08 仕方ないわよね

詩人さんセル・フィエテ


 忍び笑いの含まれた呼びかけに、クラーナは振り返った。すると、幾人かの娘たちが固まってくすくすと笑っている。


「一緒に、何か食べません?」


 十代半ばから後半ほどの少女が、料理の盛られた皿を彼に差し出した。成程、どうやら特別に目当てのいない彼女らのよい標的にされたようだ。


 クラーナとて若く健康な成人であるから、このような場で女性に声をかけられれば、ほとんど反射的に翌朝までの算段をする。だが少女たちの冒険にはつき合うまい、とすぐに下心を納めた。〈三穀祭〉と余所者の男、という組み合わせは、サルフェンには不吉だろう。


 かと言って誘いを無下に断ることはせず、彼はにこやかにそれに応じると少女たちの招きに従って広場の一角に腰を下ろした。投げかけられる無邪気な質問――生まれだとか年齢だとか、どんな街に行っただとか、ほかにどんな曲を知っているかとか――につき合っている内に、彼の望む話題になった。即ち、この町の、この祭りの歌のこと。


「〈月の花〉の歌と言うんだよね」


 確認するように詩人は問うた。


「聞かせてもらえる?」


 この言葉は娘たちを喜ばせると同時に、少し困らせたようだった。歌の達者な詩人の前で歌うなど恥ずかしいと思うのだろうか。


「教えてくれれば、一緒に歌うよ」


 そう押すと、彼に最初に声をかけた少女、つまりおそらくはもっとも積極的であろうルーシャと呼ばれる娘が口を開いた。


「クリエランは、黄金の花をつけると言うわ」


「黄金の?」


「そう。私は見たこと、ないけれど」


 毒の香りを撒き散らす花で、それを避けるためにこうして祭りを開いているのだから、見たことがなくて当然である。もちろん、それはちょっとした軽口という辺りだった。少女たちはルーシャの台詞にけらけらと笑う。


「こんなふうに、はじまるのよ」


 ルーシャは小さく咳払いをしてから、細い声でゆっくりと歌い始めた。




  春の夜 花の夜


  黄金の月 光る夜




 三々五々、ほかの少女たちも参加していく。




  見てはならない その花を


  心閉ざせよ 目を閉ざせ


  黄金の精霊 気づかすな


  黄金の精霊 怒らすな




 旋律は静かだったが、伴奏次第でどんな曲調にもなり得そうだな、などと詩人は考察をした。




  ひとつ ふたつ みっつ


  三番目の麦 花開く


  ひとつ ふたつ みっつ


  月の光に 花開く


  花開く月夜


  踊る黄金の精霊


  見れば呪いがふりかかる




 「精霊の踊りを見るな」という伝承は、珍しくない。精霊ではなく妖精と言う場合もある。だがどちらにせよ、こういった場合は魔性を表した。ひとの世に属さぬ舞いを目にしたものには狂気や不幸が訪れるのだ。


 ごく稀に、祝福を受けて幸や富を掴むという物語もあるものの、それにはほぼ必ず、真似ようとした欲深な隣人が酷い目に遭うといった教訓めいた続きが付随した。


 人外の絡む物語が、心休まる幸せな寝物語になることはないのだ。


(畏れだ)


 オルエンの声が耳に蘇った。


 未知なるものへの畏れ。いや、〈三穀祭〉は違う。はっきりとした現実への怖れ。クラーナはそう考えたが、オルエンが聞けば指摘をしただろう。やはりこれは未知なるものへの畏れであるのだと。


 この場合、それはつまり、死である。




  月の夜 花の夜


  黄金の精霊 踊る夜




  見てはならない その花を


  心閉ざせよ 目を閉ざせ


  黄金の精霊 怒らすな


  黄金の精霊 見つけるな




  ひとつ ふたつ みっつ


  満ちきた月の 花開く


  ひとつ ふたつ みっつ


  甘い香りの 花開く


  舞うは黒金の影


  見れば闇夜に 結ばるる




 歌声は次第に、飛び火するように隣の集団へ移ったかと思うと、その隣からも歌声が聞こえ出した。と言っても揃って大合唱というようなことにはならず、それぞれの一団のなかで口ずさむものが出はじめる、という感じだ。


