第4話 恋愛小説におけるタブー

「ふぅぅ~、ここまでくれば安心だ」


 結局たどり着いたのはいつもの渡り橋。

 秋の冷たい空気が肌寒い。


「うぅ、やっぱりこの季節外は寒いですね」


「そうですか? 私は暖かいですけど。その……手の辺りとか」


「手?」


 言われ、自然と彼女の手首に視線が移る。

 なぜか僕の手もそこにあった。


「うわあああぁ! ご、ごめんなさい!!」


 慌てて彼女の手首から手を放す。

 僕はなんてことを……! 慌てていたとは言え、女の子の手を引っ張って走るなんて、最低だ。


「いえ、全然気にしていないですよ。むしろ暖かくて良かったです」


「雨宮さんいい人だなぁ。でもいいんだよ悪いのは僕なので。正直に『チョベリバー。クソきめぇんだよ、チビ!』って罵っていいんですよ」


「そんなこと微塵も思っていません! ていうか雪野さんの中で私のキャラ、ビッチすぎませんか!? なんかテイスト古いですし!」


 テンパりすぎて自分でも何を言っているのかわからない。

 女の子との関わりがなさ過ぎてどうしたら良いのか僕の頭では思いつかなかった。


「と、とにかく、本当にごめん! 親しくもない人間が急に手を掴んできて不快だったですよね」


 自分の突拍子のない行動が信じられない。

 雨宮さんは許してくれているが自分を戒める意味でもう一度真摯に頭を下げた。


「手を繋いだことは全然いいのですよ。むしろ今の発言の方が私的に怒りポイントです」


「えっ? また僕何かやっちまいました?」


「『親しくもない』って所です。確かに出会ってまだ二日目ですが、そんな風に言われてしまったらこれから親しくしづらくなるじゃないですか」


「い、いや、そんなことは全然! 微塵も! この謝罪は僕なりのけじめみたいなもので! 親しくなりたくないなんてことは一切ありませんので!」


「もう良いですって。雪野さんの誠意は十分すぎるくらい伝わりましたので、頭を上げてくださいよぉ」


「せめて、行動で謝罪をさせてください!」


「手を繋いだくらいでそこまでやられると、こちらも困ります」


 本当に困ったような表情でこちらを見つめてくる雨宮さん。

 このままでは埒が明かないか。謝罪以外で誠意を見せないとこの場が収まらないような気がした。


「じゃあ。なんでも好きなことを命令してくれればそれに従うってことで! それでこの件は終わりにしましょう」


「な、なんか無理やり話に終着点を付けましたね。なんでも好きなことって言われましても……うーん」


 雨宮さんが腕組をして首を傾げながら考える仕草をする。

 そうだよな。僕に出来ることなんてたかが知れている。こいつに何ができるんだ、という検討も交えた長考もあるだろう。


「あっ、思いつきました」


「言ってください!」


 距離感を保ったまま食い気味を詰め寄る僕。

 雨宮さんは姿勢を正して立ちなおし、軽い咳ばらいを入れ、僕の瞳の中を覗き込みながらまっすぐにこう言った。


「――私と親しくなってください」


「…………」


 まーたこの人は意味深のことを言ってくる。

 昨日の『私に恋愛を教えてください』発言に次ぐ意味深ワードだ。


「も、もちろん、オーケーです」


 とりあえず肯定しておく。

 親しく、って具体的に何をすればよいのか見当ついていないが、ここは下手に発言せずに相手の言葉を待った方が良い。


「では、たまに発せられるぎこちない敬語をやめてくださいね」


「えっ?」


「雪野さんには自然体で私に接してほしいので」


 良い笑顔で重圧をかけてくる雨宮さん。

