第6話 運命なんて……

「皆さん、既にご存知かと思いますがー、本日から新社長が就任される運びとなりまして……」

 壇上でマイクを握るのは50代半ばの専務。

 額をハンカチで拭き拭き、不慣れなスピーチに苦戦を強いられている様子。

 薄い銀縁の眼鏡は今にも曇りそうだ。


 ここはアクティブリバース株式会社。元は市の施設だった。経営不振に陥った施設を、前社長が買い取り、時代背景に合わせた近代的なトータルスポーツジムへと成長させたのだ。


 トータルボディケアとスポーツエクスペリエンスの提供により、地域住民にワンランク上のライフスタイルを提供するというのが、経営理念である。


 5階建てで、複数のジムを保有するオフィスは自社ビルで、従業員数は50名を超える。


 従業員たちのざわめきの中、最上階にある大会議室にて、朝礼の中で新社長就任の挨拶は行われた。


 社長交代の詳細については語られないが、新社長の結城という人物は、40パーセントの株を保有する大株主だったらしく、自ら社長就任に手を挙げたのだそう。

 どこから情報を得たのか、美里は得々とそう語っていた。


「それでは、早速ご紹介しましょう。結城俊介社長です。どうぞ」

 その言葉を合図に、前方のドアから颯爽と入場してきた人物。


 仕立てのいい濃紺のスーツに、赤いペーズリー柄のネクタイ。


 ――俊介さん


 壇上に上がり、マイクを握ったのは、紛う事なく同じマンションに住む俊介だった。


「えー、皆さん。初めまして。本日より代表取締役に就任いたしました結城俊介と申します。

 これから、皆さんと共にこのアクティブリバースの未来に、新しいチャプターを刻んでいくことを楽しみにしております」


 つい先日、子犬に弄ばれていた人物と同一人物とは到底思えないほどの風格を見せつけている。


「前代表のこれまでの取り組みを振り返り、社員とのコミュニケーションにおいて改善の余地があると感じております」


 俊介は、社員一人一人の顔をしっかりと見つめながら、力強くスピーチしている。


「私は、その課題をしっかりと受け継ぎ、スタッフの方々との密接なコミュニケーションを築きながら、一丸となってこのアクティブリバースを……」


 目が合った。


「あ! 飛鳥さん!」

 キーーーンとマイクがハウリングする。

 社員の視線を一斉に集める飛鳥。


 専務はあたふたとマイクの調整をしている。


 飛鳥はできるだけ目立たないように、肩をすぼめて、俊介にお辞儀をしながら下を向いた。


「あっ、これは失礼。知り合いのお顔が見えたもので……」

 俊介は慌てる様子もなく、堂々とスピーチを続けた。


 朝礼が終わると、早速美里が飛鳥の元へやってきた。

「新社長と知り合いだったんですか? 一体どういう?」


「いや、あの、あのね。単にマンションが同じってだけよ。一昨日初めて会ったの」


「それだけ?」


「そうよ」


「ふぅん」

 本当はもっと刺激的な話を期待していたのだろうけれど、現実はそんな物だ。

 前方にずらっと並ぶ役員たちが見守る中、退室していく従業員と共に、飛鳥もその場を去る。


 俊介は専務と何やら話をしているが、飛鳥の姿に気づいた様子で目が合った。


 ちょっと失礼、と専務の話を遮って、こちらに向かって来る。


 ――え?


「飛鳥さん! 飛鳥さーーん!!」

 その姿は飼い主を見つけたシベリアンハスキーのようで、なんだか笑える。

 こんなに人目を憚らない人も珍しい。

 あんなことがあったのに……。

 俊介にとっては大した出来事ではなかったのだろうか?


「どうもどうも、いやぁ驚きましたね」


「驚きました。新社長が俊介さんだなんて。あ、俊介さんなんて言っちゃいけませんね。結城社長」


「いやぁ、こちらこそ驚きましたよ。飛鳥さんがこの会社の社員だなんて。えっと、あ、ひいらぎさんとお読みするんですか?」


 俊介は胸に下がる社員証を見て、そう言った。


「はい。柊です。改めまして、よろしくお願いします」


 隣では、美里が二人の顔をキョロキョロ、視線を行ったり来たりさせている。


「あ! 彼女は瀬野さんです。瀬野美里さん。同じ受付事務です」


「どうも」

 美里は照れながらひょこっと頭を下げた。


「どうも。よろしくお願いします」


 三人の横を従業員たちがチラ見しながら通り過ぎる。

 その中からこぼれだすように、立ち止まった人物がこちらを睨みつけている。


 ――拓海。


 ちょうど俊介の斜め後ろ。

 俊介に、拓海の姿は見えていない。


「あ! 拓海コーチ。ちょうどよかった。キッズの入会希望者の件で――」


 拓海に話しかけたのは美里だ。

 その声に俊介が振り返った。


「へぇ、君も同じ会社か」


 拓海は姿勢を正して礼儀正しく頭を下げた。


「坂口です」


「坂口君。結城です」

 俊介はそう言って拓海に手を差し出した。

 差し出された手をしばし怪訝そうに眺めた後、握手に応じる拓海。


「では失礼します」


 そう言ってその場を去る拓海の後を美里が着いて行った。


「しかし、すごい偶然の連続ですね。これはもう、運命としか言いようがない」


 俊介はそんな冗談で、張り詰めた場の空気を変えた。


「ふふ。運命って言葉が好きなんですね」


「嫌いですか?」


「はい、嫌いです」


「どうして?」


「無責任な気がして」


「無責任?」


「はい。自分の未来にはちゃんと責任を持ちたいんです。運命に左右される人生なんて嫌です。自分の未来は自分で選びます」


 運命の出会いに胸をときめかせる年齢でもない。


 運命だね、なんて言葉に、ときめいたりもしない。


「では、失礼します」


 丁寧にお辞儀をして、俊介に背を向けた。



Episode2【完】

Episode3に続く。

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