第5話 『たくみせんぱいは私のものです』

 強力粉と薄力粉、塩少々にお湯を混ぜ合わせて、こねる。


 通常20個ほどになるはずの餃子の皮だが、これを4等分にして、でっかい餃子4個にするのだ。

 皮から手作りしたジャンボサイズの餃子は、もちもちしていて食べ応えも抜群。

 しかも、市販の皮で一個ずつ包むよりも、実は簡単。


 飛鳥は1個で十分お腹いっぱいになってしまうが、拓海はこれを3個、平気で平らげる。

 そういう時、若さっていいなと思う。

 どんなに食べてもちっとも変らない体系が羨ましい。


 片栗粉で打ち粉をして、麺棒で伸ばしていると、インターフォンが鳴った。

 粉だらけの手はそのままに、首を伸ばしてモニターをのぞき込んで、戦慄が走った。


 藤野舞香が映っていたからだ。

 淡いピンクのPコートに赤いチェック柄の短いスカートを履いていて。

 周りをキョロキョロと興味津々に見まわしている。

 まるで小動物のように落ち着きのない動きをしている。

 ああいうのを、世の男性たちはかわいいと形容するのだろう。


 飛鳥はキッチンペーパーで手を拭って、通話ボタンを押した。


「はい」


「こんにちはぁ」

 彼女がここへ来たのはもちろん初めてだ。

 一体、飛鳥に何の用だろうか?

 なぜ、ここがわかったのだろうか?

 会社で、社員の個人情報を知る事はできないはずだ。

 

 胸騒ぎより真相を知りたい気持ちが先走った。


「あのぉ、拓海先輩のお母さんですか? 私は同じ職場の藤野舞香と言います」


「え? ああ、あの、拓海は……今出かけてて」


「はい。知ってます。私の代わりにスイミング行ってもらいました。拓海先輩が好きだって言ってたドーナツ買ってきたので、仕事変わってもらったお礼に、渡そうを思って寄らせてもらいました。それに、お母さんに、ご挨拶しておこうと思って」


 飛鳥の事を母親だと勘違いしているようだ。

 職場ではあまり話をする事がないから、声だけでは気づかないのだ。


「挨拶? それは一体……?」


「あたしぃ、拓海先輩と付き合ってるのでぇ」


「拓海からはまだ何も聞いてないんですけど」


「あのぉ、とにかくぅ、オートロック開けてもらえませんか? 外、けっこう寒くてぇ」

 舞香は自分を抱きしめて、ほっそりとした二の腕をスリスリとさすった。


 おかしな話だが、飛鳥は咄嗟に身を隠す方法を思案していた。

 ロックを解除したらすぐに非常階段にかくれようか。それとも、ベランダに潜んでいようか……。

 あの図々しさなら、勝手に上がり込むのだろう。

 しかし、拓海が帰るまで居座られても困る。


 このまま無視していても、帰りそうな気配はない。


 飛鳥は観念して、ロックを解除した。


 モニターに向かって

「どうぞ」。

 