 敬語なしか。もっと距離感が近くなってからそうしていければ良いなとは思っていたけど、本人がこの場でそういってくれたのは僕にとってもありがたかった。


「わ、わかりまし――わかったよ、雨宮さん」


「はい!」


 雨宮さんは胸元でちいさく拳を握りしめていた。

 僕が敬語をやめることで多少なりとも彼女の感情を揺さぶったようだ。


「雪野さん、雪野さん」


 上がったテンションを緩めないまま、雨宮さんの方から僕に一歩詰め寄ってくる。

 照れが先行し思わず一歩下がりそうになったけど、踏ん張ってその場に耐えしのぐ。


「今の一連の流れ、小説にして良いですか!?」


「なんで!?」


「出会ったばかりの男女がちょっと仲良くなる素晴らしいノンフィクションじゃないですか、コレ!」


「そ、そうかなぁ?」


「そうです! 手を引っ張って教室から連れ出すシーンから敬語呼びを止めるシーンまで完璧な流れです! これはもう文章化止む無しです!」


 多少美化入っている気がする。手を引っ張ったのは不可抗力だし、連れ出すっていうよりは逃げ出すって感じだったけど。


「ま、まぁ、あの桜宮恋が良いと思ったのなら僕もこのシーンの文章化を見てみたいかな」


「やったっ、許可取れました。ありがとうございます」


「い、いえ、喜んで頂けたのであれば幸いです」


「また敬語!」


「あ……ご、ごめん」


「ふふ」


 なんだこれ。

 すごく楽しい。

 会話に詰まらないのが新鮮だった。

 ドキドキする。ワクワクする。

 これが今まで経験なかった『友人』って感覚なのかな。


「そうだ。小説の話題になったところでそろそろ本題に入る?」


 もともと今日集まった理由は彼女に恋愛小説の指導を行うことだ。


「はい! よろしくお願いします」


「といっても桜宮恋みたいな大先生に僕なんかが教えられることなんてあるのかどうか」


「そう言うと思いまして、私の方で質問を用意させて頂きました」


「おっ、助かるよ」


 そのやり方だったら僕もありがたい。

 正直何を指導すれば良いのかわからず途方に暮れていたからなぁ


「では一つ目の質問なのですが」


「うん」


 天才桜宮恋が苦戦する恋愛小説。

 彼女からどんな高度な質問が飛んでくるのか正直ハラハラする。

 僕に答えられる内容なら良いのだけど。


「恋愛小説のタブーってなんだと思いますか?」


「…………」


 なんて質問を初っ端からかましてくれるんだ。

 僕の中で答えは決まっているのだけど、恋愛小説の根本を否定しかねない内容なので言葉にしづらい。

 雨宮さんは真剣な面持ちで黙って僕の言葉を待ってくれている。

 その真剣さには僕も真剣に応えなければいけないと思った。


「これは『僕が思う』恋愛小説のタブーだけど言っていい?」


「もちろんです」


「正直、これを聞いたら雨宮さん怒るかもしれないけどそれでもいい?」


「絶対に怒りません」


 自分では今から発言する言葉は真理だと思っている。

 いや、僕はその真理を覆してほしいのかもしれない。

 そんな期待も薄っすらと込めて、力強く、云う。


「早々に主人公と相手を恋人同士にさせること」


「えっ?」


「それが僕の思う恋愛小説のタブーだと思う」


「納得し兼ねます! それってどういう……」


 言ってはいけないことを言ってしまった後悔。

 聞いてはいけないことを聞いてしまった焦燥。

 お互いの声は若干掠れていた。


「恋愛小説の作品のピークってどこだと思う?」


 不意に質問を返され、雨宮さんは驚きを交えつつ考察し、言葉を返す。


「一般的には起承転結の『転』の部分……です……けど――」


