08 どう考えても僕の台詞
町に数軒だけある宿屋のひとつ――というより、空き部屋を持つ民家がそれを有償で提供している、という感じだが――に戻ったクラーナは、オルエンが起きていたのに少し驚いた。
「待っててくれた……訳じゃないよね?」
「何故、待たねばならん」
魔術師は鼻を鳴らした。
「だから、違うだろうと言ったんじゃないか」
弦楽器をそっと寝台の上に置き、クラーナは返す。
「それじゃ、何か深遠なる思索」
「そのようなところだ」
詩人の皮肉を気にしないように、オルエンは答える。
「不思議な話を聞いたよ」
クラーナはそんなふうに言いながら、弦楽器の手入れを開始した。
「〈三穀祭〉」
ちらりとオルエンを見て、その名称を口にする。
「知ってる?」
「無論」
白髪の術師は言った。
「待っているのだと言ったろう」
その言葉にクラーナは目をぱちくりとさせた。三日後。確かに、オルエンはそれを待っていると言っていた。
「……まさかお祭りを見にきたとか?」
「馬鹿な」
返答はそれである。そうだろう、とクラーナは思った。酒場の喧騒すら嫌う男が祭りを見たがるとは思えない。
「待っているのは祭りじゃない、と。それなら何を」
詩人が問えば魔術師は面倒臭そうな顔をした。
「祭りとは、何だ」
「何って」
お祭りだろ、と言えばオルエンは嘆息する。
「祭りは畏れだ」
「は?」
クラーナは眉をひそめる。
「新年の祭りは祝祭であると同時に、昨年の穢れを払うもの。淀みを持ち越さぬために行う」
過去の弔いと未来への畏れだ、とオルエン。
「秋祭は収穫祭、感謝であり、翌年もこうあってほしいとの望み、これも見えぬ未来への畏れと言える。もっと判りやすくすれば〈
「神様の加護を祈るのは、ばちを当てないでくださいってお願いだという訳だね」
クラーナが言えば、オルエンは片眉を上げる。
「なかなか理解が早いな。そういうことだ」
「じゃ、ここの祭りは何だって言うのさ?」
「三穀、つまり穀物だな。名称からは収穫に関わるもののようだ。『三』は、単に安定数として使われている可能性がある。必ずしも『三種』の必要はない。実際には一種だ。細かいことを言えば二種だが」
「何が」
「穀物だと言っておろう。このあたりならば麦類が採れるようだが、大麦小麦を『二』と数え、もうひとつを『三』と数えるのやもしれぬ。だがこれは、収穫祭とはまた別。わざわざ彼らは何を畏れるか。その日に変化するものだ。だが正確に言えば穀物ではない。似ているが、食えぬ」
とうとうとオルエンは語った。クラーナは何か尋ねようとしたが、何を尋ねたらいいのか判らなくてただ首を振った。
「祭りを行うということは、街びとは集まるのか」
「そうみたいだよ。外に出ちゃいけないということみたいだ」
「夜は禁忌か。成程な」
「……いったい、何なんだい」
クラーナは眉をひそめた。
「意味が判らないよ」
「西の森に、小麦とよく似た植物がある」
いかにも面倒臭そうな口調でオルエンは解説した。
「その花の香りは甘いが、人間には毒だ。芳香を吸い込めば強烈な眠気を誘発される。そしてそのまま眠り込んだが最後、永眠。花が咲くのは年に一度、次の満月の夜だ。ここの町びとは、その日に祭りを開くことで誰も森に入らぬようにさせる。そのようなところだろう」
「へえ」
何となく、意味が通じたような気がした。「外」に出ないために、「全員」が集まる。それはつまり、うっかり森に入って毒の香りを吸うなと言う訳か。
「どうしてそんなことを知ってるんだい」
「知っているのではない。いまお前から〈三穀祭〉という名称を聞いて予測を立てただけだ」
「それじゃ、出鱈目」
「推測だと言っているだろうが」
「でもその植物のことは推測じゃなくて、ちゃんと知っているんだろう?」
「当たり前だ」
「どうして」
「調べたからだ」
「何のために」
「興味を持ったからだ。いちいちうるさい奴だな」
やはり面倒臭そうに、オルエンは手を振った。
「それで、この話をまとめると」
クラーナは咳払いをした。
「君が待つのは、毒の花の咲く日ということになりそうなんだけど」
「
不審を込めた物言いにもやはり動じず、オルエンはうなずく。
「それじゃ、毒薬でも作るのかい?……もしかして、君、黒魔術師ってやつ」
もしもそうであったなら、「魔術師だからって悪いことはしない」などと言い切ったのはまずかったかな、などと詩人は思った。
「魔術師に白も黒もあるものか」
オルエンは呆れたように言う。
「お前は目端が利くのか利かんのか、判らん奴だな」
「魔術には詳しかないよ、確かにね」
クラーナは肩をすくめた。
「だから、魔術師が毒の香りを放つ花に興味を持つ理由が判らないね」
「私は魔術師ではない」
「なら、何で黒いローブなんか着てるのさ」
クラーナは指摘した。このような屋内ではさすがに身にまとっていないが、外では彼は当然のようにそれを着ていた。
