06 奇妙な約束

「神々はそれほど暇ではなかろう」


 魔術師は、詩人の感傷的な台詞に対して、すげなく答えた。


「何だよ。『精神の象徴』だと君が言ったんじゃないか」


「言った。あれには意思が感じられる。花の香りに誘われただけの虫ではない。ジャファラールを見れずとも、あのような珍しいものを見れただけで私としては充分だが」


 魔術師は少し満足そうだった。


「子供の母の『魂』だとは思わん。女子供の夢想だな。まあ、いまのお前は」


「僕は詩人だもの」


 性別について何か言われる前に、クラーナは素早く言った。


「さあ、夢の時間はおしまいかな」


 頭を振って、彼女は言った。


「僕はあの子を連れて町に戻るよ。君はどうする?」


「獣人が現れたことについては警告を促してやらねばならないな」


 意外にもオルエンはそんなことを言った。そして続けられた言葉に、クラーナはますます目を見開くことになる。


「祭りに水を差すのは、しかし気の毒というものだな。今宵は私が境界を守っておいてやろう」


「……君」


 呆然としながらクラーナは言った。


「案外、いい人?」


「馬鹿な」


 いったいこの三日で何度目になるか、一年間で何度聞かされるのか、オルエンはそう答えた。


「私はこのまま、ジャファラールを待つ。どうせ外にいるのだから、ついでに警戒もしておいてやるだけのことだ。まあ、あれははぐれ者であろうから、余計な心配となろうがな」


「そうだね、君はそうするべきだよね」


 うん、とクラーナはひとつうなずいた。


「門番をやっていた気の毒な若者を更に気の毒な目に遭わせて」


「眠らせただけだ」


「いくら何もなかったとしても、目覚めた彼がどんなに気まずく感じると思う?」


「うるさい奴だな。では、時間の感覚を混乱させておいてやる。ほんの一ティムばかりうたた寝をしただけだと思うようにな。これで文句はないか」


「あのね、言っておくけれどね、オルエン」


 クラーナは咳払いをした。


「君がどんな多彩な術が使えるとしても、何でもかんでも魔術で解決するなんて間違ってるよ」


 言われたオルエンは、まるでクラーナが「太陽リィキアは西から昇る」と言ったかのような、奇異な視線を詩人に向けた。


「何故だ」


「何故って」


 クラーナは呆れた。


「そういう無茶苦茶は、どこかに絶対、破綻をきたすからだよ!」


「無茶苦茶などはやらん。できることをするまでだ。こちらも言っておくが、魔術で『何でもかんでも』などはできん。魔術の理、星辰の定め、手出しできぬこと、してはならぬこと、魔術師などは制限だらけだ。しかし、事象に魔術が差し挟まれるとき、それは魔術師の意思よりも定めの鎖。破綻が起きるならば、それもまた為されるべき理」


「……屁理屈と言うのか、独特の信条レルサールと言うのか、よく判らないね」


「判らないか? ならば簡単に言おう。魔術で解決できることなど、決して数多くない。存在するならば、それは僥倖というもの。私は、術が有用だと思ったときにだけ術を使う」


「『とてもよく判りました』とは言えないけど、まあ、前のよりはましだね」


 詩人は魔術師の論理をそう評した。


「助けてやったと言うのに、小うるさい」


「君がおとなしく祭りを見ていたら、僕はあんな目に遭わずに済んだんだけど」


「お前もその子供も、勝手に追ってきたのだろうが」


「怪しいことこの上ないからじゃないか」


 クラーナは苦情を言った。


「でも、君が『悪い魔法使い』じゃなくて、『善良な人々を惑わす』つもりじゃないんなら、いいことにするか」


「仮に私がそうであったとして、お前に何の問題がある?」


「問題だらけに決まってるだろう。悪事を働く〈鍵〉なんて僕はご免だよ。君が力を望んだら、僕はそれに従いたくなっちまうんだからね」


「力など」


 オルエンは口調を変えぬままで続けた。


「あれば、虚しさを呼ぶだけだ」


「……ふうん」


 詩人は、責めるような調子を消して呟いた。


「何だか」


「何だ」


「何でもないよ」


 クラーナは片手を振ると、花畑の脇を歩いて、コトの方に足を進めた。


 何だか、オルエンが本当に齢を重ねているように思えたのだ。――まさか、とは思うが。


 馬鹿げた考えを振り払って少年のもとにそっと寄れば、子供は穏やかな眠りについているようだった。


「……本当に、毒の香りのせいじゃないんだろうね」


 念のためにとばかりに彼は追及した。オルエンは眉をひそめる。


「子供が夜明けに目覚めないようなことがあれば、私は明日の祭りでお前の代わりに歌でも踊りでも披露してやる」


 魔術師は鼻を鳴らした。どうやら、絶対の自信があるというところか。


「詩人は、踊らないよ」


 彼女は笑みを浮かべてそうとだけ言い、魔術師の技を信頼することにした。


 そのままクラーナはそっとコトのもとにひざまずくと、その身体に優しく触れる。


「小さいな」


 詩人は、寝た子を起こすのを怖れるように囁いた。


「こんな小さいのに、お母さんを亡くした哀しみに耐え、『悪い魔法使い』を追いかけて、危険な森に入る勇気を持ってる」


「しつこい奴だな。誰が悪い魔法使いだ」


「そう見える状況だったことは確かだろう」


 クラーナは笑って似た返答を繰り返した。改めて、コトを見る。


「痛みと哀しみを乗り越えて、この子はどんな少年に育つのかな」


「気になるならば、見に来てやったらどうだ」


「何だって?」


「来年。再来年。お前が旅の詩人を続けるのであれば、〈三穀祭〉の頃に何度でもサルフェンを訪れればどうだ」


「――ふうん」


 クラーナは考えるようにした。


「いいかもね。それで、君は毎年、幽霊ベットルを見にやってくる?」


「幽霊ではない。ジャファラールだ」


「何でもいいけど」


 詩人は笑った。


「来年は、そうだね。翡翠の件に片がついていて余裕があったら、ということになるだろうけど、再来年にはまたこようか」


 魔術師は、魔物を見に。詩人は、少年を見に。奇妙な約束だ、とクラーナは思った。でも、こんなのもいい。


「じゃ、僕は戻るよ。この子のお爺さんが心配してる」


「そうしろ。さっさと戻れ」


 オルエンは手を振った。


「明け方には、私も宿に戻る」


 その言葉にクラーナは軽く目を見開き、了解、と答えて笑った。

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