07 何事もなければ

「お祭りに、特別な料理を用意するとかはないの」


 ふと思いついて余所者は尋ねた。神に祈りを捧げる類の祭りとは違うようだが、それくらいのことはやるのではないかと思ったのだ。


「そうさなあ、母ちゃんたちは張り切ってご馳走を作るみたいだが」


「俺たちは邪魔だと追い払われるだけだ」


 男どもはその言葉に笑い合った。


的屋ゾラオンなんかが珍しい食べ物を持ってくることもあるな」


「誰も手配する訳じゃないのに、ああいう連中はどこからか聞きつけてくるんだなあ」


 商人トラオンと呼ばれるにはちゃんとした組合に登録をし、手形を持っていなければならない。それに対して的屋や香具師というのは、許可を持たずに物の売り買いをする者たちだった。


 きちんとした街では厳しい摘発の対象だが、祭りのときなどは大目に見られる――と言うより、町憲兵レドキアたちもさばききれないというのが現状だ。ましてや田舎町の小さな祭りとなれば、土地の商家だけでは娯楽を用意しきれないこともある。無許可の商売人たちにとってはよい稼ぎ場であった。


「最初はお前さんだって、祭りの日にちを間違えてやってきたのかと」


「僕?」


 クラーナは面白そうに言った。


「全く知らなかったけど、無意識の内に『お祭り騒ぎ』を嗅ぎつけたかな?」


 冗談めかして笑う。


「魔術師の素質でもあるんだろうか」


 これは冗談が過ぎた。その一語を聞いた町びとたちはそっと目配せしあったり、詩人の気を悪くしないようにと隠れてこっそり魔除けの印を切ったりしたのである。クラーナは慌ててただの冗談だと言い、どうにか場を和ませた。


 そうして話をしながら、彼は〈白蛙〉亭――というのだと教えてもらった――最高級の皿を黒穀の麺麭ホーロで肉汁まで全て拭き取ってきれいに平らげ、おもむろに、さて、と言う。


「次は少し落ち着いて、『山の向こう』からはじめようか」


 と、そんな調子でクラーナは、奇妙なことばかり口走る魔術師の存在を頭から消してしまおうとでも言うように歌を奏で出した。――生憎と、それが消えることは決してなかったのだが。


 それから続けて何曲も何曲も、「これ以上やると明日の「祭り」に差し控えるな」と思うまで歌い続けた。この場合の「差し支える」は、喉の問題もあるが、持ち歌の問題でもある。ここであらかた披露してしまうようでは、彼のみならず、町びとたちからも明日の楽しみを減らしてしまうことになる。


 クラーナはそんなことを正直に言うと、今宵の演し物を終わらせることにした。残念がる者もいたが、多くは納得し、明日また楽しみにしていると言って詩人を喜ばせた。


 夜半も近くなると言う時間帯にまで歌って満足をしたクラーナは、同じく満足をした客たちに陽気に見送られ、〈白蛙〉亭をあとにする。


 そこで彼は、彼のすぐあとに酒場から出てきたひとりの女に呼び止められた。


「ちょっと、詩人さん、クラーナ」


 詩人は足を止めて振り返る。


 たとえばこれが大都市であるのならば、彼の春を買おうというご婦人でもいたのか、と考えるところだ。だがここがよくも悪くも田舎町であるのは明白で、未婚の娘も既婚の女性も、通りすがりの旅人と一夜の恋などを楽しもうとはしないであろう。よくも悪くも、それが悪い噂となる速度は街の比ではない。


 色を求められたのではないことは、すぐに判った。


 だがそれは、必ずしも「それはサルフェンの町にそぐわない」というような心情から判断したのではなく、そこに危惧するような響きを聞き取ったからだ。


「何? 僕、忘れ物でもしたかな?」


 気軽にそう言ってみる。女は首を振った。


「あんたの、連れのことだけど」


「おっと」


 詩人は瞬きをした。


「連れ。連れに見える?」


「違うのかい?」


「……ううん、それ以外の何でもないと思う」


 嘆息を隠してクラーナは答えた。


「彼が何か?」


「黒い……ローブを着ているとか」


「ああ」


 どうやら、打ち消した話題をほじくり返されるようだ、と彼は思った。


 「魔術師」は不気味で忌まわしい存在だ、というのは大都市でも根強く生きる迷信である。クラーナは偏見が少ない方だったが、あの連中と和気藹々やれるとは思わないな、という辺りが本音だ。