 雨宮さんの言うことは正解だ。

 「起」から始まり、「承」で徐々に話が盛り上がっていき、「転」で一気にピークを迎える。

 作品の基本の考えであり真理。僕もその考え方には納得はしている。

 雨宮さんはまだ言葉を続けそうな雰囲気の言い方なので彼女の次の言葉を黙って待った。


「でも私的には恋愛小説は『結』こそが最重要だと思います」


「それはどうして?」


「読者の方々は付き合った男女がどんな甘い日々を過ごしているか、そこが一番気になるじゃないですか!」


「そっか。ちなみ雨宮さんは告白イベントって起承転結のどの部分だと思う?」


「『承』です! 主人公と相手はさっさとくっつけるに限ります」


 鼻息を荒くして熱く語る雨宮さん。

 僕の主張に断固反対と言わんばかりに力が入っている。


「僕もね恋愛小説のピークは『結』だと思うんだ」


「ですよね、ですよね!」


「そして主人公と相手をくっつけるのは『結』しかないとも思っている」


「え……?」


「恋愛小説は主人公と相手がくっついたら終わりにすべきだと思う」


「な、なぜですか?」


「作品のピークがそこだからだね。主人公と相手がくっついたらそこから先の物語は蛇足だ」


「は、はっきり言いますね」


「うん。告白イベントがピーク。そこから先は面白さが下降する。間違いない」


「うぅー」


 ものすごく不満げに頬を膨らませてにらみつけてくる雨宮さん。

 ただ、どんなに睨まれても僕は自身の主張を曲げることはしない。


「雪野さん」


「なに?」


「――頭にきました」


「えっ?」


「弓野先生に恋人同士になってからの甘い日々を『蛇足』と言われたことに桜宮先生はぷんすかぷんです」


「初めて聞く怒りの表現だなぁ」


「とにかく! それくらい怒りマックスってことです」


「怒らないって言ったのに……」


 でもこうなることはなんとなく予想はついていた。

 恋愛小説を書き手は雨宮さんが言う通り『結ばれた主人公相手のラブラブ生活』を書きたいものだ。

 だけどその根本を蛇足と罵られたらそりゃあ怒るよなぁ。


「雪野さん! 私決めました!」


「な、何かな?」


「私の描く新作の恋愛小説は雪野さんが否定した『主人公と相手が早々にくっつく』作品に的を絞ります」


「そ、それは……どうなのかなぁ?」


 面白さ的に。


「そして雪野さんが否定した『蛇足』の部分が一番面白いといわれる作品を書きます!」


「…………」


 無茶、無謀。

 そういった感情も確かにこのときあった。

 だけど、僕はそれ以上に――


「――嬉しいよ、雨宮さん」


「えっ?」


「僕はね、僕の考えを否定してくれる作品を欲していたんだ。でも僕自身では力不足だったからできなかった。でも桜宮恋なら、もしかしたら――」


 その続きを言い終える前に雨宮さんが僕の両手を力強く包み込む。


「書きます! 書きますから私の作品を楽しみにしててくださいね」


「わ、わわわ、わかりましたたた。た、楽しみに、し、しています」


「……なんか急に言葉が弱くなりましたね? さっきまで自信満々に持論を語っていたのに」


「そ、そりゃあ、その……」


 視線が雨宮さんのか細い手に包まれた自分の両手に移動する。

 雨宮さんもその視線を追って、同じ地点で止まる。

 瞬時に紅潮し、慌てて僕の両手から離れていった。


「えへへ。そ、その、きょ、今日は遅くなったから、か、帰りましょうか」


 ごまかすように帰宅を促す雨宮さん。僕もそれに同調する。


「あ、お、送るよ」


「そんな! 悪いですよ」


 ここで『大丈夫だから家の近くまで送るよ』って言えないのが雪野弓だ。

