03 念のため

 不思議な話さ、と仕事の合間の休憩を決め込んだ町の男は言い、旅の詩人に噂話を披露した。


「一年前、問題の人影を見たのはリアーだけなんだ」


 〈三穀祭〉前後の数日間は、人々は森に近寄らないと言う。だがその分、森の方を眺める回数は増えるのだとか。風も町までその危険な甘い香りを運んでくることはないが、どうしても気になるものであるらしい。


 だと言うのに、誰も森に不審な影を見なかった。リアーだけが見たと言い、人々がとめるのも聞かずに森へ出向いたと。


「何か悪いものが彼女に憑いたんじゃないか、なんてことも言われたが、神父様セラス・アスファルは邪なものは見えないと仰ったし、動物の影を見間違いでもしたんじゃないかって声もあったけれど、あの小さな森に人間と見間違えるほど大きな動物はいない」


「それで、出たり消えたりするような魔術師じゃないかって?」


「そういう噂もあるってだけだ」


 慎重に男は言ってクラーナの様子を窺うようだった。小さな町のことだ、詩人の連れが魔術師であるという話は、既に知れ渡っていると見える。気にしないよ、とばかりにクラーナは肩をすくめた。


「幻じゃなけりゃ魔術師かもしれない、と思うのはそんなに突飛でもないんじゃないかな」


「そうそう、そんな感じだ」


 ほっとしたように男は言った。


「でもさ、魔術師と言われる人々が女性を惑わして誘い出すなんて、そんなことをするとは思えないよ。彼らは、異性に興味を持たないと言うし」


 詩人は考えながら言った。


 全員が全員そういう訳ではなかったが、概して魔術師リートというのは恋愛沙汰と疎遠であった。神官アスファと違って禁欲というのではなく、他者を愛するよりも魔術の方が大事だと考えているからだ。性的な交わりは魔力によろしくないという考えも、魔術師たちの間には多くまかり通っていた。クラーナもそこまでは知らなかったが。


「そうなのか」


 男は驚いたようだった。


「じゃあ、魔法使いがおかしな薬を作って女をたぶらかすとか、魔女が若い男の精気を吸うとか言うのは」


「うーん、世界は広いからね。なかにはそういうのもいるかもしれないけど、大半はそんなことしないと思うよ。ちょっと腹を立てたくらいで戦士が人に斬りつけたりしないのと同じさ」


 実際のところは、言うほどクラーナも魔術師たちを知らない。ただ「そのようなところであろう」という推測、または想像をしているだけだったが、幸いにしてほぼその通りだった。


「だがそれじゃ、もしかしたら『そういうの』だったかもしれない訳だろ」


 もっとも、相手は「じゃあ違うか」とは言わなかった。


「ううん、まあ、そういう可能性もあるけど」


 否定はし切れなかった。魔術師全般をかばってやる理由も、彼にはないが。


「あんたの……いや」


「何?」


「いや、何でもないよ」


「僕の連れは大丈夫かって?」


 男の言いたいことを見て取って、クラーナは言った。


「大丈夫だよ。彼は」


 毒の花にしか興味がない――というのも、穏当ではない。考えて、詩人は続けた。


「ほら、〈企みのある者は隠れようとする〉と言うだろう。何かおかしな考えを持っていたら、あんな目立つ黒ローブでうろちょろしないって」


 その説明は男を納得させたようだったが、クラーナ自身をも納得させた。そう、オルエンはこの町自体には用がないはずだ。もちろん、女性にも。


(でも念のため、訊いておこうか)


 こっそりと詩人は思った。


(一年くらい前に、この辺にこなかったかって)


(いや、もっとはっきり、去年にもあの森に出入りしてなかったか、と詰問するべきだな)


 万一にもオルエンが一年前から何とか言う植物に興味を持っていて、その影をリアーが見たのだとしたら――そんなことを考えてクラーナはぞっとした。たとえ意図的でなかったとしても、オルエンの存在がひとりの女性の死をもたらし、コトとデンを哀しませ、平和な町に薄い暗雲をたれ込ませているというようなことになったら。


 オルエンに罪がないとしても、これから一年間、クラーナは魔術師の代わりにそれを引きずるような暗い思いを持ちながらオルエンの隣にいることになるだろう。


 詩人は魔術師の姿を求めて宿に戻ったが、一年間の相棒は朝の内にどこかへ出かけたきりであるようだった。黒ローブを嫌う町にのんびり滞在しているとも思えず、となれば森か、はたまた魔術でどこかへ行ってしまったか。


(自分勝手だ)


 クラーナは何だか腹が立った。


(そりゃ、ずっと僕と一緒にいろなんて言わないし、僕だってそんなのは楽しくない)


(でも、一緒に旅をせざるを得ない以上、どこへ行くとか、何刻に戻るとか)


(……戻る気でいるのか、くらいは知らせるべきじゃないか?)


 だがこれもまた勝手な考えである、とは彼自身も判っていた。


 そうしてほしいのであればクラーナはオルエンにそう告げておくべきだが、彼はそんな要望はしていないし、「常識」というものが人によって異なることは判っている。そもそも、多くの者が受け入れそうな常識であっても通用しなさそうな男だ。


「――呼んだか」


「わあ!」


 誰もいなかったはずの部屋で声をかけられて、詩人は悲鳴を上げた。


「お、おどかさないでくれるかな!」


 いなかったはずなのに、次の瞬間にはそこに魔術師がいた。オルエンは顔をしかめる。


「喚くな、うるさい。勝手に驚いたのだろう」


 白髪の若者は言い放つ。


「私はお前を気にかけてやっているのだぞ。私を捜しているようだったから、わざわざ戻ってきた。悲鳴を上げられる謂われはない」


「あのね! 普通の人間は、いきなりぱっと姿を見せられれば驚くんだよ!」


「普段はそのような真似はせぬ。足で赴ける場所にいちいち術を使うなど、愚か者のすることだからな。第一」


 淡々とオルエンは言った。


「お前は『普通の人間』ではなかろうに」


「そういうことを言ってるんじゃないよ」


 やっぱり常識が通用しない、いや、話が通じない。思わず嘆息して、クラーナは寝台に腰を下ろした。


「どこ、行ってた訳」


「どこでもよかろう」


「いいよ、もちろんね」


「ならば訊くな」


 むっつりとした顔で白髪の魔術師は言う。はああ、とクラーナは深い息を吐いた。こんなのといて――何故、安定を覚えなければならない? 理不尽だ。とても。


「せっかく現れてくれたからには」


 気持ちを落ち着かせようと深呼吸をして、クラーナは続けた。


「それじゃ、訊きたいことを単刀直入に訊くとしようか」


 そう言うとクラーナは、一年前から例の植物に興味を持っていたのか、という問いをぶつけた。いったい詩人が何を尋ねてきたのか、とオルエンは眉をひそめる。


「一年と言ったか? いや、せいぜい三月ほどだな。植物の存在を知り、生態を調べるのにひと月。実際に生息している場所を見つけるのにひと月。本当に適した満月の夜にしか花を咲かせないのだと理解するのに残りの日々、というところだ」


 思い出すようにしながら彼は答えた。


「それじゃ」


 クラーナは安堵した。


「一年前には、あの森に姿を見せてないと」


「おらん」


 簡潔にオルエンは応じた。

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