08 ある意味では
それは、春になり行く小さな町の、古びた屋敷の前だった。
薄茶の長い髪をうしろでひとつに束ねた若者は、弦楽器を入れていると一目で判る変わった形の鞄から
「この家は、何なの」
ふと思いついたかのように、クラーナは尋ねた。
「僕はさ、君がここに現れたのは僕がいたからだと思ったんだよね。だけど、君は何も知らなかった。見て、気づいたんだと言った。それに、君が僕を追うんじゃない。僕こそが、君がここに現れると――知ってた訳じゃないけど、そんな感じがしてここまできたんだもの。と言うことは」
「この家に何かある、と見た訳だな」
オルエンは屋敷に目をやった。
「
「長いこと、誰も住んでいなさそうに見えるけど」
荒れ放題の家と庭を見やって、クラーナは口を挟んだ。
「そうであろう。かれこれ、五十年にはなるか」
二十代後半に見える白髪の男はどうということもなく言った。またか、とクラーナは思う。
「それで、『知人』はどうした訳」
「さあ」
オルエンは肩をすくめた。
「老体であったからな。死んだのだろう」
「『だろう』って、気にならないのかい」
五十年は冗談でも、何らかの感傷を持って訪れた知人の生死についてどうでもいいと言うのだろうか。
「気にしてどうなる?
やはり変わらぬ調子でオルエンは言った。
「もしかして、君」
胡乱な表情を浮かべてクラーナは相棒を見た。
「自殺願望とか、持ってる?」
これにはオルエンは吹き出した。
「何と! 思いもかけない言葉ばかりだ。お前は実に面白い男だな、クラーナ」
「君には負ける」
彼は正直に答えた。
「まあ、君が何を考えていてもいいけれど、来年が過ぎるまでは無事でいてくれよ」
「死者を羨むことと死を望むことは違う。私が死ぬのは、為すべきことを全て終えたあとだ」
「へえ、そりゃいいね」
クラーナは少し皮肉っぽく笑った。
為すべきことを全て終える。それはなかなか立派な物言いだし、理想的な人生とも言えるが、どうにも芝居がかっているような気がしたのだ。
もっともクラーナは、この町で知り合った老人デンがそんな言葉を口にすれば、神妙に聞いただろう。ただ、彼はまだ若く、「為すべきこと」などと堂々と言えるものを見つけていない。ましてや、それを「終えたあと」などいつになるものか。
彼は、同じくらいに若い魔術師がまるで悟りきった人間のようにそんな口を利くのが可笑しかったのである。
前夜に感じた、オルエンが本当に歳月を重ねているかもしれないという思いは、夜の神秘を払う
「君は
茶化す口調で、クラーナは言った。
「予言などはせん」
オルエンは片頬を歪めて答えた。
「未来などは、見えぬ」
「へえ」
クラーナはまた言った。
「それじゃ、過去は?」
「過去だと?」
「君が一年前にこの町を訪れていないというのは信じるけれど、それじゃ何が訪れたんだと思う?」
どうにも、気にかかっていた。リアーの見た、恋人の影。
「何度も言っただろう」
というのがオルエンの返答だった。
「何だって?」
詩人は目をしばたたく。
「ジャファラール。あれは文字通りに影が薄い故、たいていの人間は目にとめん。だが、鋭敏な感覚の持ち主ならば見て取る。その娘には、魔力に近いものがあったのかもしれんな」
「……幽霊」
「そうではないと言っておろうが」
オルエンは否定したが、ふと考えるように黙った。
「どうしたの?」
「ある意味では、幽霊かもしれん」
「何だよ、それ」
「娘は恋人の死を知っていた、そう考えれば幽体のようなジャファラールを見つけ、恋人だと思い違いをすることも――」
「ちょっと待った」
詩人は片手を上げた。
「それは、たとえ話? それとも、君はやっぱり、何か関わっていたのかい」
「疑り深い」
オルエンは眉をひそめたが、腹を立てているという様子はなかった。
「だって、コトの父親が死んだと言うのは? やっぱり、何か知っているとしか」
「いまにして思えば、だ」
思い出そうとするように、オルエンは目線を宙空の一点に定めた。
「私が最初にあの森の話を聞いたのは一年以上前。ここからかなり離れた町に暮らす男からだった。そのときは興味を持たなかったが、ジャファラールについて知るようになり、ではあれがそれかと男を再訪すれば、男は病を得て死んでいた。男の話を思い返してみれば、いくらか前にその森に近い町の娘と恋をしたが、親の仕事について遠くへ行かなければならなくなったというようなことだった。私はそれから、サルフェンを探したのだ。その男は、子供ができたとは言っておらんかったが」
「……それじゃ」
クラーナは目をしばたたいた。
「それが五年前の男? コトの存在を知らずに、去った? 過去の思い出とだけ?……子供ができたから、リアーを捨てたんじゃ、なかったのか」
「さあな。通りすがりの相手にそのような話まで正直にぶちまけるとも限らん。過去の悪行を美しく仕立てただけやもしれんぞ」
冷静にオルエンは指摘した。詩人は考えたが、答えの出る話ではなかった。彼が答えを出す必要もない。リアーも、その男も、もう逝ったのだ。
「それじゃ」
彼はもう一度言った。気になることなら、もうひとつある。
「知人がいたというのは、何かな。君が、サルフェンにきていたと言うことになるだろう」
一年前には訪れていなくても――五十年前ではないにしても――やってきたことはあるという宣言だ。詩人はそう思った。
「いちいち訪れなくとも、魔術師同士であれば話は済む」
「魔術師だって?」
「そう広くもない町で、いつまでも家が放置されている事実を何だと思うのだ」
オルエンは館を指した。
「この町の人間が、娘を惑わしたのは魔術師だなどと噂をしたのは、かつて彼らに近しい魔術師がいたからだ。『悪い魔法使い』ではなかったろうが、偏屈な男ではあったな」
オルエンに「偏屈」と言われるとは、いったいどんな人間なのだろう。クラーナは想像してみようとしたものの、さすがの詩人も自らの空想力に少し限界を感じた。
「サルフェンは、偏見以外に、魔術師を煙たがる理由を持っていたのだ。さもなくば、魔物、妖怪説の方がまかり通っておったろう」
それは納得のいく説明であるようだった。クラーナはうなずきかけたが、待てよ、と考える。
「僕は昨夜、ここの人たちからいろいろな話を聞いた。でも、魔術師に関することは何も聞かなかったよ」
「古い話だ。それに、厄除けの祭りの最中に、忌まわしい魔術師の話をしたがるものもおるまい」
それは説得力のある説明と言えたが、そのことに触れるより、クラーナはこう呟いていた。
「……自覚はあるのか」
「『忌まわしい』、か?」
オルエンは鼻を鳴らした。
「どう思われても気になどならん。お前も好きに思え」
「そうさせてもらうことにする」
クラーナは肩をすくめて答えた。
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