 まぁ、雨宮さん的にもよく知りもしない男に送られるのは微妙か。


「じゃあ分かれ道まで一緒に帰ろう」


「は、はい」


 この提案には照れながらも同意してくれた。

 寒空の下、僕らはゆっくりと帰宅の路につく。

 先ほどの小説談義の時とは打って変わって二人の間に会話はない。

 でも不思議と沈黙が自然と思えた。

 無理して会話で間を持たせる必要なんてない、隣を歩く雨宮さんからそんな雰囲気を感じたのは気のせいではないと思いたい。

 冬の到来を感じさせるような涼やかな風を心地よいと思えたのは初めてだった。







「えっ? こちらが雪野さんのお家なのですか?」


「うん」


「私の通学路の途中にあるなんて……」


「なんと」


「私の家、ここから歩いて5分くらいの所ですよ」


「なんとなんと」


 どうやら僕らは割とご近所だったらしい。

 ちなみに僕の家は学校から徒歩15分ほどの場所にある。

 ていうか僕が今の高校を選んだ理由は家から一番近いからというのが当てはまる。

 もしかしたら雨宮さんも同じ理由なのかもしれない。


「この距離なら毎日一緒に帰れますね」


「~~っ!」


「どうかしましたか?」


「な、なんでもない」


 小首をかしげて不思議そうに顔を覗いてくる雨宮さんに対し、僕はつい顔をそらしてしまった。

 いや、まぁ、確かに恋愛指導の相談受け付けたけど、その、『毎日やりましょう』と言われたのと同意味なことを申されたので、嬉しさやら恥ずかしさやら色々な感情が綻び舞って渦巻いた。


「明日から連休です! 書いて書いて書きまくりますよ!」


「そ、そう、頑張って」


 やる気満々な雨宮さんに小さくエールを送る。

 不意に雨宮さんはピタっとその場に立ち止まり、神妙な面持ちで振り向いてくる。


「――私、純文学以外を書いてもいいんですよね?」


 急に真剣な表情で何を聞いてくるかと思えばとんだ愚問であった。


「当たり前じゃん。ていうか普通に楽しみだよ桜宮恋の大衆作品。早く読ませろください」


「なんですが読ませろくださいって」


 クスクス笑う。


「そういえば雪野さんは書かないのですか?」


「僕か……うーん」


 『だろぉ』に投稿した新作は書くつもりではいるが、異世界転生モノ以外を書く気は今それほど起きない。

 

「まぁ、気が向いたらね」


「わかりました。それでは雪野さん。今日はこれで。参考になるお話ありがとうございました。また月曜日の放課後で」


 控えめに手を振って別れを告げられる。

 仕草がいちいち絵になって可愛いなぁ。






「さて、小説書くか」


 小説談義を行ったからか創作意欲は僕も沸いている。

 駆けこむように自室へ流れ込み、PCの前に腰を下ろす。


「そういえば『だろぉ』に投稿したアレ、どうなったかな」


 投稿者の楽しみはPV数を見ての一喜一憂することだ。

 前作は感想をもらった時も嬉しかったなぁ。今作は感想受付拒否してるけど。

 自分の小説のPVが映し出される。


「うーん。前作とどっこいくらいか」


 投稿小説の1話はそれなりにPV数が増える傾向がある。

 そこから微下降するか大下降するかは投稿者の腕次第だ。


「でも嬉しいなぁ。こんな駄作にもこれだけの人が見てくれたのか」


 これだから『だろぉ』の投稿はやめられない。

 早々にプロットを仕上げて2話目投稿をしなければ。


「――あっ」


 PCのタスクバー隅っこに存在する手紙マークに“2”という数字が浮かび上がっているのが目に入る。

 アプリのメッセージ未読通知だ。

 えっ? “2”?

