対になる剣

対になる剣

身体中に力がみなぎってくるようだ。安心感に包まれる。

……そうか、ずっと、守ってくれていたのだ。

身体を包むように、何かが揺蕩っている。

レナの言う魔力とは、これなのだろう。

確かにこれは説明しづらい。

ただそこにあるだけのものだ。何故今まで気付かなかったのか、そう思うほどに、自然にある。

自分の体の一部のように、魔力が蠢く。

腕にも、足にも、胴体にも、自由自在に。


「ルー、アッ!」

口の端に血を付けたままレナが叫ぶ。目線の先には、今にも殴り掛かろうとする鎧を着たネヴェルがいた。

振り返る。赤い双眸がキラリと輝く。

鎧越しに、ネヴェルが驚く声がした。


鎧の鉄拳は、ルーアの頭で受け止められた。

その時の音は、まるで鉄塊が二つ、ぶつかったかのようだった。


ルーアは、ネヴェルの拳の軌道、それを見て咄嗟に頭を守ろうとしただけだったのだ。

衝突する寸前、ほんの一瞬の間で、咄嗟に。

腕はおろか、指すら動かないであろう刹那に。

ルーアの身体に満ちていた魔力は、頭へと集まる。

これはルーアが魔力を認識したからこそ出来る事なのだ。






レナは気付いていた。

ルーアの身体には、自分よりも遥かに大きな魔力が詰め込まれていると。

おそらく身体の隅々まで染み込んでいるその魔力こそが、ルーアを勇者と呼ばせたのだと。


しかし同時に、もうひとつの事にも気付いていた。

ルーアは、魔力を操れない。認識できない。

遥かに大きな力を持ちながら、それを利用できない。

それはただ、ルーアの身体に詰め込まれ、持ち主をほんの少し、守るだけなのだ。


レナは、最後のヴァンパイアと呼ばれる彼女は、魔力を認識していた。己の手足が如く操ることが出来た。

だからこそ彼女はルーアを圧倒してみせた。一極に集めた魔力で、勇者の広く薄い魔力を突き破ってみせた。


レナは気付いていた。もしもルーアが自分の手によって吸血鬼になれば、自分が道理を外した行いをすれば、


ルーアは、勇者の名に恥じぬ、最強になると。


そして今、それは現実となって目の前に現れた。

いとも容易く、鎧の一撃を防いでみせた。

カウンターの一撃を叩き込めば、鎧には十二分のダメージを与えうるだろう。


レナの目の前でルーアが立ち上がり、そしてふらつき、倒れ込んだ。

「ルーア……!」


やはり無茶だった。人間を吸血鬼に変える行いが、デメリットもなく出来るわけが無い。


ルーアは倒れ込む。しかし、その目は間違いなく目の前の鎧に向けられていた。


赤い目だ。


ネヴェルは、拳を振り上げ、しかしそれはルーアではなく、地面を掘り起こすためのもので。

土煙と共に、彼は消え去った。

去り際に、小さな声がレナの耳に届いた気がした。

「……化け物が」


そうして、襲撃は終わった。




しかし、レナにとっては何もかもが済んだ話ではなかった。

友を、吸血鬼へと変えてしまった。

呪いと恐怖、災厄を振りまく存在へと。

それだけで、彼女にとってはどんなことよりも辛く苦しい話なのだ。


ルーアの私室で二人は向き合う。

あの襲撃からは些か時間が経っていた。

二人の傷は深く、暫くの間の絶対安静を命じられていたからだ。

「呼ばれれば、行った」

ルーアが紅茶を淹れながら言う。実際、レナは未だ杖をつき、介護が必要だが、ルーアはある程度歩ける程には回復している。

何か用があるなら、普通はルーアが出向く側だ。

「ルーアの淹れた茶を飲みたくて」

そう言ってレナが紅茶を一口啜る。

紅茶にレナの赤い目が反射し、水面と共にそれが揺れる。


「……ルーアの目も、赤くなってるね」

下を向いたまま、レナが呟く。

「自分ではわからない。それに、気にもならない」


「首筋に噛み跡があるって、言われた。これって、レナの?」

