4.星に願い事をした話

 ふと、目が覚めた。

 あれ、なんで二段ベッドに寝てるんだ?と寝ぼけた頭で思う。

 昨年の、自分が中学にあがった年に、父さんの部屋を自分の部屋としてもらって、弟とベッドも別々にしたはず………とそこまで考えてから、やっと思い出す。

 そう言えば、地元のスキークラブの合宿中だった。

 自宅ではないといういつもと違う環境であるとはいえ、一度寝たら起きない性格であるため、こんな暗いうちに自ら目が覚めたのは、非常に珍しいことだった。

 しかも、昼間にあれだけ練習をした後である。

 昨日はクロスカントリーを永遠とさせられていた為、自分も含め、メンバー全員が眠りの沼に沈んでいる、はず。

 こんなにもはっきりと目が覚めてしまったのが珍しく、寝直そうにも、睡眠の滴が降る気配が感じられない。

 自販機で温かいお茶でも購入しようか。

 そう考え、ベッドの足もとに丸めて置いたダウンジャケットを羽織り、そっと布団を抜け出した。

 公立の自然の家という名の施設である。

 ホテルと違い、消灯時間を過ぎた現在は、常夜灯のみの真っ暗闇だ。

 登山用の靴下を履いていても、この雪山の冬の夜は寒さが床の上から這い上がって来るよう。

 談話室の大きなガラス窓から、確か山が臨めたなと思い出し、自販機であたたかい飲み物を購入したらそこで飲もうと考えながら、暗い廊下をすすむ。

 ふと。

 自販機でコーンスープを購入してから、思い出した。

 バイオハザードだと、あんな風な角を曲がれば、天井にリッカーが貼りついて聞き耳を立てているんだよな、と。

 先日お年玉を半額以上をだして購入したゲームの内容を、思い出す。

 慎重に、ゲームの主人公のように、角を曲がった。

 そこには。

 脳みそを剥き出しにしたデカいトカゲの生物兵器がいるわけもなく、大きな嵌め殺しになっているガラスに貼りついている少年がいたのだ。

 窓の向こうに広がる雪原が青白い月を反射し、キラキラと輝く光の粒の中にいる少年は、こちらに背中を向けて、黒い星空を見上げている。

 それは、まるで、無名の画家の描いた一幅の美しい絵画のよう。

「あかり?」

 俺は、その背中に小さく呼びかける。

 その背中は、びくりと跳ね上がり、恐る恐るこちらを向いた。怯えた顔が、一気に破願する。

「なんだあ、兄ちゃんじゃん」

「何してんだ、お前」

 寝ている筈の弟がいることに、驚いた。

 弟はスキークラブ主催の宿泊スキー教室に参加していた。

 自分の所属するクラブは、全国を狙う厳しいもので、弟も小学校低学年の時に少しだけ入ったことはあったが、すぐにやめてしまった。

 それでも、スキーは好きなのか、合宿と同じ日程で開かれる宿泊スキー教室に参加している。

 俺は、手にもつコーンスープの缶を、弟に押し付けた。

「もう一つ買ってくるから、まってろ」

 俺は足早に自販機へ戻って、コーンスープを、もう二つ購入する。

 どうせ、さっきわたした奴は飲んでいるだろう。

「あー美味しいよね、コーンスープ」

 戻れば、案の定、弟はコーンスープを飲みほしていた。

 買いたての缶を渡せば、熱い熱いと言って暖をとる。猫舌の弟はすぐに飲むことはできない。

 ぷしゅ。自分の分の缶を、俺は開けた。

「兄ちゃん、腹減ってんの?」

「散歩。なんか目が覚めた」

「めっずらしい」

 俺の寝穢いところを知る弟は、それこそ驚いたような顔をしてみせる。

 弟は「俺は」と言って窓ガラスの向こうでひかる、星空を指さした。「流れ星がこの時間だとよく見えるっていうから、見に来た」

「へえ」

 弟の指先につられて、自分もその星空を見上げた。「なんて願い事するんだよ」

「うーん、と、ユーチューバーになりたい?」

「3回言うんだろ」

「マジで?言えるかなあ」

 神妙な顔をする弟に思わず吹き出す。

「外国じゃ単語で”マネー・マネー・マネー”って叫ぶんだってな」

「じゃあ…”ユーチューバー、ユーチューバー、ユーチューバー”!」

「言えるか?」

「言えるかなあ」

 何度か早口で叫んでみてから、弟は俺をみて、

「兄ちゃんも言ってよ」

 真剣な顔でお願いされてしまった。

 仕方がない。

 それに、弟の願いが叶う以上に喜ばしいことは、今のところはないのだから。

「じゃあ、”あかり、あかり、あかり”って言うよ」

「なんだよそれ、意味不明じゃん」

「”あかりの願い事が叶いますよように”の略だよ」

 流れ星なら、それぐらい汲み取ってくれるだろ?