 1件はいつものように雫さんだろう。

 じゃあもう1件って……

 その通知が雨宮さんからのチャットだろうとすぐに察知できた。

 このアプリには雫さんと雨宮さんしかID登録されてないからなぁ。

 いつもは“1”という数字があるだけでも嬉しいのに、その数字が2倍になるとこんなにも新鮮で嬉しい気持ちになるのか。

 交友関係の広がりを実感するなぁ。

 しみじみと噛みしめながらまずは雨宮さんのチャットを開く。


『お疲れ様です

先ほどはご指導誠にありがとうございました

このアプリ文書ファイルも添付できるみたいですので

新作が完成したら真っ先に雪野さんへ送ります』


 か、固いなぁ。

 なれないアプリを使っているからか、文章から緊張が伝わってくる。

 でもこの堅苦しい感じの文章が雨宮さん! って感じがして微笑ましくも思えた。


 続いて雫さんの方のチャットも確認する。

 文章だけでなく画像ファイルも添付されていた。

 新作小説の挿絵も自分がやるって言っていたっけ。


「うぉぉぉっ!!?」


 思わず声が出た。

 画面いっぱいに飛び込んできた色彩のキャンバスは僕が頭の中に思い描いていた通りの第1話のベストシーンの情景だった。

 相変わらずの鬼クオリティ。

 特に驚愕したのは主人公のイラストだ。

 確かにキャラクターの容姿描写はしつこいくらい作中で記したけど、あれだけでこんなにも作者の意図を汲み取ってこれほどまでに完璧なキャラクターを描いてくれるなんて……


 それだけじゃない。雫さんの絵は世界観の変更にもしっかりマッチしている。

 現実世界の恋愛小説からコテコテのファンタジーに変更になったにも関わらず、雫さんはしっかり世界観に合わせた挿絵を画いてくれていた。


 水河雫。

 桜宮恋とは別のジャンルではあるけれど、彼女もまたイラスト界では孤高の天才なのである。

 画像は即保存。僕のピクチャファイルの雫さんフォルダがまた潤った。

 おっといけない。チャットの方も確認しないと。イラストのお礼もしたい。


『弓さん弓さん

 第一話の挿絵できたから送るね

 私的には今一つの出来だけど、もし良かったら使ってくれると嬉しいです。

 あと電話頂戴。これ緊急だから』


 雫さんはよく僕に電話要求をしてくる。

 最初のうちはド緊張してあまりしゃべれなかったけど、今だと少し会話になれたかな。

 もう昔と違い通話開始ボタンを押すことに躊躇などしなかった。


「あ、もしもし雫さん?」


「ちょっと弓さん! 弓さんったら弓さん!!」


「いつにもましてテンション高いですね」


「そりゃあテンションも上がるよ! 驚きと興奮でテンションマックスの助だよ!」


「マックスの助でしたか。どうしてそんなに興奮しているんです?」


 いつもテンション高めの雫さんだが、この上がりっぷりは若干異常だ。

 何かいいことでもあったのだろう。


「弓さん! 1話のPV数見た!?」


「あっ、ついさっき見ましたよ。そうそう雫さん、1話のイラストありがとうございました。今回も素晴らしいイラストでしたよ」


「だああああああ! 私の駄絵なんでどうでもいいの! 弓さんあのPV数見てどうしてそんなに落ち着いているの!?」


「え? いや、前作と同じくらいだなーとしか思わなかったですけど……」


「はぁ……なんか落ち着いてるね弓さん。なんかいろいろな意味であきれたよ弓さん。弓さん的にはあのPV数は普通なんだね」


 というより平均値がよくわからない。

 好きな作品はたくさんあるけれど人の小説をアクセス解析を見るのはなんか気が引けるのでやっていないし、とりあえず昨日よりPV数多ければなんか嬉しい、そんなレベルである。