 この後、どんな事になるのかなんて想像もつかない。

 職場で軽々しく吹聴されるかもしれない。

 拓海に迷惑がかかるかも知れない。


 しかし、飛鳥には勝算があった。


 美里の存在だ。


「私は絶対、飛鳥さんの味方ですから」

 そう言って、力強く胸を叩いてくれたのだ。


 飛鳥は、もう間もなく到着するであろう舞香を、玄関扉の前で待った。


 ガチャっとレバーが下りて満面の笑顔で登場した舞香。


「え?」

 その顔色は一瞬にして変わった。


「いらっしゃい。どうぞ」

 不思議と強気に笑顔を繰り出す事ができた。

 昨夜の拓海の温もりが、言葉が、力をくれているのだろうか。


「へ? え? もしかして、柊さんと拓海先輩って、親子だったんですか?」


 目をぱちくりと瞬かせて、広げた手で口元を覆った。


「親子でもおかしくないほど年は離れてるけど、さすがに産んでない。それに、拓海の母親は7年前に亡くなってる。知らなかった? 付き合ってるのに?」


 舞香は口元にきゅっと力を込めて、目を三角に尖らせた。


「知ってます! それぐらい!! 忘れてただけです」


「そう。立ち話もなんだから、どうぞ上がって。お茶入れるわね」


 目は三角にしたまま、舞香は黒いハーフブーツを脱いだ。

 来客用のスリッパに履き替えると、バタバタと足を踏み鳴らしながら着いて来る。


「コーヒーでいいかしら」


「おかいまいなく!」

 そう言い捨てると、ドカっとソファに腰を下ろした。


「そう」


 L字型のソファの長い部分に舞香が座ったので、飛鳥は短い部分、ちょうど一人掛けになっている部分に腰を下ろした。


「拓海といつから付き合ってるの?」

 声が上ずって震える。


「一ヶ月ぐらい前です」


「本当に付き合ってるの?」


「当たり前です。嘘なわけない。それより柊さんは拓海先輩とどういう関係なんですか?」


「おかしいわね。付き合ってるのに、私とどういう関係かも聞いてないの?」


「はぁ?」


 悪態を付いたかと思ったら、手に持っていたペーパーバッグをドンとコーヒーテーブルに置いた。

 ずっしりと重そうだ。


「まだ知らない事たくさんだけど、これからお互いの事を知っていく所なんです。だから、応援してくださいねっ! これ、拓海先輩に渡してください」


 のぞき込むと、薄いワックスペーパーに包まれた、カロリーの高そうなドーナツが4つほど入っている。


「悪いけど、その手のスイーツを、拓海は好んで食べないわ。添加物も多いし、うちではお砂糖も、人工甘味料は使わないのよ。多分、ドーナツが好きって言ったのは、私が手作りしたドーナツの事じゃないかしら」


「はっ? あなた一体なんなんですか? 拓海先輩のなに?」


「ふふ。ご心配なく。拓海の母親代わりと思ってもらって構わないわ。拓海が望んだ恋愛なら、心から応援する。拓海は恋人に隠し事できるような器用な人間じゃないのよ。意味、わかるわよね?」


 飛鳥はここぞとばかりに、ニッコリと笑ってみせた。


「どういう意味ですか?」


「あら、ごめんなさい。わからなかった? 大切な人に私の存在を隠したりしないって事よ」


 ギリギリと音がしそうなほど歯噛みしている。


「それより、どうしてここがわかったの? 拓海に聞いたの?」


「そ、それは……。昨日、飲み会の帰りに、拓海先輩を追いかけて……」


「え? あなた、それストーカーよ?」


「違います! 私たちはちゃんと付き合ってるんです。家を聞いてもなかなか教えくれないから……。

 それに、家がわかればいつでも会えるかなぁと思って。

 ファミリータイプのマンションだったからてっきり家族と同居してるんだと思っちゃって……。どうしてあなたがここにいるの? 私たち付き合ってるので、とっとと出て行ってください!」


「ここは私の持ち家よ」


「じゃあ、拓海先輩の家はどこなんですか?」


「拓海の家もここよ」


「じゃあ、あなたが出ていくべきでしょう!」

 舞香は声を荒げて立ち上がった。


「まぁ、落ち着いて。何を狼狽えてるの? 恋人なんでしょ? どうしてこそこそ外堀埋めるような事するのかしら?」


「へ?」

 舞香は図星を突かれた顔で、頬を引きつらせた。


「今日、生理なんて嘘でしょ? だって、2週間前に生理休暇取ったばかりじゃない。わざわざ拓海を外出させて、家族を巻き込んで逃がさない作戦だった?

 会社でもわざわざ付き合ってるなんて言いふらしたりして。

 拓海は優しいから、優柔不断に見えるかもしれないけど、誠実な人よ。

 嘘や隠し事して女性と関係を持つタイプじゃない。

 本気で好きだったら、こんな姑息な真似しないで、正面から堂々と気持ちぶつけたらどうなの?」


 どうして気持ちと裏腹な言葉を吐いてしまうのだろう。

 こんな子に拓海を取られるぐらいなら、どんなにみっともなくても、冷めた関係でもしがみついていたいのに。


「ふふふ……」


 舞香は不敵に笑った。


「誠実な人は、恋人以外とエッチなんてしませんよね」


 拓海の背中が脳内に蘇る。

 あの、頭の悪そうな丸文字……。


『たくみせんぱいは私のものです』

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