第5話 弓野ゆきVS桜宮恋
著書【才の里】
若き天才桜宮恋の処女作。
ジャンルは純文学。
純文学はいつも大衆文学と比較される。
大衆文学で必要なのは『娯楽』。
対して純文学で必要なのが『芸術』。
桜宮恋は若きして純文学の心得を完璧になぞり、賞を得た。
彼女の文章は常に美しい。
単語の選び方、澄まされた文法の規律。視覚的描写だけじゃなくて嗅覚すら刺激されるような文章選びが桜宮恋の一番の特徴だった。
恐らくその年でここまで芸術表現が巧みなものは桜宮恋以外において存在などしないだろう。
『純文学の神童』。
それが桜宮恋に与えられた称号だった。
「2話投稿完了……っと」
やっぱりプロットを組みなおして正解だった。
たった今投稿した第2話は第1話と比べて自信が持てる出来となっていた。
「でも連休は執筆だけでつぶれちゃったな。まぁ、いつも通りだからいいんだけど」
大きく伸びをして満足感に浸る。
プロットも良いものが出来上がっている為、恐らく第3話も近いうちに投稿できるだろう。
さて、明日も学校だ。寝不足のまま授業に出るわけにはいかないし、早く寝ようかな。
「……と、その前に一応雫さんに2話投稿の完了報告と1話に挿絵を入れさせてもらったことの連絡しておかねば」
アプリを立ち上げる。
あれ?
「未読メッセージ……雨宮さんからか」
タップで開き、内容を確認する。
『冒頭だけですが、小説書かせて頂きました
良かったら読んで頂けると幸いです
‘添付ファイルあり’』
相変わらず固いなぁ。
そんなことを思いながら添付ファイルをダウンロードして早速中身を拝見させてもらう。
「うぉ、90ページもある!?」
この土日だけでそこまで書いたのか。相当集中しないとできない所業だぞ。
さすが桜宮恋というべきか。
さて、肝心の内容の方は……と。
………………
…………
……
「だ、だだだ、だーれだ?」
『だ』が多い。
って、そうじゃない。そうだけどそうじゃない!
「あ、雨宮さん」
「せ、正解です」
「…………」
「…………」
放課後の教室。
雑躁飛び交う3-Aの教室で起こった僕と雨宮さんのおかしなやり取り。
そのやり取りを見ていたクラスメイトの雑躁が瞬時にピタっとやみ、僕らの方に視線を集中させる。
昨日と同じように教室で待っていたら、雨宮さんがまっすぐこちらに歩みを寄ってきてこのようなおかしな行動をとってきた。
冷や汗というか脂汗というか、ともかくおかしな汁が僕の体内から噴き出している。
見ると雨宮さんも僕と同じように困ったような表情をこちらに向けていた。
「い、いいい、行こう!」
「は、はい」
やや乱暴に雨宮さんの手をガッと掴み、急いでこの場から飛び出した。
噂される。僕らが出て行ったあと、絶対に噂される。そして笑われる。
そんなことを思いながら僕らはいつもの渡橋の前まで足早にやってきた。
「どういうことなの!?」
開口一番、真っ先に雨宮さんに先ほどの行動に対して問い質す。
雨宮さんはとても申し訳なさそうな表情で俯きながら謝ってきた。
「ご、ごめんなさいっ! 恋愛の定番と言えば『だーれだ』と思い、その、ついあんなことを」
例のノンフィクション恋愛行動の検証か。
確かに『だーれだ』は定番だけど、正面から真っすぐ突き進んできて『だーれだ』はないと思う。
雨宮さんもそれを分かっていてか後悔の表情でうつむいていた。
ていうか今にも泣きそうな表情だ。
僕としたことが、女の子にこんな表情をさせるのはいくら何でも駄目だろ。
僕も自分が高圧的になっていたことを反省し、今度は優しく小動物に言い聞かせるように口調をやわらかくする。
「そ、そうだったんだね。うん。それならそれで全然いいんだよ。女の子から『だーれだ?』をされて喜ばない男なんていないよ」
「でも、雪野さんに迷惑をかけてしまいました。どう見ても私の暴走でした。ごめんなさい」
雨宮さんの表情が更に曇る。
まずい。これはいけない。迷惑なんかじゃない、とすぐに言い聞かせないと。
「ほ、ほら、その、急にあんな友達っぽいことされてちょっと驚いただけなんだ。実は内心すごく嬉しくて今にも『ひゃっほーい』って叫びながらここから転生未遂したいくらいだよ」
「飛び降りたいくらい恥ずかしい思いをされたと」
「全然恥ずかしくなんかないから! 喜びで飛び降りも苦じゃないよっていう比喩だよ。いやー、驚いたけど嬉しかったなぁあ」
め、めちゃくちゃわざとらしい。
僕の会話力のなさが不自然さを際立たせていた。
雨宮さんも僕が無理して励まそうとしていることを察したようで更に泣きそうな顔になっていた。
あーもう! やけだ! 普段絶対やらない行動を起こしてこの空気を換えてやる。
僕は震える手をゆっくりと伸ばし、彼女の頭に手を置いた。
「~~~~~~~~っ!!」
泣きそうな表情は瞬時に変容し、今度は目を見開いて顔を真っ赤にさせていた。
たぶん同じくらい僕の顔も真っ赤だろう。
でも泣きそうな顔をされ続けるよりマシ!