「ほかに着るものがないからだ」
「防寒着がほかにないってんなら仕方ないけど、もう暖かいよ? 君、寒がりなの?」
そう言ってからクラーナはにやりとした。
「ああ、砂漠に住んでるんだっけね。そこに慣れてたら、どこだって寒いか」
「砂漠の民ならいざ知らず、私はかの地の
「意味が判らないよ」
「熱と陽射しを遮る建物くらいはあるという程度の意味だ」
「あ、そう」
砂漠に建物とは奇異な考えだ。だが、この辺りは話半分に聞いておけばいいだろう、と詩人は思った。
「それじゃ、わざわざ黒ローブを身にまとう理由は」
「私は物心ついた頃から、この衣とともにあった。これを身に着けずに外へ出れば、裸でいるような気分になる」
「……ふうん」
そんなものだろうか。クラーナにはよく判らない。
「飽きないの? おんなじもの、百年も」
「そう言う問題ではない」
「ふうん」
どちらかと言うと「百年」の方が問題だよな、と思いながら、彼は適当に相槌を打つだけにしておいた。
「それで、答えをもらってないよ。毒をどうするの」
「どうもせん」
魔術師は鼻を鳴らす。
「判らん奴だな」
「それはどう考えても僕の台詞」
クラーナは呆れてそう言ったが、オルエンの方も呆れているようだった。
「興味があるのだと言ったろう。ほかに何が要る」
「興味を持って、ただ鑑賞に行く訳? 人間には毒だって……ああ、それとも君は人間じゃないとか」
半ば自棄気味にクラーナは言った。オルエンは笑う。
「それはお前だろう。試してみるか? お前に毒は効かんかもしれんぞ、人外」
「あのね。そういう言い方はやめてくれる。何でか僕がリ・ガンとかだってのは否定しないけど、別に身体構造が何か変わる訳じゃないし」
たぶん、とクラーナは言ったが、オルエンは片眉を上げた。
「リ・ガン」
少し面白そうに、繰り返す。
「それは何だ」
「……何って、君」
クラーナは口を開けた。
「人の話、聞いてなかったのかい!?」
「何を言う。私にはちゃんと耳もあれば、理解する頭もある。記憶力もな。言っておくが、詩人。お前はこれまで一度も『リ・ガン』などという言葉を使ったことはないぞ」
言われてクラーナは目をしばたたく。そうだったろうか? 言われてみれば、そうだったかもしれない。彼にはもはや当然のことすぎて、いちいち「名乗りを上げる」ことをしなかったような気がした。
「……僕のことだよ。〈変異〉の年が終わるまで、ということになるけれど。僕の役割に冠せられた名称ってところだと思う」
「ふむ。それは象徴的だ。〈変異〉ごとの存在か。お前だが、お前ではない。六十年前にもおり、六十年後にもいる、と」
「そうなんじゃないかな」
「ふむ。少しばかり興味をそそられるようだ。詳しく調べておくか」
「物事が終わってからにしてくれるかな。君の興味につき合ってたら、一年なんかあっと言う間に過ぎちまいそうだ」
「何を馬鹿な。物事が終われば、お前はリ・ガンとかでなくなるのだろうが。魔性の生態を調べるなら、魔性と相向かうのが最適」
「誰が魔性っ。君、いい加減、失礼だよね!」
「事実であろうが」
だいたい、とオルエンは続けた。
「『人間ではない』のはそれほど問題か? お前は受け入れているように見えるが」
「一年だけのことだと思ってるからだよ。否定してもはじまらないし」
「魔物というのは、面白い存在だ。私がクリエランを見に行くのは」
「何だって?」
「噂の毒草だ。クリエランはジャファラールの」
「何だって?」
「ええいうるさい。聞きたいなら少し黙っていろ。口を挟むのを我慢できんのか」
「判らないことがあったら訊くのは当たり前だろう。君だって、リ・ガンとは何かと聞いたじゃないか」
「私は話を遮らなかったろうに。話し方も知らんのか、詩人」
「君よりは知ってると思うけど! だいたい僕は君の教え子でもないのにそんな上から」
「師になどなったことはない」
「だろうね。君みたいな師匠じゃ、弟子が気の毒だ」
言い捨てるとクラーナは弦楽器を乱暴に扱いそうになって、おっと、と心を鎮めた。何とも、先が思いやられる。
「もういいよ。君は好きに思索を重ねて、好きに祭りの夜を過ごすといい。ただし、毒に当てられて死なないでくれよ。君がいないと困るんだから」
リ・ガンは〈鍵〉を守る義務を負う。だがクラーナは、「町びとたちが避ける危ない場所に近寄るな」などと忠告してやる気にはならなかった。毒のことを知っているのだから身を守る術を持っているのだろうし、だいたい、こんな偏屈な、訳の判らないことばかり口走る男をどうして彼が気遣ってやらなければならないのか?
(納得いかないね)
どこか憤然としたものを覚えながら詩人は楽器をしまい込み、それ以上は口も利かずにさっさと眠る支度に入った。
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