 ましてや魔術師協会もない小さな町。オルエンへの奇異の視線は、クラーナが彼に向けるもの以上という訳だ。


「別に、魔術師だからって悪さなんかしないよ」


 たぶん、と心でつけ加える。


「確かに僕ら詩人フィエテ物語師トラントは魔術師を悪者にした話を語ることも多いけど、あれは何て言うか、形式みたいなもんで」


 もし相手が魔術師ではなく商人であったりしたら、名誉を傷つけたと抗議されるのではないかというような話は、彼ら物語の紡ぎ手たちの間で時折交わされる冗談だった。


 物語の「悪い魔法使い」たちは悪逆非道の限りを尽くす。財宝を奪い、不気味な薬を作り、姫君をさらい、町を焼き払い、最後には、まあ、英雄に退治される訳だ。


 もちろん、たいていの魔術師はそんなことをしない。そのなかでごく稀にそういった暗い野望を抱く者がいたとしても、幸いにしてまず、それだけの魔力が伴わない。つまり、大方がただの「誹謗中傷」ということになる。


 だが魔術師たちは、それをわざわざ否定してきたり、怒ったりはしない。それは何も「大人の態度で受け止めている」訳ではなく、そうして人々が彼らを避けてくれるのならばむしろわずらわしくない、という考えのようだ。


「とにかく、彼が魔術師であるということについて何か心配をしているんだったら、不要だよ」


 たぶん、とまた心のなかでつけ加えた。


「あんたが言うのならそうなんだろうけど」


 女はほっとしたように言い、クラーナは少し気が咎めた。「悪い魔法使い」ではないだろうと思うが、実際のところ、オルエンのことは何も知らないに等しいのだ。


「何しろ〈三穀祭〉だからねえ」


 ほう、と女は息を吐き、詩人は片眉を上げた。


「ねえ……セリ。〈三穀祭〉ってのはいったい」


「嫌だねえ、詩人さん。セリだなんて。照れるじゃないか」


 女性につける上品な敬称を用いて呼びかけると、女は言葉の通りに照れたようだった。大きく手を振って、しかし内心では嬉しいものか、にこにこと笑っている。


「何事もなければ、それでいいんだよ」


 女はしたり顔で続け、詩人は疑問を突きつけそこなった。


「それじゃあんたは明日、お祭りに。お連れさんは……できれば宿にでもこもっていてほしいけれど」


「そう言わないで。不吉な格好はさせないようにするからさ」


 クラーナが陽気に手を合わせると、女は曖昧な笑いを返した。


「まあ、外に出られるよりはいいかな」


「外」


 まただ、と思って詩人はこれまでに聞いた話を思い返す。「夜じゅう」「全員が集まる」「外へ出ないため」。いったい、どんな祭りなんだろう?


 問いかけてみようか、と迷う間に女は酒場へ戻ってしまった。クラーナは少しだけその場にとどまってから、明日になれば判るのだからいいか、と考えることにした。


 おそらくは、本当にどうってことのない祭りなのだろう。サルフェンの住民たちは祭りの内容を秘密にしようと思っているのではなく、彼らにとっては当たり前のことすぎて、説明しようと思い至らないだけなのだ。けれど、何も知らないクラーナには何となく謎めいた感じを思わせてくれる。


 これは僥倖だ、と彼は考えた。


 知らない町の知らない祭りに出会えるだけでも運がいいのに、不思議な「感じ」まで味わえるとは。実際には何も「不思議」がなくても、この感覚だけで歌の題材になるかもしれない。


 そう思った吟遊詩人は、詳しく事情を尋ねることをやめた。


 「何か秘密があると思うこと」を楽しもう。そんなふうに考えるとわくわくした気持ちになって、彼は笑みを浮かべながら夜の町を歩いた。


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