僕はゆっくりと彼女の頭に置いた手を左右に動かし始めた。
「…………」
「…………」
場に沈黙が戻る。
だけど彼女の表情が徐々に緩んでいく様子が見られた。
落ち着いたようだな。逆に僕の心臓はハードロックを奏でているけど。
この渡り廊下が全く人通りのない場所で助かった。
もしこの場面を誰かに見られていたら、本当に転生未遂を起こしかねない羞恥である。
「あの、雪野さん。ご迷惑おかけして本当にすみませんでした。さっきの私どうかしてました。それと、ありがとうございます」
なんのお礼なのか一瞬わからなかったが、彼女の視線が少し上に向いたので頭を撫でる行為のことだと察することができた。
「全然迷惑なんかじゃないよ。でも『だーれだ』は僕に気づかれないように背後に回ってからやらないと意味ないと思うよ」
「うぅぅ、反省です」
「でもさっきも言ったけど、なんか嬉しかったのは本当だよ」
「それは、光栄です。その、私も、今、その、嬉しいです」
もうだいぶ落ち着いたようだな。
僕は右手を左右に振るのを止め、彼女の頭から手を放す。
「あっ……」
「うっ」
そんな物惜し気な目をしないで。
正直僕も雨宮さんのサラサラブロンズヘアーを触り続けていたかったけど、これ以上は理性が保てそうもなかったんだ。
「出会った時から思っていましたが雪野さん優しいですね」
「いやいや、全然優しくなんかないよ」
「こんなに気配りできるのに、優しくないわけありませんよ」
「評価してくれるのは嬉しいけど、本当に優しくなんかないからね」
雨宮さんは若干頬を膨らませながら納得のいっていない表情を向けてくる。
そう、優しくなんかない。
僕はこの後雨宮さんに優しくない言葉を向けないといけないのだから。
でもその前にちょっとだけ意地悪してみようかな。
「今日の出来事はさすがに文章化できないね」
「えっ? どうしてですか?」
「ど、どうしてって。なんか微妙に気まずくなったし」
「そうでしょうか。私にとっては文章化止む無しの素晴らしい出来事でしたよ」
ポツリと『雪野さんに迷惑をかけてしまったのはさすがに失態でしたが』と言葉を加える雨宮さん。
物惜し気に上目遣いで自分の頭を触っていた。
うっ、やっぱり頭を撫でるのはやりすぎた気がする。雨宮さんは喜んでいるようだけど、それほど親しくない間柄の場合は普通に気持ち悪い行為だもんな。
「そういえば昨日の小説には先週の出来事は文章化されていなかったね」
「あっ、見てくれたのですか!」
嬉しそうに眼を輝かせる。雨宮さん結構感情表現豊かだな。
「えっと、昨日送ったのは試しというか大衆作品の感じをつかむ為のチュートリアルというか、本命の作品ではありません。感じを掴めたら先週の出来事と今日の出来事を本文に組み込むつもりですが」
「あっ、なるほど。道理で」
「それで、その、感想なんかも伺いたのですが」
「あー、うん」
さて、ついに本題か。
これ言うの勇気がいるなぁ。
でも言わないと雨宮さんの小説に未来はない。
心を鬼にして……いう。
「正直いうと僕は面白かったんだ」
「ほ、本当ですか!?」
「うん。嘘じゃない。『僕は』面白かった」
「と、いうと、やはり、そういうことですか」
雨宮さん、自分で気づいているのか。
自身の小説の弱点に。
「うん。あの作品は『大衆』には面白くない。雨宮さん残念ながら昨日の作品は『純文学』に近いよ」
「そう……ですか」
言ってしまった。
自身が面白かった、というのは本当である。
昨日作品を一言で言い表すのであれば『挑戦』だ。
大衆作品が書きたいという思いが垣間に見えながらも桜宮恋が持つ独特の純文学の表現が融合されていた。
「雨宮さんが書きたいのは大衆作品としての恋愛小説なんだよね?」
「はい」