 中央では、どこからかきた人形師トラントが芝居を繰り広げており、それに見入るものも多いようだった。〈月の花〉の伴奏も含め、吟遊詩人はまだ当分お呼びでなさそうだ。


(黄金の精霊、踊る夜)


 クラーナは心のなかで歌を反芻した。


(デン爺さんは哀悼歌のようだと言ったっけ)


(踊る精霊を死者の魂であるかのように捕らえたんだろうか)


 死者を悼むのは当然だが、その喪失を嘆き続ければ魂は冥界を流れる大河ラ・ムールの先へ進むことができず、聖なる流れに浸かっていても癒しを得られないと言う。精霊を見るなと言う歌が、死者を想うな、喪失に耐えろと言っているように聞こえるのだろうか。


 そうなのかもしれない。花の香りで逝った、リアー。


「ねえ、クラーナ。いつまでいるの?」


 歌を終えた娘たちに詩人はひとしきり礼を言い、気をよくした彼女たちはまた会話に戻った。


「そうだなあ」


 彼はまたオルエンの姿を探したが、やはり見当たらない。


「明日まで、かな」


「えーっ」


「もっといてよーっ」


 非常に直接的な引き止めの言葉に詩人は笑ったが、確答はしなかった。


「ねえ、ところで、君たち」


 その代わりに青年は問う。


「コトという男の子を知っている?」


 少女たちは目配せをし合った。


「知ってるわ、もちろん」


 またもルーシャが返答をする。


「可哀想な子だけど、リアーが悪いことをしたんだもの。仕方ないわよね」


 その言い様に詩人はどきりとした。


 悪いこと。やってはいけないとされている、禁忌を破った。そうすれば死ぬと知っていて、死んだ。だから、仕方ないと。


 それが、サルフェンの人々にとっては真実であるのかもしれない。


 「仕方ない」と肩をすくめて同意しきれないのは、彼が余所者である故なのか。理不尽な怒りや哀しみを背負っても、何にもならないかもしれないが――。


「そう言えば、今日は見ないわね、あの子」


「デン爺のところなんじゃないの」


「彼らは、祖父と孫だよね。一緒に住んでいるの?」


「一年前からはそうしてるみたいよ」


「それまでは? デン爺さんとリアー母子は別々に暮らしていたのかい」


そうよアレイス。コトができたとき、デン爺はすごく怒ってリアーを勘当したの」


「勘当」


 いささか意外で、クラーナは瞬きをした。


「それはどう」


「やだあ、サリエったら。、なんて」


「だってそうじゃない。んでしょ」


 しかし青年の疑問が発せられる前に、少女たちはきゃらきゃらと笑って、年頃の娘が興味持つ話題に移ってしまった。どうやら怪しい雲行きというやつだ。男女の話になり、ロウィルの話になって、娘の誰か――たぶん、ルーシャ――が旅の若者を相手に一夜の冒険を企むようでは困る。


「じゃあ」


 ここでその方向に乗り、卑猥なたとえのひとつもすれば少女たちに大受けなのはよく判っているが、青年は自重して真面目な声を出した。


「コトはやっぱりお爺さんのところにいて、きていないのかな」


「たぶんね」


「仲良しの友だちとかはいないの?」


「知らないわ」


「そんなこと」


 娘たちは、面白みのない話題に引き戻す詩人を不満そうに見た。もう少し何か聞き出そうとしたが、返答は芳しくない。人を楽しませることを喜びとする詩人の本能は、一夜の冒険以外に少女らを乗ってきそうな話題を探し、彼の興味と一致する出来事に思い至った。コトやデンに詳しく聞くのは憚られるが、彼女らであれば罪悪感は呼び起こされない。


「リアーのことは?」

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