06 一曲目に相応しいのは
旅にすりきれ出した茶色いマントは宿に置いてきた。旅路にあれば暖かいこの時季でも風雨を防ぐのに役立つが、晴れた日に町を歩くのならば不要だ。
それに、いかにも「旅人」という格好も土着の祭りには相応しくない。
加えて、連れがローブをようやく脱いだのだから、それに合わせるのが自然というものだろう。
クラーナはまず、オルエンを連れ出せたことに満足感を覚えていた。どうにも偏屈な若者――自称老人――だが、無闇に意地を張りつづけることはしないようだ。人の話に耳を傾け、相手に譲歩するくらいの良識はあるらしい。
もっともこの場合、我を張ったのはクラーナである。つまり、オルエンから見ればクラーナの方こそが、人の話に耳を傾けない偏屈な若者、という逆説も成り立つ。
だが、旅路を続ければお互いのことが判ってくるだろう。そう考えて詩人は、いまオルエンにどう思われているかはあまり気にしなかった。
その代わりと言おうか、少しだけ気になったのは、相棒の格好である。
変だというのではない。センスが悪いとか、派手だとか言うのでも。それどころか、非常に、ごく普通だ。上下ともに暗めの色合いの、それも全くの無地で、味気ないくらいである。
それでも、少しだけ、二点ばかりが気になっていた。
まずはひとつ。陽気はすっかり暖かくなっており、今日などは昼から快晴のためか、暑く思うくらいだ。なのに、魔術師の上衣は手首までを覆う長い袖のものだった。クラーナなど、半袖を更にまくろうかと思っているほどなのに。
「君」
思わず、彼は隣を歩く男に声をかけた。
「やっぱり、砂漠に比べるとこの辺は寒い訳?」
オルエンは片眉を上げただけでそれに答えなかったが、たぶん、寒いなどと認めるのは沽券に関わると思っているのだろう、と詩人は判断することにして、それ以上問うことはしなかった。
そして、長さとは別に気になることがもうひとつ。
(ずいぶんと)
(質がいいな)
肩口、袖口までぴたりと寸法が合っている様は、既製品ではないと思わせる。もしかしたらその辺りは魔術で何とかできるものかもしれなかったが、細かくしっかりとした縫い目や上質の布、簡素ながら留め具も立派なものだ。それ一着を買うのに、クラーナであれば、ひと月の稼ぎを全部つぎ込んでも足りるかどうか。
(大砂漠のどこで稼げるやら)
そんなふうに皮肉のような軽口のようなことを考えたクラーナだったが、ふと、オルエンは自分が暮らしている場所を言いたくないのかもしれないと思った。それは個人的な
(……まさか、何か悪いことをして儲けてる、とか?)
生憎と言うのか、真っ当な人生を送っていると、派手派手しく儲かることは滅多にないものなのだ。
(「悪い魔法使い」の役どころでなければ、とりあえずは、いいけどさ)
いま、このサルフェンでオルエンの容疑はそこである。クラーナは、町びとたちが持つ魔術師への不安を払拭したいのだ。そこに「邪な魔法」ではないとしても、何か邪な稼ぎ方をしているかなどと問いつめて、「やはり魔術師など悪人だ」という論調になってはまずい。
(まあ、一緒にいれば、いまに判るだろう)
(よくないことをしているようなら、一年間かけて更生させてやるさ)
詩人はそんなふうに決めると、その考えを脇に追いやった。いまはオルエンの生活よ祭りだ。
そうして彼らが訪れた町の広場は、クラーナがこれまでに眺めた様子とはずいぶんと異なる様相を見せていた。
昼間まではただの広い空間だった。大きな街のように噴水もなければ花壇もない。中央には円形の台座のようなものがあって、階段二段分ばかり高くなっている。それがかろうじてこの場所を「ただの空き地ではなく、町民の広場である」と思わせてくれた。
しかし今宵は雰囲気が違う。日の落ちた町の、今宵はここが中心地である。
「全員が集まる」というのは、大げさな表現ではなかったようだ。厳密なことを言うなら病人やら乳飲み子とその母やら、デンのような老人もきていないようだったが、彼らは森へ出て行くこともないだろうから特に祭りに参加する意味はないのかもしれない。だがそれでも、広場は年齢一桁の子供から四十五十の男女まで、二百名近いほどの人々でごった返していた。
はしゃぐ子らのかん高い声、既に酒が入っているらしい者たちの大きな笑い声、料理を用意する者たちは忙しく立ち回りながら、危ない真似をする子供たちを叱り飛ばしたりしている。
話に聞いた
