05 たまにはいいじゃないか
サルフェンの町に夜が訪れる。
窓の外に目をやれば、
満月。毎月、やってくるもの。
しかしこの満月は、月に一度やってくるものとは異なる意味を持つ。
サルフェンの町が催す〈三穀祭〉。甘い毒を避けるために。
寝台の上でクラーナは思い切り伸びをした。夜じゅうの祭りだという話だから、少し休んでおいた方がいいだろうと思って仮眠を取るつもりだったが、予定よりもぐっすり眠り込んでしまったようだ。
人の気配にそちらを見れば、オルエンがいたので驚いた。
「どこかへお出かけかと思ったのに」
「読書くらいならば、どこででもできる」
そう言うと魔術師は、それで殴ったら人だって殺せそうな分厚い書物を重い音を立たせて閉じ、片手を振った。と、本は消えてしまう。まるで
「本はどこへ行ったの」
「塔へ帰した」
「塔だって?」
「気にするな」
余計なことを言ってしまった、とでも言うようにオルエンは片頬を歪めた。
そう言えば、とクラーナは思う。
「それじゃ、僕が起きるのを待っててくれた訳?」
代わりに、そんなことを言う。否定の言葉がくると思いながらの台詞だったが、それが不思議か、と返ってきた。クラーナは瞬きをする。
「不思議だよ」
「いなくなれば文句を言うくせに、いればいたで不満か」
「不思議だと言っただけで、不満だとは言ってないだろう」
「祭りはそろそろはじまるらしいぞ。待たれているのではないのか、
「ああ、そうだね。そのために休んでたのに、行き損なうなんて間が抜けてる」
クラーナは笑って、長くなってきた髪をざっと手櫛で調えた。
「ん? はじまるらしいって、君、町を見てきたの?」
「出歩かんと約束をしただろう」
「黒ローブを着て歩かないでくれと言ったんだよ」
「脱ぎたくないのだと言っただろう。ここから様子を見ていただけだ」
「何だ。〈三穀祭〉は見ないのかい」
「見てどうする」
「何か君の興味を引くものがあるかもしれないじゃないか」
「そうは思えんな」
「〈知ってから拒絶しろ〉と言うね。偏屈はいけないよ、ご老体」
「田舎の祭りは都会のそれよりも」
「退屈だ、とでも?」
クラーナは先取ってやったつもりだったが、オルエンは肩をすくめて否定した。
「馬鹿な。退屈なのは都会のものだ。形式だけになって力を持たない。田舎のものは伝統を残し、本来の祈りに通じる、確かなものであることが多い」
「何だか知らないけど、それなら見るべきじゃないか?」
「その分、どこでも同じだと言うのだ。地に足をつけた祭りは、この地を踏む者たちのための祭りでもある。余所者は歓迎されない」
「僕も?」》
皮肉のつもりはなく、ただ疑問に思ってクラーナがそう尋ねれば、オルエンは首を振った。
「お前は別だ。
「じゃあ君は嵐なのかい」
「私自身にそのつもりはなくとも、彼らは『魔術師』に何を見る?」
「黒ローブを脱いで、ついでにその小難しい口調も避ければ、彼らだって受け入れるよ」
「別に私は、仲間外れを拗ねて呪いをかけるような真似はしない」
「『グレーアン』だね」
クラーナが笑って言うと、オルエンは面白そうな顔をした。
「よく知っておるな」
「詩人は儲かる職業じゃないけど、金が貯まれば、いい芝居なんかも見に行くよ。あの話にはいい魔法使いと悪い魔法使いがいるけど、印象に残るのはやっぱり悪い方かな。お生憎様」
「かまわん。世の中にはよい人間と悪い人間がいるが、印象に残るのは悪い方だからな」
「魔術師に限らないって訳だね。まあ、その通りだけどさ」
身支度を整えると、クラーナはちろりとオルエンを見た。
「行こうよ」
「行ってどうする」
「酒を飲んで、歌を歌って、楽しむのさ。歌えないなら、僕の歌を聞いていればいい。砂漠でも塔とやらにでも、ひとり籠もってるんじゃそんな楽しみも味わえないだろう? たまにはいいじゃないか」
「酒を楽しむことならひとりでも可能だな」
「歌を歌うこともね」
冗談めかして詩人はつけ加えた。
「そんなに嫌だと言うんじゃないんだろう? 君が本気で拒絶すれば、僕には判るもの。たぶん、僕だって行きたくなくなっちまう」
「そんなこともなかろう」
「君は判ってないんだよ。僕は魔術師じゃないけれど、君の望みの方向性くらいは判るんだ。〈名なき運命の女神〉が紡いだ不可思議な紋様のおかげでね。君は〈三穀祭〉に興味を持ってる……訳じゃないかもしれないけど、絶対に行きたくないと言うほどじゃない。もしかしたら、君の気になる例の植物について何か聞けるかも、くらいのことは思ってるんじゃないの?」
「悪くない目の付けどころだが、完全なる
オルエンの返答にクラーナは眉をひそめた。
「君の調子には慣れてきたけどさ、そういうときは素直に『そうだ』って答えるのが簡単だと思うよ」
忠言のつもりで言うと、今度はオルエンが眉をひそめる。
「完全に『そう』ではないのだから容易には認められんだろう。お前は私に嘘をついてほしいのか?」
「……いや、そんなことはないけど」
クラーナは瞬時、反応に困った。君は嘘ばかりじゃないか、と返すには――いまの言葉は、奇妙なほど誠実に聞こえたのである。
「君はさ、祭りを畏れだと言ったけど」
少しの沈黙ののち、考えながらクラーナは言葉を発した。
「僕に言わせれば、非日常だ」
「ほう?」
「もっとも、詩人の仕事は変わらないよ。求められて歌う。ただ、人々は日常から解放され、ひとときの享楽に身を浸す。躊躇いも恥じらいも捨てて」
言いつつ、大事な弦楽器を手にする。
「それは、確かにその通りだな。畏れを払うのみならず、娯楽でもあろう」
「だから君も、どうぞ」
クラーナの言葉を聞いたオルエンは、判らないとばかりに顔をしかめた。
「何を言っとる?」
「つまり僕は、裸でも恥ずかしくないよって、そう言ってるんだよ」
澄ました顔でクラーナは言った。オルエンは瞬きをして――それから彼の前で初めて、声を上げて笑った。
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