Episode3

第1話 予期せぬ終焉と再生

 俊介が社長に就任して数週間が過ぎた。

 街はクリスマス色が濃くなり、華やかに彩られている。


「柊さん。社長室から内線です」


「ありがとうございます」


 受付カウンターではもうすっかりお馴染みの光景になっている。

 当初こそ、興味津々に熱い視線を向けていた美里も、今では振り向きさえしない。

 寧ろ、露骨にため息を吐き、不快な表情を見せる。


「はい。柊です」


『飛鳥さん。ちょっと社長室に来てもらえますか? お手伝いしてほしい事があるんです』


「承知しました」


 電話を切り、美里に声をかける。


「ごめんね。ちょっと行って来る」


「またですかー? 一体社長と何やってるんですか? 毎日毎日」


 毎日毎日と言われる程でもない。

 週に2,3回程度の事だし、別にやましい事もない。

 ただ、多い日は一日に数回に及ぶ事もあるので、傍目には頻繁に感じるのだろう。


「書類の整理とか、新商品のサプリメントの試食とか、会食の会場どこがいいかとか、そういうのよ」


「どうしていつも飛鳥さんなんですか? 他の社員でもよくないですかー?」


「私もそう思うけど、元々ちょっとした顔見知りだったから頼みやすいんじゃないかな」


「秘書でも雇えばいいのに」

 美里は心から不愉快そうに、PCに向き合った。


 そう言えば、社長就任後すぐに、秘書にならないかと打診があった。

 経験もスキルも資格もないので断ったのだが。

 同僚にこんな態度を取られるぐらいなら、打診を受ければよかったとちょっとだけ思う。

 受付事務に執着しているわけではなかったのだが、俊介の傍にいる事で自分を見失いそうになるのが怖かったのだ。


「そう伝えておくわね。いつも穴あけちゃってごめんなさい」


 美里は何か言いたげな口元を一文字に引き結んだ。


 拓海とは相変わらず口をきいていない。

 拓海も無理に飛鳥の口を開かせるような事もせず、淡々と毎日をやり過ごしている。

 二人の関係が終わりに近づいている事は明らかだった。

 それなのに、気持ちだけが止まったまま。

 手に取るようにわかっていたはずの拓海の気持ちは、靄がかかってよく見えない。


 背中を向け合って眠るベッドは、刺すほどに冷たい。


 5階の社長室のドアをノックすると、すぐにドアが開かれた。

 待ち構えていたように俊介が嬉しそうに立っている。


「今日は、何のご用でしょうか?」

 少し呆れ気味に訊ねてみた。


「こっちこっち」

 俊介は、飛鳥の表情など気にも留めない様子で手招きをする。

 大きな全身鏡の前に立つと、デスクの上から2本のネクタイを取り上げた。


「こっちとこっち、どっちがいいですか?」


 どっちでもいい。


「お出かけですか?」


「そうなんですよ。夜なんですけどね。取引業者との会食なんです」


「じゃあ、水色のドット柄の方でいいんじゃ?」


「そうですか? 安っぽくないですか?」


「じゃあ、黄色の方」


「飛鳥さんにも同行してもらいたいんですよ」


「え? 私が? どうしてですか?」


「業者はどうやら新商品のアピールをしたいようなんですけどね。実績のない商品を取り扱うのはちょっとね。ただ、無碍にするわけにもいかない。会社としては長い付き合いのある業者ですし。まぁ条件次第では考え直す余地もあるんですがね」


「それで、私の役割は何なんでしょう?」


「僕の傍にいてくれる事です」


「はい?」


「飛鳥さんが傍にいてくれたら、相手に押し切られずにいい取引ができる気がするんです」


「授業参観の母親みたいな役割、という事ですか?」


「え? あっはっはっはー。あなたは本当に面白い方ですね」


 俊介は顔を真っ赤に染めて愉快そうに笑った。


「じゃあ、こう言えばいいですか?」

 俊介は、急に真面目な顔になった。


「あなたが好きです。僕の傍にいてくれませんか。必ずあなたを幸せにします」


「え? それって、あの、その……」


「プロポーズと思ってもらってかまいません。僕は本気です」


 真っ先に脳裏に浮かんだ言葉は、『どうしよう』

 全く、準備ができていなかった。

 まさか、付き合ってもいないのにプロポーズされるなんて。


「先ずは、デートから。今夜の会食が終わったら飲みにでも行きませんか。あなたの事がもっと知りたいんです。いや、知りたいというよりも、あなたと一緒に過ごしたい」


「ごめんなさい。何も考えていなくて」


「返事は急ぎませんよ。彼との事もあるでしょうから、飛鳥さんの未来への選択を待ちます」


「わかりました。今夜の会食は同行させていただきますが、お付き合いするかどうかというのはもう少しお時間をいただきたいです」


 何もかもを持っていて、満たされ過ぎている俊介に欠けている物は恋愛に結婚。

 奥さんを亡くしている事が唯一彼の心の隙間なのだ。

 その最後の1ピースになる事に、飛鳥自身は幸せを感じる事ができるのだろうか?


 そんな事を考えながら持ち場に戻る。


 廊下ですれ違うスタッフたちはしきりにスマホの画面を見ながら意味ありげな表情を漂わせていた。

 大ニュースでもあったのだろうか?


「うわ、マジか。これって拓海コーチ? っぽいよな」


「やる時はやるんだね。純情そうなのにな」


 ――え?


 心臓がドクドクと騒ぎ出す。

 何があったのだろうか?


 受付カウンターに戻ると、その騒動のわけはすぐにわかった。


「飛鳥さん。これ、見ました?」

 美里がスマホの画面をこちらに差し出した。


「え? それなに?」


「社内のSNSグルチャですよ」


「ああ、あんまり見た事なかったわ。通知切ってたから」


 美里は画面を指先でスクロールして、騒動になっている火種を見せてきた。


「これです。ついさっき上がったんですけど、大量のコメントで一気に流れちゃって」


 画面には、ベッドの上に裸でうつ伏せに寝ている男。

 その背中の上に上半身を重ねるようにカメラ目線でピースサインをしている、舞香。

 男の顔ははっきり見えないが、飛鳥にはわかる。

 その男が拓海である事が。


 すぐ下には舞香のコメント。


『ごめんさーい、うわ、どうしよう。画像貼るとこ間違えちゃいました』


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