07 祭り

 「大砂漠」は、実在している。


 だが当の砂漠を離れてある程度以上西にやってくると、まるで砂漠自体が伝説のように思われていた。


 サルフェン辺りでも、大砂漠などは物語の地と思われており、現実味がない。ましてや砂地に建つ塔に住む魔法使いとくれば、これはもう完全に子供向けの空想物語だ。


 だが砂嵐を操り、砂漠狼を支配する魔法使いの歌は、なかなか聞かせる冒険歌だった。


 クラーナは、いくらか子供向けすぎるなと思うところを適当に編集して、同じ音節の言葉で置き換えたり、大胆にも一節削ってしまって、思いつくままに作詞をしたり――即興でこんなことができる自分に驚いていた。じっくりと時間をかけてあらかじめ考えておけばもちろんできるが、ぶっつけでこんな真似をしたことはない。


 しかし、不安はなかった。できると思ったのだ。祭りの熱気が彼に乗り移ったものか、満月の神秘的な力の為せる業なのか、それとも〈鍵〉が近くにいるためだったろうか?


 理由が何であってもかまわなかった。ただクラーナはこの夜、いまや十年近くになろうとしている歌暮らしのなかでも、最高級の演奏をした。耳のよい聞き手がいれば、このような煩雑な、彼の歌を聴いているのだかいないのだか判らないような田舎の群集のなかにその音色が埋まってしまうことを嘆いたかもしれない。


 詩人は弦をつま弾き、思うままに和音を奏でた。定番の伴奏の合間には、これまで演奏したことはもとより、耳にしたこともなかった旋律を生み出した。彼の指先から送り出される音の流れは、詩人の歌を楽しみに聞くものの心はもちろん、そんなものはただの賑やかしにすぎないと思う人間のそれをも掴んだ。


 砂漠の魔法使いと不思議な塔の歌が終われば続けて〈水辺の精霊〉を奏で、踊りたくなる雰囲気に持っていった。


 彼の目論見通り、若い恋人たちが手を取り合い出す。クラーナは喜びに笑みながら、曲を続けた。


 とてもいい気分だ。


 広場にいる町びと全員が――という訳にはいかないが、多くの者が彼の歌に耳を傾けている。踊ることさえなくても、そのリズムに合わせて身体で拍子を取っている。


 正確なところを言えば、人々は「曲」を聞いている。特に「彼の歌」という訳ではない。ここにいるのがほかの詩人でも、或いは詩人に憧れて楽器を習いはじめたばかりの素人でも、彼らは同じように喜び、踊るだろう。オルエンの言った通り、クラーナは一陣の風にすぎず、「吟遊詩人という役割を持つ者」であって「クラーナ・アトアール」である必要はない。


 彼はそれを知っていた。いまだ年若い彼はそれに不満を持つこともあったけれど、このときはそんなちっぽけな自尊心など忘れていた。


 ただ、弦を弾く。ただ、歌う。そしてそこに人々がいる。


 何と幸せなことか!


 一般的な譜面よりも二回多く盛り上がる箇所を奏でて〈水辺の精霊〉を終わらせると、息つく暇を与えずに〈帚星フォーリア・ルーの輪舞〉をはじめた。これには歌詞がないから、喉を休ませられる。夜は長いのだ。最初から飛ばしてしまうと、あとがつらい。


 この場には何が相応しいだろうか、と奏でる曲の算段を続けるクラーナの頭に、ふとひとつの題が浮かんだ。


(そうだ。あれもいい歌だよな)


(〈翡翠ヴィエルラの飛翔〉)


 碧玉ヴィエル色の羽根を持つかわせみヴィエルラの飛ぶ様子を謳った歌を思い出すと、オルエンが「ヴィエル」の一語に「ヴィエルラ」と反応したことを思い出した。


(魔術師なら、あんな可愛らしい鳥よりも魔除けの石の方にこそ反応しそうなのに)


 そんなふうに思いながら人混みにオルエンの姿を探した。黒ローブであれば目立とうが、それを脱いだ男の姿は雑踏に紛れて見当たらない。いや、〈鍵〉がすぐ近くにいないことは、彼にははっきりと判った。


(まさか踊っちゃいないとは思うけどさ)


(……もう帰ったのかな)


 少し残念に思う。一曲くらいは彼の曲を聴いただろうか?〈魔術師の塔〉は最高の選曲だと思ったのに。


(それとも、もう森に出向いちゃったとか)


(……大丈夫なのかな)


