第6話 転生未遂は忘れた頃にやってくる
「(うっ……)」
翌日の朝。
教室に姿を現した僕を迎えたのは奇異と興味の交じり合う視線の数々だった。
だよな。クラス内で居るか居ないかわからないような根暗ぼっちが別クラスの超美少女から『だーれだ』をやられている姿を見たらそりゃあ興味沸くよな。
誰も僕に話しかけてこようとしないのが逆に救いだった。
クラスメイトの噂話が耳に入ってくる。『雪野って友達いたんだ』とか『あの美少女とどういう関係?』とか『昨日の二人のやり取りウケる』とか『珍しいものみた』とか。
隣の席の瑠璃川さんだけは無言でじーっとこちらを観察してきている。
居たたまれない。クラス内の会話が全部僕に関する噂話に聞こえる。
失敗したなあ。授業が始まるギリギリで教室に入ってくるべきだった。
仕方ないから僕はスマホをポチポチ弄ることで時間をつぶすことにした。
「(あれ?)」
メッセージがある。
雨宮さんだ。
もしかして昨日夜に送った小説を読んでくれて、その感想を送ってくれたのかな?
期待を込めてメッセージを開く。
そこにはただ一言、こう記されていた。
『ちょっと転生してきます』
「…………」
一瞬意味が分からなかった。
でもすぐに察知できた。
『転生』。
これは僕と雨宮さんの中で共通して別の意味を表す言葉。
――まて、ちょっとまて。
これが送られてきたのはいつだ?
送信時間を見る。
約10分前。
10分も経ってしまっていた!
ガタッ!!
勢いよく立ち上がる。
クラスメイト達が一斉に驚いた表情で僕に視線を集めていた。
でもそんなことお構いなしに僕は教室を飛び出し、迷惑招致で廊下を全力ダッシュする。
何度か登校中の生徒にぶつかりそうになるが、僕は真っすぐ走っていった。
「(雨宮さん、お願いだから早まらないでくれ!)」
どうして急に飛び降りを示唆するような文章を送ってきたのだろうか。
純文学を止めたとき編集と揉めたと聞いた。そのことを引きずっているとか?
それとも僕が知らないだけで雨宮さんには大きな悩みがあったのかもしれない。
なんにしても知り合いとして彼女の悩みに触れなかった自分をとにかく呪った。
雨宮さんと初めてあった場所。
そしてその日から毎日共に過ごした大切な場所の扉の前にたどり着く。
お願いだ。ここにいてくれ!
キィィ
古びた扉を開け、僕すぐに鉄柵の方向に視線を向ける。
「…………」
居た。
居たけど非常にまずい状況だ。
雨宮さんは鉄柵の上に座り、足をユラユラ揺らしながら対面から拭く風に揺れる横髪抑えて遠くの景色を見ていた。
まずいまずいまずい。
雨宮さん、今にも飛び降り可能な状況いる。
思いとどまってくれているようだけどちょっとでも刺激を与えるとそのまま飛び降りてしまいそうな不安定さだ。
下手に声を掛けてしまったら驚きで柵の向こう側に落ちてしまうかもしれない。
とりあえず僕はゆっくりと、雨宮さんに気づかれないように歩みを進めるのだが――
「雪野さん、おはようございます」
残念ながら気づかれていた。
雨宮さんは視線を外の景色に向けながらつぶやくようにただ言葉だけど後方にいる僕に向けていた。
「あ、あああ、雨宮さん。おちついて。お、おおおおお、おちつてて」
「雪野さんが落ち着いてくださいよ」
小さく吹き出しながら雨宮さんは口元に笑みを浮かべる。
「私を心配して来てくれたのですか?」
「だ、だだだ、だって、あんな文章を送られてきたら、さ、さすがに心配になるよ」
「やっぱり雪野さんは優しいです」
「や、やさしくなんかないって」
昨日の会話の再現みたいな話を繰り出しているが、僕はいつ雨宮さんが体制を崩してしまうのか気が気でなかった。
「そうですね。雪野さんは優しくないです」
「えっ? あ、う、うん」
「雪野さん、どうして今私に優しくないって言われてのか考えてください」
「な、なぜって……あ、昨日雨宮さんの小説はまだ純文学くさいって言ったこと……だよね」
「違います。はぁ……」
思いっきりため息をつく。
ここで今日初めて雨宮さんはこちらに顔を向けてくれた。
その表情は若干怒っているように見えた。
「雪野さん。私が恋愛小説を書こうとしていたこと内心笑っていたんじゃないですか?」
「そんなわけないじゃないか! 何を根拠に!?」
本心からの叫びを彼女に投げる。
だけどそんな想いがまるで届いていないかのように彼女は表情を変えなかった。
「私の書く恋愛小説なんて雪野さん自身の書く恋愛小説に比べるとお遊びみたいなもの」
「なっ……!?」
「そんな風に思っていたんじゃないですか?」
「思うわけないじゃないか! 僕は本心で桜宮恋の書く恋愛小説を読みたいと思っているよ!」
「どうだか」
彼女が放つ視線は冷たい。
怒りだけじゃない。僕に対する軽蔑のような感情が混じっている。
なぜだ? どうして彼女はここまで怒っているんだ?