ルーアは服を引っ張って、首筋の噛み跡を見せる。

それを見て、レナの動悸が一層激しくなる。視線は揺れ、頭は働かなくなる。



結局、レナにはただ罪を打ち明けるしか出来なかった。

「ごめん、本当にごめん……。私が、あなたから、人であることを、奪ってしまった。あんなこと、するべきじゃなかったのに」


もはやただの慟哭でしかなかった。ただ、悔やみ、悲しみ、深い絶望を、さらけ出しただけだった。


ルーアは、その間じっとレナに視線を向けていた。

「人でなくなることって、そんなに、悪いこと?」


ルーアにはその答えが出せない。勿論、レナにも。

問いかけに答えは帰って来ない。

レナはルーアの過去について、尋ねたかった。そう、強く思った。


しかし何も言えない。どちらも。

そのうちに、時間が来た。夕食と診断の予定がレナには入っている。

レナが部屋から出ていく。


ルーアは、密かに自分の過去を、人であった頃を思い出していた。

嫌な記憶ばかりが蘇る。

密室の中、吐き気を催すすえた匂い、押し潰されそうなほどの重苦しさ、自分という存在も、身体も呪った、あの日。

村から追い出され、家族にも捨てられ、絶望と死を感じた、二度の経験。


今も自分の手が、汚物まみれに見える。

いくら洗っても消えないその幻覚は、血飛沫でだけ洗い流されていくような、そんな気がする。


人であろうが、何者になろうが、何も変わらないのかもしれない。


世界を恨んだその瞬間から、私は、僕は、ずっと一人。


ふと、記憶の端に何かがちらつく。

誰かの笑顔が、横切る。


前を見た時、レナはもう居なかった。暗い部屋の中、ランプの明かりだけが頼りなく揺れている。



突然、何かが割れる音が響く。

傍に控えていたメイドが臨戦態勢をとる。


ルーアは周りを見渡す。どうやら窓が割られたようだ。

床に箱が転がっている。これが窓を割ったのだろう。


ルーアはメイドの制止を無視し、その箱の中身を開ける。

ただ、箱の中には、簡潔な一文があるだけだった。


『裏切った勇者の家族を処刑する』


頭の端にあった笑顔が何かに結び付く。

いつまで経っても消えない、あの日の光景。

ルーアの原風景。


ランナ。






「何処へ行く?」

城の門を開けようとしたルーアの背中に、声がかかる。

「……レナ」


振り返る。レナは真っ黒の刀身を抜き放ち、両足で立っていた。

ルーアもまた、腰には白銀色の刀身をした、剣を刺している。

対になる二本だ。柄の色も、刀身の色も、全てが正反対。


「軍を動かす。私も出る。すぐにでも戦線を押し上げ、あなたの村まで届かせる。他にも、方法はある。何としても、処刑は止めてみせる。

だから――」

ルーアは首を振る。


「……人に、戻るのか?私を、恨んで」

レナが問いかける。

黒色の剣が、力なく床に落ちる。


ルーアは更に首を振る。

「なら、どうして、どうして。

……私は、あなたのことを、ただ

助けたい、だけ、なのに」

レナは床に座り込み、俯いたまま弱々しく喋る。


ルーアは何も言えない。

レナと共にいたい。今のまま、二人で。


それでも、強烈に焼き付いて離れない光景がある。

例え死んでも、心に焼き付いた光景がある。

ランナの笑顔が、いつまでも。


ルーアは城から出る。レナの後ろからの声も、聞こえないと念じ続けて。

街を出て、森を抜け、走り続ける。

月はすっかり高くなり、時刻も真夜中へ差し掛かる頃。

ルーアは、村の傍まで辿り着いていた。








あとがき

投稿遅れてすいませんッッッ!

日曜日にギリギリ書ききれませんでした……

次話は、今週中に……必ず……

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