第5話 焦がされて ※性描写あり。苦手な方は前半飛ばしてください

 地獄のような甘い時間は突然始まった。


 部屋に戻るなり、拓海は飛鳥を強引にベッドに押し倒した。

「ちょ、っと、な……」

 発しようとした言葉は、刹那。熱を帯びた唇に塞がれる。


「ちょ……。い……イヤ」

 顔を背けて、多いかぶさる拓海を押しのけようと抵抗した。

 しかし、その倍の力で抑え込まれ、自由が奪われていく。


 飛鳥の気持ちとは裏腹に、拓海は唇を密着させたまま、次々に衣服をはぎ取っていく。

 シーツがひんやりと素肌に纏わりつく。


 カルキの匂いが鼻先をこするたび、体の芯は熱く火照り始め。

 拓海の荒々しい吐息が、敏感な部分に触れるたび、泣いているみたいな声が漏れる。

「あっ、ああっ……」


 その声に反応するかのように、拓海は更に体を硬くして顔を紅潮させた。


 じんじんと熱く疼きだす体内。

 熱い舌先の刺激で焦がされていく。


 脳内は真っ白。

 苛立ち、怒り、悲しみ、歯痒さ……

 そんな感情は本能に呑み込まれて、ごまかされていく。


 胸の奥に秘めた欲望に逆らえない。

 体がどうしようもなく拓海を求めてしまう。


 適度に温めてくれていたこれまでの優しさは、体の上で荒々しく変貌していく。

 そんな姿も愛おしくて、より一層、飛鳥の奥深くに入り込み絡みついて行った。


 どうしようもない歯痒さだけが澱のように体に沈殿して泣きたくなるような痛みを与える。


 飛鳥は態勢を変えた。

 拓海にぎゅっと体を密着させて、自分が上になるようにひっくり返した。


 妖艶に。

 大胆に。

 熱く深く唇を重ねて、舌を絡ませる。


 狂った吐息を耳に浴びせて、首筋に歯を立てた。


 硬く尖った拓海の――を焦らすように指先でなでて、自分の中へと導いた。


「うあっ……」

 拓海は声をあげた。


 いつも拓海主導だったセックス。


 大人の女を見せつけるのは初めてだ。


 意地悪な気持ちがふつふつと湧き上がって……。


 ゆっくり、深く、浅く、粘膜を絡ませる。


「気持ちいい?」


「めちゃくちゃ気持ちいい」

 拓海は、飛鳥の腰を両手でつかんだ。

 その手を振り払う。


 勝手にはイかせない。


 拓海がびくんと体を跳ねさせるたび、あの女に勝ったような喜びで満たされていく。


 挿入したまま、拓海の耳元に口を寄せた。


「あの子と、ヤったの?」


「は?」

 拓海は我に返ったような顔でぎゅっと閉じていた眼を見開いた。


 体を密着させ合ったまま、飛鳥は動きを止めない。


 我に返った拓海の顔は時々、苦しそうに歪む。


「ああ、ちょっと、ヤバい」


 動きを止める。


「あの子って? 誰?」


「もういい」

 それ以上知る事を、脳が拒んだ。

 あの女の名前を出す事すら、脳が体が、心が拒絶した。


 スっと体を放して、ベッドから降りる。


「ちょ……飛鳥? 俺まだイってない」


 そんな情けないセリフを背中で受け流して、バスルームに向かった。

 ――私だって、イってない。バカバカ、拓海のバカー!


 心の中で叫びながら、熱めのシャワーを浴びる。

 痛いほど熱いシャワーを浴びながら、自分の体に分からせる。

 何もかも洗い流すの。

 拓海の唾液も、汗も、匂いも、温もりも。

 きれいさっぱり洗い流して、軽くなりたい。


 彼がここからいなくなるのなんて、当たり前の事なのだから。



 それ以来、拓海と飛鳥の間に流れていた空気の色は変わった。

 どこか淀んだ、重苦しい濃灰色。

 ひりついた雰囲気は、指先が触れ合っただけで、静電気でも纏ってるかのように二人の距離を遠ざけた。


 沈黙の時間も心の中は饒舌で、彼を責める言葉ならいくらでも浮かんでは消えず、溜まっていく。


 そんな日をやり過ごして迎えた月曜日。


 月曜日は毎週、朝礼が執り行われるため、早めの出勤がマストだ。

 いつもは、時間差で出勤する拓海と飛鳥だが、この日は一緒に家を出た。

 毎度、会社の人たちの目を気にして、5分ほどの差を空けて出かけるのに、この日、拓海は飛鳥を追いかけるようについて来た。


「ねぇ、どうして怒ってるの?」


「別に怒ってないわよ」


「じゃあどうして何もしゃべらないの?」


「喋る事ないからよ」


 真っすぐ前を向いて、スタスタと自分のペースで早歩きする。


 そこへ――。


「拓海せんぱーーーーーい」

 キーンと高い声が鼓膜を刺した。

 声に立ち止まり振り返った拓海を置いて、飛鳥はスタスタとその場を立ち去り会社へと向かう。


「せんぱーい、昨日はどうして先に帰っちゃったんですかぁ? もっと一緒にいてほしかったのにぃ」

 と、甘えた声。


「は? え?」

 と、とぼけた声。


 うるさいうるさいうるさいうるさい。

 何も聞きたくない、言葉の意味なんて理解したくもない。

 それなのに、勝手に耳から入ってきて暴力的に心をかき乱す。


 カツカツカツとヒールの音をわざと大きくして、小走りした。


 会社に着くと、エントランスの壁に人だかりができている。

 事務職員やインストラクター達がざわめきながら、何やら張り紙に群がっていた。


 それは割とよく見かける光景だ。


 人事異動通知。


 人事の異動があったのだろう。


 飛鳥も人だかりに吸い込まれるように壁際に向かった。


「え?」


 思わず声が出た。


「あ、飛鳥さん! おはようございます」

 美里が飛鳥の声に反応して振り返った。


「美里ちゃん、おはよう」


「知ってました? 社長が代わったって」


 飛鳥はふるふると首を振った。

 役員の人事異動はよくあるが、社長が代わったのは入社以来初めての事だった。

 こんなにいきなり変わるんだという驚きと、にわかに押し寄せる胸のざわめき。


 新しく就任した代表取締役の名前に視線が釘付けになった。

 まさか、そんなはずない。たまたま偶然……よね?


「新社長は結城ゆうき俊介しゅんすけって人らしいですね」



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