〈三穀祭〉は特別な儀式や派手なところのない祭りだが、そんなふうにほかの町から訪れる人間もあると言う。
しかし、噂の詩人の隣にいる男が噂の魔術師であるということは、ローブの有無にかかわらず、すぐ知られたようだ。
クラーナの来訪に歓声を上げた者たちも、オルエンの姿を見つけると勢いを削がれたように声を落としたり、視線を逸らしたりした。
「後悔したか?」
「何でさ」
クラーナはふん、と鼻を鳴らし、相棒の意地悪だか皮肉だか自嘲だか何が込められているのかよく判らない台詞をとにかく切り捨てた。
「やあ、レグ」
周辺を見回したクラーナは〈白蛙〉亭で名を覚えた若者を見つけると、わざとらしいほど気軽を装って声をかけた。
「誘われるままにきてしまったけど、本当によかったのかな?」
名指されたレグは焦ったように目をしばたたき、曖昧な笑みを浮かべながらもちろん、と言った。
「で」
クラーナはすっとレグの耳元に口を寄せる。
「ファリーってのは、どの娘?」
悪戯っぽく囁けば、レグ青年は少し顔を赤くしてそっと何ラクトか向こうを指差す。
「ほら、あの、茶色い水差しを持ってる」
「へえ! 美人じゃないか。今日なんか、いい機会だろ。頑張れよ」
ぽんと肩を叩く。レグは照れたように笑いながらうなずいた。
そんな調子で幾人かに声をかける間、オルエンは有難くもじっと黙ってくれていた。そうこうしながら陽気に振る舞えば――何か演技をしている訳ではなく、祭りの雰囲気にクラーナ自身、かなり気分が乗ってきていた――隣の若者にびくついた視線を向ける者も減ってくる。
「どうだい?」
ふふん、とクラーナは勝ち誇るようにオルエンを見た。魔術師は眉をひそめる。
「何がだ」
「意味もなく怖がられるより、いいだろ」
「怖れられると気に病んだことはないがな」
「素直じゃないなあ」
クラーナは呆れた口調を作ったが、声には楽しそうな笑いが忍び込んだ。
「まあ、いいさ。君の価値観をいきなり変えられるとは思ってないよ。とりあえずは僕の世界を知っておいてもらおうかと思ってるだけ。そのあとで苦情でも反省でも聞くよ」
オルエンは何か返答をしようとしようだったが、それよりも先に、声がかかった。
「クラーナ!」
昨夜に知り合った男が詩人を見つけて声を上げて手を振っている。クラーナは手を振り返してそちらへ向かった。どこか仕方なさそうにオルエンはついてくる。上等、と詩人は考えた。
「きたな、早速やってくれ」
「お任せ」
詩人は片目をつむって答えた。
「遠慮なく、舞台に上がらせてもらうよ。そうだ、その間、彼に酒でも渡しといてくれるかな」
オルエンを示してそう言うと、男は詩人の連れ、即ち魔術師であると言われる男にやはり目を見開いたが、そこに不気味な黒ローブがない。魔術師だというのはただの噂か、と思ったのかどうか、男はクラーナの依頼を気軽に引き受けて、白髪の若者に笑いかけた。オルエンはすぐには反応を返さなかったが、何か考えるようにしているかと思うと、謙虚な会釈だか不遜なうなずきだか判別しがたいほど、わずかに頭を動かした。
(まあ、どうしても嫌なら、引っ込むだろ)
子供でもないのだから、これ以上は彼が気にかけてやることもない。
(でも、引っ込まれる前に一曲くらいは聞かせてやらなくちゃ)
オルエンは会ってからというもの、何だかはっきりしないことや途方もない嘘――にしか思えないこと――ばかり告げてくる。だがクラーナの方では、その真似をしてやるつもりはない。それどころか、向こうが嫌な顔をするくらい「クラーナ・アトアール」を主張してやる。
もちろん、歌で!
(何を演ろうか)
(一曲目に相応しいのは)
この場合、祭りに参加するための一曲目でもあれば、今後一年の相棒に聞かせる最初の一曲の意味もある。クラーナは段差に腰掛けて手早く調弦をし、心に浮かぶ題名を素早くふるいにかけていった。
「おお、
見覚えのない男から声がかかった。どうやら酔っているようだ。見れば、楽しげな酒盛りはあちこちで行われている。これは、陽気な歌か、派手な歌でなくては。クラーナは聞こえたというしるしに手を上げると、息を吸って大きな声を出した。
「それじゃ」
ちらりとオルエンに視線をやる。
「遥か東、
周囲からは歓声が上がり、砂漠に住んでいて塔がどうとかと口走る白髪の魔術師は、その宣言にかすかに笑った。
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