「えっと、一応聞きたいのですが、雫さんがPV数のことで驚いているのって『少なすぎる』って意味ですよね?」


「だろぉ系の無自覚主人公みたいなこと言い出した!? 弓さんわかってて言ってるでしょ!?」


 半分冗談で言ってみたけど雫さんはしっかり乗ってくれる。突っ込みを返してくれる人ってありがたい。

 でもそうか。雫さんのこの反応を見るに僕の作品は他に比べると多いんだな。

 嬉しいのだけど、実は複雑な心境も奥底で存在する。僕も雫さんもあの作品は駄作と認めているからだ。それなのに多くの閲覧履歴が存在することがなんだか申し訳ない。


「こんな作品よりももっともっと面白い作品あるのに、どうしてこんなことに……」


「んー、前作のファンが見てくれたんじゃないかな?」


「あっ、なるほど。確かに好きな作者が新作を投稿したら絶対見てしまいますからね」


 どんなに内容が微妙でも第一話は見てしまう。

 でもたぶんその人たちも次は見てくれないだろう。

 見限られたらそれで終わりなのだから。


「なんだか第2話を投稿するのが怖くなってきました」


「そんなこと言わないで。弓さんの2話を待っている乙女がここにいるんだから」


「ありがとうございます雫さん。なんでそんなに優しいのですか?」


「昨日も言ったでしょ。弓さんの作風に惚れているからだよ」


 いつも雫さんはこの言葉で僕を励ましてくれる。

 頑張って2話から軌道修正してこの人にだけはこれ以上ガッカリさせないようにしないとな。


「でも辛くなったら無理して書き続けなくてもいいと思う。ただでさえ弓さんは病み上がりというか、久しぶりな執筆なんだから。ちょっとずつリハビリするのも良いと思うよ」


「そうですね。ありがとうございます」


「お姉さんの癒しが欲しくなったら言ってくれたまえ。甘やかしてあげるよ」


「雫さんってたまにお姉さんムーブかましてきますよね。やっぱり本当に年上だったりするんですか」


「『やっぱり』ってところが老けてるって言われているみたいで微妙なんだけど。まっ、いいや。年齢については引き続き秘密ですっ」


 雫さんは自分からプロフィールを明かしてこようとしてこない。

 というか顔合わせすらやったことなかった。

『大恋愛は忘れた頃にやってくる』のイラストを担当したのは雫さんだけど、データやり取りはウェブで何とかなっていた。

 僕が雫さんについて知っているのは人懐っこい性格と可愛らしい声くらい。

 彼女の顔とか年とか住まいとか、それにどうして『大恋愛』のイラストを担当する経緯に至ったのかとかその辺のことは全く知らなかった。


「じゃ、弓さん、今日はこの辺で! あ、そうそう、たまにはキミの方から私に連絡してもいいんだぞ~」


「確かにいつも雫さんから連絡もらってましたね。今度僕から連絡します。たぶん」


「あー、絶対しないやつだコレ。まっ、いいや、またね」


 それだけ言い残すと雫さんは通話を切った。

 

「さてさて、物語全体のプロットを組みなおしますかね」


 首をコキコキ鳴らして戦闘モードに入る。

 2話がある意味勝負だな。1話から閲覧数が激落ちするのは仕方ないにしても、如何にしてその数を落とさず保つことができるかでこの作品の運命は決まる。

 目標としては1話の閲覧数の7割は残したい……な。

 と、なると――


「PV数4桁キープできれば僕の勝ちって感じかな」


 目標が明確に定まるとモチベーションも上がってくる。

 読者の皆に忘れられないうちに2話を上げないと。

 集中だ。集中。脳を物語の構想にすべてに捧げる。

 雑音は消え、やがて自分の作り出した世界観にしか意識が向かなくなる。

 この感覚――懐かしい。

 長らく小説から離れていたが、この感覚ばかりは忘れられなかった。

 この日、僕が現実に意識が戻る頃には外から朝日の光が降り注がれていたのであった。




 ―――――――――――


キャラクター紹介


◆雪野弓(著名:弓野ゆき)

代表作『大恋愛は忘れた頃にやってくる』(文章)

人気小説家サイト『小説家だろぉ』にて新作を投稿中


◆水河雫

代表作『大恋愛は忘れた頃にやってくる』(イラスト)

『だろぉ』投稿作の弓野ゆき作品に挿絵を執筆中


◆雨宮花恋(著名:桜宮恋)

代表作『才の里』

ノンフィクション恋愛小説執筆を検討中

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