06 いつまでいるんだい

「それじゃ、何から行こうか?」


 尋ねると様々な題名が投げかけられた。多くは定番の古い歌か〈ツゥラスのうた〉で、詩人として旅をする者ならば知っている曲ばかりだった。


 クラーナは頭のなかで曲を素早く整理し、どういう順番で演奏をすれば受けるかを計画する。こうして求められているときは、最初に陽気で派手な曲。できれば笑える曲を挟んで、場合によっては踊れるような曲を続けてもいい。哀しいところのある曲や静かなものは後半だ。


「ようし、それじゃまずは『シリカと青空』から」


 客たちが卓や椅子を動かし、誰もが見やすい位置に詩人用の椅子を設置した。クラーナはそれに感謝の仕草をしながらさっと調弦をし、そう宣言する。


 小さなシリカの花を歌ったこの曲は、彼の気に入りでもあった。空に憧れるように花弁を天に向ける白い花と、その傍らで愛を語る若い恋人たちの歌。明るく単純な旋律は拍子も取りやすく、いまの雰囲気にはぴったりだ。


 彼が弦を弾き出すと、場は大いに盛り上がった。手を叩く者、卓を叩く者、一緒に歌う者、それぞれだ。詩人のなかには一緒になって口ずさむ客を嫌う者もいるが、クラーナの場合、楽しければいい。音程や拍子を外されれば調子が狂うが、あまり酷ければたいてい周囲がやめさせる。


 少なくともこの店の客に極端な音痴はいないようで、詩人は彼らと一緒に歌うことを楽しんだ。


 そうして「朝の市場」「鼠追い」「チビ狐の冒険」「海辺の娘」と続けたところで、主人から蜂蜜酒オーラーの差し入れが入った。そこで町びとたちは、詩人に食事もさせずに歌わせたことに気づき、謝って「休んでくれ」と言ってきた。


「有難う、それじゃとりあえず腹ごしらえさせてもらう」


 彼はそんな言い方で、つまりは休んだあとでまた続けると告げ、客たちを喜ばせた。


「ここのお勧め料理は?」


「冬場ならレルが最高なんだけどね」


川魚ルタッタの揚げ浸しも美味いよ」


「おい、カンザ、いまできる最高の料理を詩人さんセル・フィエテに運んでこい!」


 カンザと呼ばれた主人は、考えるように腕を組んだ。


「詩人さん、リィは好きかね?」


「好物だよ」


「よし、それじゃとっときの卵料理を出そう」


 そう言うとカンザは厨房に引っ込んだ。おおー、という奇妙な歓声が上がる。


「鶏、じゃないの?」


 クラーナが首を傾げると、客たちが笑った。


「鶏の上に、泡立てて焼いた卵を乗せるんだ。絶品なんだが、作るのが手間らしくてな」


「注文をしても、カンザは嫌がって作らないこともある」


 それは彼らの間でたいそうな冗談らしく、大笑いが巻き起こった。


「詩人さん、いつまでいるんだい」


「クラーナだよ」


 彼は名乗ってから、そうだね、と言った。


「少なくとも、明日……いや、明後日まではいるよ」


 オルエンは三日と言ったのだから彼の用事は明日のうちに済むのだろう。だが、満月がどうのと言っていたから、何をするにせよ、夜だと考えられる。そうなると、発つのは早くてもその翌朝。


「そんなに早く行っちまうのかい?」


「もう少しいてくれよ」


「そうだ、せめて〈三穀祭〉が終わるまで」


「〈三穀祭〉だって?」


 聞いたことのない祭りだ。クラーナは目をぱちくりとさせる。


「サルフェンの祭りなんだ」


「ああ、明日から、二日間」


「明日から?」


 クラーナはまた繰り返す。「祭り」というからには、何か大きく日常と違うことが行われるはずだ。だが、ここにいる男たちと言い、昼の様子と言い、祭りの前に見られるような浮ついた感じはあまりなかった。