――『私の書く恋愛小説なんて雪野さんの書く恋愛小説に比べるとお遊びみたいなもの』
この言葉が……答えなのか?
「私ね。弓野ゆきに本当に勝とうとしていたの。7000文字勝負で弓野ゆきに勝つことで私は初めて大衆小説のステージに立てる」
敬語が一切ない、雨宮さんらしからぬ感情爆発の言葉だ。
僕に勝つって……
現時点であらゆる点で雨宮さんの方が上なのにどうしてそんなことを。
「雪野さんの7000文字小説を読んだとき、自分が如何に自惚れていたかに気が付いた。貴方の小説は私がなりたい自分の形だった。こんな小説をいつか書きたい。それの具現化だった」
僕の7000文字の文章はここまでも少女の感情を揺さぶって、追い込んでしまったというのか。
「勝負になんてならなかった。私が何年、何十年かけても貴方の小説に勝てる気がしない。そう思ったらなんか軽い自暴自棄になってしまって」
雨宮さんをこんなにしてしまったのは弓野ゆきの作品のせいだった。
原因の中心に自分が居ることに対し自分自身に腹が立つ。
「僕なんかをキミの理想にしてもらえたのは光栄だけど、何もここまで追い詰めなくても……」
「僕――『なんか』!? あなた今私の目標の人を『なんか』なんて言った!?」
こ、こええ。
こんな迫力のある怒りを向けた雨宮さん始めてだ。
普段の姿からはまるで想像つかない迫力がある。
「貴方、自分の価値をわかっていないの!? あんなものを見せつけられて、自信を保つことなんてできるわけないじゃない!」
「持ち上げすぎだよ。どうしてそこまで僕の小説に入れ込むのさ」
「貴方の7000文字会話劇が面白すぎて、胸が躍らされて、切なさで締め付けられて、生き生きと掛け合いする主人公とヒロインが一瞬で大好きになったの! それをたった7000文字で表現した貴方はもう化け物だ!」
小説家としてこれ以上ないくらい嬉しい感想を言ってくる。化け物扱いはさすがに言いすぎだけど。
「もう、小説は諦めようかな」
「それは絶対にダメだ!」
「なぜ? 私なんかが小説やめようが貴方には何も影響ないじゃない」
「『なんか』だと? 僕の好きな作家を『なんか』って言ったのか!?」
「……っ!?」
ついさっき雨宮さんが言った言葉をそのまま彼女に返してやった。
「何を勘違いしているのかわからないけど、僕にとって桜宮恋は遥か雲の上の存在だ。実績も実力も小説に対する思い入れだって、すべてキミの方が上に決まっているじゃないか!」
「そ、そんな言葉で惑わされません。貴方の方が面白い小説を書けるのだから貴方の方が上なんです!」
雨宮さんは動揺している。
その証拠にいつものような敬語が戻ってきた。
「雨宮さん。黙っていたけど僕は今『小説家だろぉ』に小説を投稿している」
「えっ、雪野さんの小説が他にもっ!? よ、よみたいです。今すぐ!」
「読むがいいさ。そして失望すればいい。キミが憧れた小説家はこんな駄作も作るのかって」
「だ、騙されません‼ 弓野先生の小説は全てが面白いに決まっています!」
ふっ、甘いな雨宮さん。
だろぉに投稿されているアレの駄作っぷりは自他ともに認めるレベルなのだ。
プロットの修正で2話以降はマシになっているとはいえ、アレはまだまだ面白さから遠い作品だ。
アレを見せるのは正直恥ずかしい。だから黙っていたのだけど、今の意固地になっている雨宮さんの目を覚まさせるには良い薬かもしれない。
「な、なにを笑っているのですか! ていうかどうして勝ち誇っている表情しているのですか! あと『小説家だろぉ』で投稿している雪野さんの著者名と作品名教えてください」
ピョンっとこちら側に足を付く雨宮さん。
同時に僕は思いっきり駆け出して彼女に抱き着いた。
「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆ雪野さん!? な、なんですか!?」
「――よかった。雨宮さんにもしものことがなくて本当に良かった!」
「わ、わわ、泣いているのですか? す、すみません」
左手で背中を摩りながら右手で僕の頭を撫でてくれる。
なんかこれ僕が慰められているみたいだ。
「あ、あの、信じてもらえるかわからないですが、本当は転生するつもりなんてなかったんですよ? でも才能に嫉妬したのは本当で、ちょっと愚痴を言おうと思ってあんな文章を送ってしまったというか、その、色々すみませんでした」
「いや、あの迫力は僕が言葉を間違えていたら飛び降りていたと思うんだけど」
「それは、えと、どうでしょうね」
困ったように笑う雨宮さん。
危なかった。ちょっとでも選択肢を間違えていたらこれBADエンドに進んでいたな。