「だとするとやっぱり良くないと思う。無意識だと思うけど純文学を書いている時の癖が溢れていたよ」
「そうでしたか。自分では見返しながら執筆していたつもりだったのですが……」
「それとね。問題はそれだけじゃないんだ」
むしろこれこそが本題。
僕は今から雨宮さんに残酷なことを言わなければいけない。
「聞かせてください!」
覚悟はできている、と言わんばかりに両手に力を籠める。
力が入ると無意識に距離を近くするのは癖なんだろうなぁ。ドキっとするから直してほしい。
僕も真似をするように両手に力を込めて、はっきり云う。
「キャラクターに……全く魅力がない!」
「えええええ!? だ、だめですか!? 佐藤君と鈴木さん!」
「駄目だよ! 雨宮さんキャラ設定全く練ってなかったでしょ!?」
「はい! 書きながら考えればよいと思っていましたので」
「それ一番やっちゃいけないやつ!」
「そ、そうなのですか!?」
「ていうかキャラクター名から分かったよ! 雨宮さんがキャラ設定を考えずに書き始めたことなんて」
雨宮さんが書いた小説は佐藤太郎くんと鈴木花子さんの日常恋物語だ。
この二人以外にも主要キャラっぽい人は出てくる。高橋一郎だったり長谷川次郎だったりとここまで一貫してキャラ名が適当だとそれも有りかなとも思ったけど、読んでいてキャラに個性が全くなかったのでその辺はマイナス点でしかなかった。
「ボロクソ言われましたっ! じゃあじゃあ逆に聞きますけど、雪野さんはどの辺が『面白い』と思ったのですか?」
「風景描写とか心情描写の部分かな。この辺りは僕にはできない高度な文章表現で表されていた。普通に勉強になったよ」
「全部地の文の部分じゃないですか! キャラクター同士の面白おかしい会話劇はどうでした?」
「面白おかしい会話劇なんてあった?」
「うわーん! 雪野さん全然優しくなかったぁぁぁぁ!」
だから言ったのに。
僕は思ったことはバッサリいうタイプなのだ。
自身に優しさがあるなんて今まで感じたことなかった。
「なんというか、雨宮さんの小説は神聖すぎるんだ。聖書読んでいるようだった」
「聖書!?」
「もっと表現を崩さないと大衆はついてこないと思うよ」
「でも、具体的にどうすれば良いのか……」
そうだよな。今まで染みついたものを急にそぎ落とせと言われても無茶な注文だ。
多少荒療治でも純文学っぽさを消す方法……うーん、何かないか……
「そうだ。台本だ」
「えっ?」
「雨宮さん。一場面だけでも良い。地の文をゼロにした会話だけの小説を書いてみない?」
「えっ? えっ? えっ??」
「恋愛小説なんだからキュンキュンする場面が良いな。というわけでそれが宿題ということで」
「ま、まままま、待ってください! 地の文なし!? それって小説なのですか?」
「立派な小説だよ。そういう作品でも良作と呼ばれる作品いっぱいあるよ」
『だろぉ』でもよく見る。
最初は手抜き作品じゃん、なんて思っていたのだけど、読み込んでみると十分な面白さを持つ作品は少なくない。
「うー、自信ないです。会話だけの小説ですかぁ」
「大丈夫。雨宮さんならできるよ。楽しみに待っているね」
雨宮さんの作品は地の文で面白さを膨らませる傾向がある。
逆に言うとキャラクター同士の会話がつまらなすぎるのだ。
だからこその地の文を封じた会話劇。
これで見込みがないようであれば桜宮恋の進むべき道は純文学しかないということになる。
「……雪野さんも書いてください」
「へっ?」
「私だけ苦手な分野をやらされるのは不公平です。雪野さんも書いてください」
まさかのカウンターが飛んできた。
「いや、僕は――」
「書いてください」
有無を言わせない迫力。
いつもの奥手な雰囲気を一切感じさせない力強さがあった。
な、なんだ? 急に。
――どうして僕まで書かないといけないの?
