラクター達が、拓海に注目する。


「俺はーーーー、今から!! プロポーズします!!!」

 と、声高らかに宣言した。

 それはまるで、飲み会で一気飲みを宣言する若者その物。


 一瞬、事務所内を静寂が横切ったが、体育会系の若者たちはすぐに騒ぎ出す。

「やったれーーー!」

「ひゅーひゅーーー」

「おーし、頑張れ!」

「いいぞいいぞーーー」


 熱を持った心臓がバクバクと暴れ出す。


 恐らく、ここにいる全員が、舞香にプロポーズするのだと思っているはずだ。

 もしかして、まさか本当に舞香にプロポーズ?


 そんな事を考えると、膝が震え、毛根から変な汗が染み出してくる。


 隣に立っている舞香は、幸せそうに顔を紅潮させて、お祈りみたいに胸の前で両手を組んでいる。

 この状況で、目の前で舞香にプロポーズされたら、死のうと思う。


 意を決したように、拓海がこちらに向いた。


「本当は、明日渡そうと思ってたんだ」

 そう言って、箱を飛鳥の前に差し出した。


 ――え? うそ……


 拓海の背後でざわつく仲間たち。


「は? 柊さん?」

「え? そっち?」

「マジか」

「やっぱりね」


 そんな声に、拓海は動じない。まっすぐ飛鳥を見据えている。


 真っ白いギフトボックスにはゴールドと赤の上品なリボン。

 有名なジュエリーショップのロゴが入っている。


 ――拓海が? 今から? 私に? プロポーズする?

 飛鳥の戸惑いは、拓海には伝わらない。


「俺は、今まで飛鳥しか好きになった事がなくて、これからもずっと飛鳥の事が好きで……あの、愛してて、その……飛鳥じゃなきゃダメなんだ。

 だから、どこにも、行かないで。

 俺と、結婚してください。

 結婚するまでずっと恋人でいてください!!」


 しどろもどろで、たどたどしい。一生懸命でダサくて、可愛らしいプロポーズに思わず笑いと同時に、滝のような涙があふれ出す。

 こういうスマートじゃない所、好きだったなぁ。


 心の奥底では嬉しくてたまらないのに、今すぐ拓海に何もかも委ねたいのに。

 体は躊躇ためらう。

 ただただ、無意識に頬を伝う涙を、中指で拭った。


「私で、いいのかな? あなたのお嫁さんが、こんなおばさんで……」


 拓海はぎゅっと閉じていた目をぱっと見開き、首を横にふった。

「飛鳥はいつもきれいで可愛いよ。俺は、飛鳥じゃなきゃイヤだ」


「拓海先輩、ひどーーい! どうして?」

 二人の間に泣きながら乱入する舞香。

「はいはい、舞香さんはこっちねー」

 美里が飛んで来て、なだめながら半ば強引に連れ出した。


 それを苦い笑いで見届けて、拓海はギフトボックスの箱をゆっくりと開けた。

 その中には赤いビロードの四角い箱。

 拓海は、更にその箱の蓋を上げた。


 潤んだ視界に、小さなダイヤが映る。

 照明に反射して真っすぐな光を放っていた。


 ――指輪。


「私が、もらっていいの?」


「うん。飛鳥のために買った。本当は明日、プロポーズしようと思ってたんだ」


 飛鳥は涙でぐちゃぐちゃになった顔を両手で覆って、思わずその場にぺたりと座り込んだ。

 込み上げる感情を処理しきれない。

 決して言葉にしてはいけないと思っていた泡沫うたかたの願望が、今、目の前で形作られているのだから。


 ――私が求めていたのは、未来のない、ただ甘いだけの日々ではなかったんだ。永遠に続く約束だったんだ。


 そんな事に、今頃気が付いた。


「飛鳥さん、頑張ってー!」

 美里の声が聞こえて、更にぐっちゃぐちゃになる。


 いつの間にか隣に屈んだ拓海が、飛鳥の左手をぎゅっと掴んだ。

 おもむろに、自分に引き寄せて、薬指にリングを通してくれた。


「あれ? ちょっと大きかった」

 焦る顔が可笑しくて、つい笑顔がこぼれる。

 ぶかぶかのリングが落ちないように、拓海は自分の手のひらを重ねて指を絡めた。

 恋人のように繋がった手が、温かい。

 薬指に収まったリングを満足そうに眺めた後、再び視線を飛鳥に戻した。


「飛鳥の恋人は、これからもずっと、俺でいいですか?」


 視界はまるで水の中。そこに映る拓海の瞳をまっすぐに見つめ返して、力強く頷いた。


「君じゃないと、イヤです」


 ヒューヒューと仲間たちの歓声が沸き上がる中、拓海は飛鳥の涙を隠すように抱きしめた。

 拓海の首筋の熱を、額が移し取る。


「キース、キース、キース」

 興奮して盛り上がる野次馬たち。

 拓海はそれにつられて、飛鳥の顎に指を添え、顔を上げさせようとする。


「いやよ、こんな所で……」

 拓海を押しのけようとしたが、強い力で抱きしめられた。


「キース、キース、キース、キース、キース……」

 次第に大きくなるキスコール。


 拓海の温かい唇が、そっとおでこに触れた直後。

「ヒューヒュー」

「おめでとうーーー!」

 事務所内はまるでお祭り騒ぎと化し、二人の間には、シャルドネの甘い香りが漂っていた。



・・・・・・・・・・・・・・・


明日、完結です!

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