勇者と魔王


勇者は走り続けた。背後に迫る怪物から逃げようと。

彼女は自分では敵わないと気づいていた。

しかし考えが浅かった。

自分よりも圧倒的に格上の相手に、逃げ切れると思っているのか。


白銀の彼女は、あっという間に彼女を追い越し、彼女の前へ立ち塞がる。

「私達の領土の方に逃げてどうするの?そっちに行ってもお友達は来てくれないよ」

ルーアは逆の方向に振り返り、走り出そうとする。

それよりも速く、白銀の彼女がルーアの頭を掴み、投げ飛ばす。

ルーアが地面に這いつくばると、彼女はルーアの上に乗り、押さえつける。


「毒を使って捕虜にするか……殺すか?うーん、厄介だったら、でいいか」

ルーアは喋れない。上に乗られている彼女の殺意だけで彼女は凍り付いていた。

それでも、自分の上に乗る彼女に、絞り出すように伝える。

「……殺さ、ない、で」


白銀の彼女はその言葉を聞いて、ルーアの顔を覗き見る。

その顔は何を考えているか分からないが、何か、先程までとは少し変わったような気がする。


彼女はルーアの首根っこを掴んで立たせる。

そうして何も言わず歩き出す。

向かうのは先程とは別の砦、魔物側の領土の後方。


砦に着くと、彼女はルーアに何か薬を飲ませ、椅子に座らせる。

尋問の始まりだろう。部屋には私と白銀の彼女だけがいる。


「どうも、勇者さん。名前は何?」

「……ルーア」

「ふーん。私は……そうだね、魔王とだけ言わせてもらおう。ここで名前を明かすメリットもないし」


軽くやり取りをして、白銀の彼女、魔王は遠くを見る。

「何から聞かせてもらおう。そう……うん。


……あなたは、魔物を殺したことが?」


ルーアは唾を飲む。あるかないか、で言えば、ある。

攻城戦の時だ。あの時、確かに魔物をなぎ払い進んだ。

正直に言うべきか、嘘をつくべきか、考え込む。


そっと彼女の、魔王の顔を覗き見る。その瞳に隠された意図を考えるために。

その瞳は、どこか遠く、自分を透かして見ているような、達観した目をしていた。

「……砦攻めの時、立ち向かってきた者は、殺した」


ルーアは素直に言った。嘘をついても、見破られるだろうと感じたからだ。




魔王は、あの時、本当に最初に質問するべき事柄が思い浮かばなかったのだ。

彼女の軍での立場から知っている情報の多くは、他の将校でも知り得る情報だろう。

それに、そういった事柄の質問は、後からでもできる。いや、むしろ後からするべき質問なのだ。警戒心を和らげ、自分から知っている情報を喋る程になってから。


彼女は悩んで、勇者と呼ばれている女性に、試金石を投じた。

当然だが、あの砦での死傷者は両軍共に甚大なものだった。

結局は最大戦力の差で決着が着いた訳だが。


あくまで推測にはなる。推測にはなるが……ほぼ確実に、ルーアは魔物を殺している。数十人単位で、だ。

彼女が嘘をつくか、正直に話すか、魔王はそれを試したのだ。

……まぁ、それにしては考えが浅いが。



とにかく、ルーア、彼女は賭けに打ち勝った。

魔王は彼女の事をほんの少しだが、確かに信用した。

だからこそ、彼女はもう一度、軽いジャブの気持ちで、別のことを聞いた。

「あなたの目の前に立ち塞がるなら、同族だろうと殺すの?」

少し意地悪な質問かもと、魔王は思った。

自分自身、もしこの質問をされたなら、答えを出せないだろう。

……しかし、ルーアは迷わなかった。

「はい、殺します」

いつもと殆ど変わらない無表情のまま、彼女は答えた。

種族とその結束を重んじる魔王からしたら、未知としか言えない答えだった。

「……あなたは、裏切れと言われれば、裏切ると?」

「それで、私が生きれるなら」

「……何故?同族の情や、恩はないの?あなたは、勇者と言われているのでしょう?」


そう言うと、ルーアの顔が少し歪んだ。