という言葉が喉元までこみ上げるがそこから上がってこない。
彼女の圧力に押しつぶされるように僕は無言でコクコクと首に縦に振るしかなかった。
その返答に雨宮さんはとても嬉しそうに満面の笑みを溢していた。
「弓野先生、どちらが面白い会話劇を書けるか勝負ですね」
「しょ、勝負なんだ。ま、まぁ、別にいいけど」
どうして急に勝負なんか言い出したのか謎だけど、自分の投稿小説の執筆の合間にでもやってみればいいか。
久しぶりに恋愛小説の一端を書いてみるのもアリかもしれない。
「小説出来上がったらすぐ教えてくださいね」
「わ、わかった」
「ジャンルは恋愛。そうですね――7000文字以内くらいの制限で。よりキュンキュンさせた方が勝ちということにしましょう」
「は、はい」
雨宮さんがめっちゃルールを指定してくる。
あ、あれ? なんか僕の方が恋愛小説指導を受けているような雰囲気に……
「じゃあ今日は閉会ということで! 雪野さん今日も一緒に帰りましょう」
「あ、うん」
なんだか妙なことになってしまった。
まだ展開についていけないが、とにかく僕も7000文字恋愛会話劇を書くことになった。
やるからには真剣にやらないと雨宮さんに失礼だよな。頑張ってみよう。
帰り道、隣に雨宮さんが並んで歩いていることも忘れてさっそく会話劇のプロットを頭の中で構想する。
「……ふふ」
隣で歩く雨宮さんが嬉しそうに微笑んでいることに僕は気づけずにいた。
【main view 雨宮花恋】
最近、放課後の時間が楽しみで仕方がない。
雪野弓さん――弓野ゆき先生。
私の恋愛小説の起源とも呼べる人がすぐ傍にいた。
こんな私のすぐ傍にいてくれる。
雪野さんに会う前の私は正直途方に暮れていた。
純文学に見切りをつけ、本当に書きたいものに挑戦する。
それがどんなに私を苦しませたことか。
書いては否定され、また書いては拒絶され、また書いては見放された。
以前誰かが私をこういった。
【純文学の神童】と。
この称号が私に純文学の道に戻ってこいと手招いているようにも思えた。
純文学を書かない桜宮恋など価値はない。
そう言われているようにも思えた。
いや、実際にそうなのだろう。
――そうなのだろうと思っていたのだけど。
『――私、純文学以外を書いてもいいんですよね?』
『当たり前じゃん。ていうか普通に楽しみだよ桜宮恋の大衆作品』
この人はあっさり答えてくれた。
間髪入れずそう答えてくれたことがどれほど救いになったことか。
大衆に認められる前にまずこの人に認められたい。
私の中の恋愛小説の始祖――弓野ゆき先生に勝って認めてもらう。
それが私の大衆文学の第一歩になる。
「それは建前……ですね」
今の私の創作意欲の源はそんな大それた理由じゃない。
もっと単純に、雪野さんに私の恋愛小説を面白いって言ってもらいたい。
今はそれだけで十分頑張れる。
創作意欲が溢れて止まらない。
難しいかもと思っていた台本小説もスラスラかける。
「うーん。7000文字って意外と短いかも。10000文字とかにすればよかった」
7000文字指定は本当に日常の一部分しか書けない。
その短さで雪野さんをキュンキュンさせないといけない。
「雪野さん、どういうシチュエーションに弱いのかなぁ」
あの人がキュンキュン悶えている姿が全く想像つかない。
でもそれができたらどんなに楽しいか。
雪野さんが悶えている姿を見て私が微笑ましく見守る……うん良い。それ良い。絶対やりたい。やろうそれ。
若干不誠実な気もするけど目先の目標が定まると更に筆が早くなる。
そして――
「できた……っ」
時刻は22時。
「うーん。今すぐ雪野さんに読んで欲しいけど、さすがに夜分遅くに連絡するのは非常識ですよね――ってあれ?」
アプリに未読メッセージを通知する数字が浮かんでいる。
私がこのアプリをスマホにいれたのはつい最近だ。
もちろん連絡を取り合うことが可能な人は1人しかいない。
「うぇぇ!? 雪野さんもう小説送ってきている!?」
しかも1時間前に。
私はどちらかというと早筆であると自覚している。
そんな私よりもこの人は早く仕上げてきた。
さすが弓野ゆき先生。こんな所でも私を驚かせてくれるなんて。
「でも勝負は内容で決まります。弓野先生、お手並み拝見させていただきます!」
早速小説データをダウンロードし、閲覧する。
文字数6,991文字。制限文字数ギリギリで納めている。
「……」
私は雪野さんが生み出したストーリーを真剣に読み更けっていた。
文字数は6,991文字の小話だ。どんなにゆっくり読んでも10分もすれば物語は終焉してしまう。
だけど私は読み終えるまで30分は掛けたと思う。
「…………」
読み終えて、私はすぐにまた最初から読み始めた。
2週目は1週目よりも長い時間を掛けて読む。
「…………………」
何回繰り返し読んだだろう。
弓野ゆき先生の作り出した地の文のない男子と女子の恋物語。
気が付いた時には深夜2時を回っていたのであった。
―――――――――――――――
キャラクター紹介
◆雪野弓(著名:弓野ゆき)
代表作『大恋愛は忘れた頃にやってくる』(文章)
人気小説家サイト『小説家だろぉ』にて執筆中
◆水河雫
代表作『大恋愛は忘れた頃にやってくる』(イラスト)
『だろぉ』投稿作の弓野ゆき作品に挿絵を執筆中
◆雨宮花恋(著名:桜宮恋)
代表作『才の里』
ノンフィクション恋愛小説執筆を検討中
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