「大したことをやる訳じゃないんだ」


「広場で町びとが全員、夜じゅう、飲んだくれるだけさ」


「歌い手さんがいてくれたら、盛り上がる」


「全員? 夜じゅう?」


 気候は暖かくなってきたものの、夜中はまだ肌寒い日もある。それに、「全員」ということは女子供も含めて全員だと解釈できるが、そんな規模のものであるなら、やはり今日などは準備に忙しいのではないだろうか。


「支度はしないの?」


 思ったことをそのまま尋ねる。何を訊かれたのか、というように町びとたちは顔を見合わせた。


「だから……お祭りなんだろう? たとえば祭壇を作るとか、清めの儀式とか」


「ああ」


「そういうのは別にいいんだ」


「集まっていれば、それで」


「集まって、いれば」


 繰り返して、彼はやはり首をかしげた。


「どうして集まるんだい?」


「それは」


「外に出ない方がいいからだよ」


「外って、広場は外だろう?」


 判らなくてクラーナは問い続けるが、返ってくる答えはどれも判りづらかった。ただ、どうやら「外」は「家の外」ではなく「町の外」らしい、ということは何となく伝わってきた。


「祭りにはもちろん、きてくれるだろう?」


「歌ってくれるよな」


「明日は、いいけど」


 クラーナは考えた。自分が早く行こうと言っている以上、もう一日などと言えばオルエンに何を言われるか。


「僕たち、旅の途中なんだ」


 途中と言うよりもはじめたばかりではあるが、そんな話をしても仕方がない。クラーナは簡単にそう言った。町びとたちは目を見交わす。


「旅」


「どこに行くんだい?」


「それとも……何をしに?」


「ええと」


 〈翡翠の宮殿〉に、次の年の運命を探しに――などは、いくら彼が詩人でもちょっと詩的すぎるだろう。


「当てのない旅ってところかな」


 仕方なくクラーナは適当なことを言った。事実の方が嘘くさいというのは、何だかおかしな気分である。


「決まってないのか」


「それじゃ、ゆっくりできるだろう」


「うーん」


 クラーナはこめかみの辺りをかいた。


「相方次第、かなあ」


 今度は明らかに、町びとたちは不安そうな顔をした。クラーナは目をしばたたき、それから納得をする。


 自称・魔術師ではない男は、魔術師であることを示す装束である黒ローブを身にまとっていた。隠れている訳でもないから、目にした者も多いだろう。魔術師というのは不吉で忌まわしい存在だと思われることも多い。


 どう言ったら彼らの悪印象を払拭できるかな、とクラーナは考え――やめた。


 オルエンが掴めない男であることは彼にとっても同様だし、「不吉だ」というのが誤解ならば自分でどうにかすればよい。彼が何かしてやる義理はない。


 「翡翠」探しには最適な相棒である――はずだ――としても、出会う人々全員にオルエンを好いてもらいたいとも思わない。だいたいクラーナ自身、別にオルエンを好いていない。町びとたちは黒ローブを嫌がっているかもしれないが、長居をする訳でもない。そんなふうに考えて、彼は特に魔術師をかばわないことにした。


「そんなことより」


「はいよ、お待ちどお」


 クラーナが話題を変えようとすると、いいタイミングで、美味そうな匂いとともに料理がやってきた。


「うちの特別版だよ。歌のお礼だ、代金は要らん。食ってくれ」


「わあ、それは嬉しいな。有難う、セラス」


 乳酪の香りがするふわふわの卵は噂通り絶品で、蜂蜜酒との相性も抜群だった。世辞ではなく本気で褒め称えると先に下りた微妙な雰囲気は拭い去られる。町びとたちとの会話は明るく弾み、この二日の、疑問符と苛立ちばかりだった魔術師との食卓に比べたら天国タシャーラだな、とクラーナは思った。

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