「生きるために、娘として振舞って、勇者として振舞った。多分、私はそれだけ。だって……」

誰も勇者でない私を知らないように、私が昔、生きていた姿を、ただの少年として生きてきた日を、知らないから。

今でも自分の原風景はあの日の少年時代にある。ライナ、彼女の笑顔も、全てはあの日の少年の記憶の中にしかない。

もう手に入らない、もの。

ただ、彼が死ぬ直前に、強く願ったものだけを、今も彼女は追い求めている。

愛されたい。生きたい。呪いの言葉として吐いたそれが、今の彼女にとっての唯一のもの。

でも、本当にそれだけなのか。


「……それなら、あなたは魔王として振る舞えと言われればそうするの?いや、冗談だけど。

……うん、あなたは、人間を殺せと、言われればそうするの?」


魔王は動揺していた。だから、その言葉を言った時の、ルーアの顔色の変化にも気づかない。

頬は紅潮し、目は爛々と光っていた。

まるで、それが望みかと言うように。本人も気付かない、深層心理の中にある、望みかとでも言うように。


扉がノックされる。魔王が扉の外にいる誰かと話し込む。

そしてルーアに向き直って言う。

「あなたは先程、人間でも殺せると言ったね。

……おめでとう、あなたは裏切り者となった。もはや、人間の敵対者だよ

……おや、あまり反応しないね」


ルーアは今まで会った人間の顔を思い出す。

ライナ、ランドルフ、メイド。

昔の親、奴隷商、……ぶくぶくと太った、豚みたいな男。


思い出しても、後には怒りが残るばかりだった。

「構わない。元より、人に良い思い出なんてない」

その時、始めて魔王の頬が緩んだ。

「私たちは思ったより似ているのかもしれない。あなたがもし、私達の信用に足るなら、協力できるようになるはず」


そうして魔王は、勇者にいくつかの質問をした。

勇者も滞りなく、知っていることは答え、知らないことはそのまま伝えた。

そうしてその夜は解放され、一人部屋に回された。


ルーアは一人部屋を見渡して呟く。

「随分、良い部屋だ」

そうしてソファーに座ると、突然に扉を開け放たれる。

「やぁ、ルーアちゃん!突然だが横、失礼するよ」

そこには、先程と打って変わって随分とラフな格好をして、ラフな言葉遣いになった魔王がいた。

「魔王様……どうしたのですか?」

「魔王なんて他人行儀は止めてくれ、レナでいいよ」


ルーアは眉をひそめる。名前を明かすメリットはないと魔王は言ったはずだ。

「仕事は終わりさ、まぁ、まだある意味では残っているがね。


……そう、君の監視だよ。ルーアちゃん」

「それならもっと厳格にするべきでは?あと、ルーアちゃん、とは?」

「そう呼ばれるのは嫌?あなたに拒否権はないけどね、アハハハ」

魔王は高く笑う。まさか、これがこの魔王の素だとでも言うのか?これが?


「安心してもいい、あなたに油断はしていないよ。それに、これはあなたの今日の態度に対する私の信頼の表れと言ってもいい。ここは、元々私の部屋だしね」

何故こんなに信頼されているのか。ルーアは怪しむが、まぁ損は無いだろう。少なくとも、魔王、いやレナからの情報を鵜呑みにすれば、人類側にもはや自分の居場所はないようだし。


「明日は君に働いてもらうからね、頼んだよ。


……君のことを、信用させてくれ」


一瞬、彼女の目が剣呑になった。この落差が、この状態の彼女の怖いところかもしれない。

「……それで、、私は明日何をすればいい?」

意趣返しのように魔王にもちゃん付けで返すルーア。その言葉を聞いて、魔王はまたひとしきり笑うと、返事をする。

「はーっ、笑った……。明日のことかな、ルーアちゃん。明日、君には……


人間側の砦を一つ、落としてもらう」


魔王の瞳が鋭く光った。

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