キーンコーンカーンコーン
「あっ、予鈴がなっちゃいましたね。雪野さん教室に戻りましょう」
「…………」
「あ、あの、放してもらえると」
「…………」
「雪野さん? お気持ちは嬉しいですし、このままの体勢でいることは私的にもやぶさかではないのですが、私のせいで雪野さんを遅刻させるわけにはいかないですので」
「……立てない」
「えっ?」
「安心したら……腰抜けた」
「えええっ!?」
「あっ、そのうち治ると思うから雨宮さんは先に行ってて」
「置いていけるわけありません! 元はといえば私のせいなんですから。雪野さんが回復するまでこのまま一緒に居ます」
雨宮さんは僕の体を自身の方へ引き寄せて再び僕の頭を撫でてくれる。
なんてなさけない姿なんだ僕。女の子の腰に手をまわしてスカートに顔を埋めている。
ほんのり良い匂いがする。
雨宮さんはただただ僕の頭を撫で続けてくれた。
「ありがとう。嫌な顔せずに身体を預けてくれて」
「他の人だったら確かに多少嫌悪感はあったかもですが、雪野さんなら全然大丈夫です。不思議と全く不快感ありません」
「さっきまであんなに不快感を露わにしていたのに」
「……」
ギュム、と頬を抓られる。
「いたいいたいいたい」
「変なことを思い出す悪い子にお仕置きです。さっきまでの私の姿は忘れること。いいですね」
「は、はい」
無理なことを言う。先ほどまでの雨宮さんの印象は強烈だった。
まるで人が変わったかのように嫉妬し、気落ちし、激昂していた。
その原因は地の文の無い僕の7000文字恋愛小説。
題名すらも決まっていないアレがここまで人を変えたという事実が未だにピンとこない。
久しぶりに恋愛小説を書いたからか珍しく筆が乗り、超速筆で完成に至った小話。
自分では面白いのか面白くないのかよくわからなかった。
だけど雨宮さんには何か強烈なものが刺さったのだと思う。
「(知りたいな)」
人の感情を変えられる【何か】。
僕の小説に存在するのであればその正体を僕は知りたい。
それを知ることで僕は一歩進めるような気がした。
スッ
「うひゃう!」
不意に雨宮さんが僕の頬を触ってきた。
「可愛い驚き声ですね」
「き、急にほっぺ触ってくるから」
「駄目でしたか?」
「いや、全然だめってことはないけど」
むしろ触ってほしいという感情も沸いていないこともないがそこはさすがに黙ることした。
「雪野さん。化粧水は何を使っているのですか?」
「えっ? 化粧水なんて使ったことないけど」
「…………」
ぎゅむ~~!
「痛い痛い! なんでまた抓ったの!?」
「抓りたくもなります。化粧水無しでどうしてこんなにスベスベなのですか!」
「す、スベスベなの? 初めて言われた」
「むぅぅぅ! 小説だけじゃなくて肌の質でも負けたぁ!」
力いっぱい悔しがっている雨宮さんとは対照的に僕は全く嬉しくなかった。
「いや、小説も肌の質もまだ決着ついてないでしょ。さっきも言ったけど桜宮恋の恋愛小説本当に楽しみにしているからね」
「うぅ……負け確なのに書かないといけないのですね」
「あと肌の質に関しては絶対僕勝ってないからね。さっきほっぺを触られたときの雨宮さんの手冷たくてスベスベで気持ちよかったよ」
「……勝者の余裕だ」
「違うって!」
頬を膨らませながら拗ねだす雨宮さん。
この子拗らせると本当に面倒くさいんだな。
僕だけに見せてくれる一面だとしたら可愛いかもしれないけど……そんなことはないんだろうな。こんなかわいい子絶対人気者だろうし。
「よし! 雨宮さん僕の身体を預かってくれてありがとう。本当に不快じゃなかった?」
「雪野さんの肌の質の良さは不快でした」
「思いもよらぬ返しやめて」
「ふふっ、なんか良いですね。こういうの。なんていうか――」
「青春っぽい?」
「小説っぽいです」
苦笑する。
今の僕らの会話は小説キャラクターが繰り出す会話劇っぽかった。
高校に入ってから友達が一切いなかった僕からすると、ここ数日の出来事は毎日が新鮮で、心に抱えたもやもやした闇が霧散するかのような晴れやかな気分だった。
―――――――――――――――
キャラクター紹介
◆雪野弓(著名:弓野ゆき)
代表作『大恋愛は忘れた頃にやってくる』(文章)
人気小説家サイト『小説家だろぉ』にて執筆中
◆水河雫
代表作『大恋愛は忘れた頃にやってくる』(イラスト)
『だろぉ』投稿作の弓野ゆき作品に挿絵を執筆中
◆雨宮花恋(著名:桜宮恋)
代表作『才の里』
ノンフィクション恋愛小説執筆を検討中
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