(興味を持って研究してるみたいなこと言いながら、毒に倒れるなんて馬鹿なことはないだろうけど)


 当然、何らかの防護策を持っているのだろう。そうでなければ愚かすぎる。


(でも)


(大丈夫なんだろうか)


 思考を逸らすと、和音を間違えた。しまった、と思うが人々はちっとも気に留めなかったようである。それはそれで、少し悔しいものだ。


 クラーナは集中力を取り戻し、演奏にいそしんだ。次には少し静かな曲を披露し、余韻を残して終わらせる。ばっと弦楽器を差し上げるようにすると、一旦の終了を知って町びとからの拍手が上がった。置いておいた小籠のなかには、思っていたより多めの演奏代が入っている。これはいい傾向だ。籠を持って広場を巡れば、かなりの収入になるだろう。


 だが――今日は祭りである。


 「商売」は商人に任せて、詩人はただの風になろう。


 詩人は詩人らしく、そんなことを考えた。


 にこやかに笑んで一礼し、ほかにも演奏家が待っているのではないかと周囲を見回した。壇上を独占してしまうのは、よろしくない。


 大都市と違って、待ちかねた次の演奏者が飛んでくるというようなことはなかったが、予定されているのか飛び入りなのか、ほかにも催しはあるようだ。クラーナは円形の台座を譲るように手を差し伸べ、弦楽器をしまった。


「何だ、もう終わりかい?」


 がっかりしたように、近くの若者が声をかけてくる。


「またあとで演らせてもらうよ。たとえ望んでもらっても、一晩中はきついしね」


 そう言って片目をつむれば、そりゃそうかと若者も笑った。


「あのさ」


 鞄を背負いながらクラーナは、去ろうとしていた若者を呼びとめた。


「〈月の花〉の歌は聴かれないのかな?」


「え? ああ、あれか」


 意外なことを訊かれたというように、振り返った若者は目をしばたたく。


「いまに誰かが歌い出すさ。あんたみたいな見事な詩人さんのあとじゃ、当分、誰も歌いたがらないかもしれないけど」


 その世辞にクラーナは礼の仕草をし、嬉しいけれど少し残念だな、とも思った。知らない歌を早く聴いてみたいのに、と。


 だがこの辺りは前向きな思考で、楽しみを先にとっておけるのもよいことだ、とすぐに考え直し、今度は詩人としてではなく一訪問者として祭りを見物することにした。


 話に聞いたように、祭壇のようなものはない。多くの祭りではたいていの事象を神と結びつけ、その神に捧げものをしたり、祭壇や像を用意してその前で祈ったりするものだが、〈三穀祭〉では不要のようだ。


 人々は飲み食いをし、話し、笑い、普段はいつもの仲間たちと酒場でやるようなことを屋外でやり、あまりつき合いのない顔とも騒ぎ合う。オルエンがいれば、「存在しなかった絆を育み合い、隣人との結束と強めることで畏れを払うのだろう」とか何とか言うかもしれなかったが、クラーナはただ「新しい友人ができるのはいいものだな」と思った。


 若者たちは、先のレグのように気になる娘に声をかけたり、積極的になれない友人に発破をかけたりしているようだ。娘たちは、やはり気になる男の噂話をしたり、そっと集団から離れて恋人、或いは恋人候補が彼女を見つけることを期待している様子である。まだそんな恋の鞘当てを覚えない子供たちは、男女の区別なく広場中を走り回って大人たちに可愛がられたり怒られたりしていた。


 内気なコト少年はどうしているだろう、とクラーナはきょろきょろしたが、そこを駆け抜けていった元気な一団のなかには見当たらなかったようだ。親の隣から離れられない小さい子もいるようだったが、コトには、母親はいない。


デンさんセル・デンは、きていないんだろうか)


 男の子は「デン爺は家から出ない」と言っていたし、昼間の様子を思い出せば、こうした活気のなかに身体を進めることはつらそうであった。となると、居残り組だろうか。


(もしかしてコトも一緒に、彼の家に?)


 思いつくと、有り得そうだと感じた。もしかしたら少年自身がそう望むこともあるかもしれないが、哀しみを覚えた子供にはこうした空気のなかで浮かれ騒ぐことも大事なのではないだろうか。


 そんなふうに考え、デンの家に行ってみることも考えたが、余計なお節介だろうか、とも思った。


 所詮、彼は旅人だ。町の事情や、家族の事情に首を突っ込むのは出過ぎた真似とも言える。オルエンの言葉を借りるなら、風を通り越して嵐になってしまう。


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