第二話

 ぼやけつつあった視界に写る姿は、それだけで十分有事であることを物語っている。

 もしかしたらこの勇ましい義妹のことだから、動き辛いと自分でドレスを裂いたのかもしれない。ドレスは裾が大きく裂け、白い靴下に包まれたほっそりとした脚が見えている。こんな時だというのに、その姿は艶めかしく感じられた。


「なんという、ことを……! あの、けだものが……!」


 斃れた王の姿を目にし、王太子の左腕が失われたことに気付き、義妹はその美しい面を蒼白にした。

 瞬間的に、その身体から怒りが噴出したように見える。

 その怒りで、悟る。この義妹にとっては酷すぎる現実を、すでに把握しているであろうことを。血を分けた弟の凶行だということを、すでに理解しているのだと。


 その怒りは、どこに向けられたものだろうか。、王が喪われたことか。王太子の身体の欠損か。それとも、自らの弟が仕出かしたことに対するものか。あるいは、その全てだろうか。

 死出の淵に立つ王太子は、咄嗟に言葉を選べなかった。何を言っても、もう意味がないような気がする。肩に触れた、義妹の手が震えている。泣きそうな顔で見下ろされて、後悔ばかりが先に立つ。


「ナディア……」


 名を呼ぶも、続く言葉が出てこない。しかし王太子の声に後押しされたかのように、義妹は顔を上げた。


「お義兄さまは、まだ喋れますわね。だから、大丈夫。大丈夫です。さあ、立ってください」


 決意と勇敢さを感じる声音だった。

 その声が、死にかけの王太子に生きることを促す。だが、その決然とした様子を前にして今もなお、王太子の身体からは刻一刻と、血と共に命が流れ続けている。


「無茶を、言うな。……私はもう無理だ。お前だけでも逃げてくれ」

「お義兄さまこそ無茶を言わないでください。わたくし一人で逃げ何を成せと申されますか」


 喋りながら、既に裂けたドレスの裾を義妹のたおやかな手が、慣れた手つきで大きく引き裂いた。その裂いた布を王太子の左腕に宛がい、細く裂いた布できつく縛り上げる。

 眩暈がするほどの痛みと吐気が込み上げてきたのを、歯を食いしばり呑み込もうとするが、堪え切れず獣のような唸り声が漏れ出た。


「……っ……何も、成さずともいい。生きて、息災であれ」

「お断りいたしますわ。一緒でなければナディアもここを動きません。あのけだものはこの城に火を放ちました。火の手が来る前に逃げませんと、わたくし焼死は嫌ですよ。とても苦しいと聞きますもの。かわいい義妹に、そのような苦しい思いをさせるんですか?」


 淡々と応じる義妹は、急場しのぎな止血の処置を施し、王太子の残った腕をその細い肩に担ぎ上げた。腕にひっかけたレイピアが視界の端で揺れる。


「どんな、脅しだ」

「無茶でもなんでも結構です。立ってください。義妹の頼みです。立って、足を動かしてください。逃げましょう。今は生き延びるのです。わたくしと共に。さあ、早く!」


 痛みに呻き、それでも義妹にそう促されれば、身体はどうにか動き出した。

 床を踏みしめなんとか立ち上がれば、義妹は当たり前のように次の要望を口にする。


「走れますね?」

「立ち上がるだけで死にそうなんだが」

「では早足で」


 一歩、また一歩。


「酷い、義妹だな」


 気が遠くなるような一歩を重ね前へと進む。他に生者のいない冷え切った回廊を。

 一歩を進むたびに、血だまりが後を追う様についてくる。どこかから、何かが燃える匂いがする。


「ええ、酷い義妹です。ここまで育てていただいたご恩がありながら、王家と国に恩知らずにも弓引く弑逆者と血を分けた女です」


 父王を殺し、王太子を半死半生で放置した弑逆者は、この義妹の血を分けた実の弟だ。幼い頃に両親を病で亡くし、その両親の兄である父王に我が子として育てられた。

 王太子にとっても義弟に違いない。そう、思っていた。思いが一方通行だったのか、このような凶行に走るどのような理由があったのか、わかるようでわからない。

 心当たりがないと言えば嘘になる。自身が好かれていないことぐらいは気付いていた。だが、これほどまでの事態を引き起こすほどの嫌悪、あるいは憎悪があるなどとは思ってもいなかった。

 なぜ。どうして。そんな、答えが出ることはない問いが思考を埋めていく。


 凶行ではあれ、衝動的になされたものではないのだろう。周到な計画があったはずだ。実に鮮やかな手並みだった。平和ボケしていたにせよ、それなりに城の警護はしていたし、王族を守護する者達はいたのだ。


 最初の変異は、兵に起こった。近衛を含む多くが何らかの遅効性の毒物で次々と倒れた。どうやら井戸に何かが投げ込まれたらしい。

 気付いた時には何者かによって城の門扉が閉じられていた。無事だった城内の者達がそのまま敵に回り、水源と井戸を別としていた王族のみがその時点では無事だったが、罠にかかった獲物と大差ない。


 王は死に、王太子も遠からず死ぬ。

 自ら手を下した義弟は、血に濡れた顔で相も変わらず天使のように微笑んだ。

 一体どのような甘言を弄してか、義弟に味方し弑逆者となった者たちが少なからずいたことに虚しさを覚えた。


「……母上たちは」

「近衛の一部が妃殿下とお子様たちを逃がそうとしましたが、失敗したようです」


 皆殺し、という意味だろう。あまりにも容赦がない。

 この状況で、少しも包み隠すことなく惨い状況を伝えてくる義妹の存在がありがたいような、複雑な思いを抱く。


「惨い、ことを」


 身体が重い。脚が言うことを聞こうとしない。それでも、歩き続ける。

 まだやるべきことが多くある。父を亡くしたのならなおさら。王族としての責任を、いまだ果たせてはいない。

 国への、民への責任がある。それなのに、そんな思いが少しずつどこかへ押しやられていくのを感じる。思考と責務が、生と死の間で揺れ動く。


「死んではなりませんよ。この王朝の血を引くのは最早あなただけです。血を絶やしてはなりません」

「……お前もいる。お前も先代の王の孫だ。王家の血を引いている」


「神に選ばれ王になるべき者、と言い換えましょう」

「他に誰もいなければ執政でもなんでもやりようはある。いつかは王となるべき者が生まれるだろう。それまでで、いいから……」


「わたくしは、弑逆者の姉です。不始末の責任を取らねばなりません」

「あいつは私にとっても弟だ。同じ王家の一員。お前に責任があるのなら、その責任は私も含め王族全てが共に負うべきものだ。お前ひとりが負うべきものなど何もない」


 義妹は、それには応えなかった。

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