 燈が望む事、目指している事、その総てが、叶いますように、と。

 2人で空を見上げながら、2人でケラケラ笑いあった。

 




 あれは、もうずいぶん前だったな。

 兄の運転する車の助手席に乗せてもらい、ネオンの輝く高層ビルを眺めながら、ふと思い出した。

 あれは兄の大会前強化合宿の時だったとおもう。

 兄は小学生の時からずっと続けていたスキー大回転の選手で、よく合宿に行っていた。

 俺も同じクラブに入って兄と同じ競技をしていたが、一度派手に転んでから、怖くなって、やめてしまったのだ。

 それでも、兄と一緒に滑りたくて、冬の合宿の時に開催されるスキー教室に参加していたんだっけ。

 運転する兄を、見た。

 当然だが、まっすぐ前を見て運転する兄。真夜中だと言うのに、スーツ姿だ。

 俺は公開ゲームイベントのゲストに呼んでもらい、幕張に来ていた。

 イベントの終了時刻を先週聞かれて答えると、その時間なら迎えに行けると兄が言うので、じゃあよろしくー!と気軽に頼んだんだっけ。

 でも、迎えに来てくれたのは、スーツ姿の兄だった。

 どうみても、仕事中のそれに、俺は興奮がすぅと冷めていく。

 そんなこと、感じなくてもいい事だけど。それでも、日曜日なのに、こんな夜更けなのに。

 なのに、兄は「映像は少ししか見てないけど、ずっと聞いてた」と言うのだ。

「頑張って盛り上げてたなーお前。でも、聞きやすくて面白かったぞ」

 笑顔で感想を言ってくれる兄に、俺は胸がギュと痛くなる。

 だから。

「でも、緊張したよ。兄ちゃんも一緒に出てくれればいいんだよ!」

「なんでだよ」

 茶化す様に本音を告げる。

 そんな死にそうな顔になる仕事なんて。兄ちゃんだって、やりたいことがあるんだろ。

「兄ちゃん、ゲーム好きじゃん。一緒に配信しよーよ」

「好きだけど、お前みたいに喋りながらは無理だって」

 もっと、兄は自由に生きてほしい。仕送りだって、俺もしてるんだから、そんなに稼がないくてもいいじゃないか。

 でも、兄は生真面目だから、いわゆる世間一般の規範からは外れない。

 だけど、兄は俺が職業としている、ゲーム実況を否定しない。

 がんばってるな、って応援すらしてくれる。

 いつだって、兄ちゃんは俺の味方でいてくれるんだ。

「ちぇー兄ちゃんのけちー俺はあきらめないからなー」

 俺は口を尖らせ、助手席でふんぞりかえる。

 兄は「あきらめろよ」って笑っていた。

 フロントガラス越しに空を見れば、星が見える。あの冬山と比べ物にならないほど、都会の星は少ない。 

 あの時、どうしても流れ星に願掛けをしたくて、夜中に起き出したのだ。

 寒くて、まるで氷漬けの中にいるみたいだったけど、あの雪原は恐ろしいほどに美しかった。

 光そのもののような星を夢中で眺めていた。

 ふと、こんな美しい風景を誰かと分かち合いたくなったのだ。

 誰か、というか、兄一択ではあるが。

 一度寝ると目覚ましがなるまで寝ている兄を起こすのは、結構骨の折れることであるし、何より、兄のグループは地獄のクロカン往復の旅をさせられていたのだから、今頃は死んだように眠っているだろう。

 だから、あの時あらわれた兄ちゃんは、俺の妄想かと思ったぐらいだ。

 あのあと、俺と兄ちゃんは大声で、それぞれ「ユーチューバー」「あかり」と叫びまくり、コーチや先生に大目玉をくらったのだった。

 流れ星は一瞬で、流れ終わる前に言うなんて不可能であったけど。

 だけど、あの時、兄ちゃんは自分が願う機会を、俺にくれたのだ。

 俺の事を願ってくれたのだ。

 空を眺めながら、思う。俺の名前を唱えてくれた兄の願いを、俺だって叶えたい。叶えばいいと思う。

 それは、まったくの偶然だった。 

 すぅ。と星が流れたのが見えた。思わず俺は、口を開いて3回唱える。

「……、……、……」

「呼んだか?」

 不思議そうに兄が俺を見た。

 思わず言葉にした固有名詞に、俺は思わず赤面してしまった。

「あ、いや、あのね」

 言いなれない名前。俺が唱えたのは、兄の名前だった。あの時のように、あの時兄がしてくれたように、俺は兄の名前を3回唱えたのだ。

「流れ星が見えたから、だから」

「あ、そういうこと。サンキュ」

 笑ってお礼を言う兄の顔が恥ずかしくてもうみられない。


 なんで、分かるんだよ。

 なんで、覚えているんだよ。


 それに、俺は兄の名前を呼ぶ事なんて、数える程度しかない。

 呼び慣れず、唱え慣れず、あまりにも。

「兄ちゃんの名前って呼びにくい」

「え?そうかなあ」

「俺には呼びにくいってこと。呼び慣れないし」





 俺にとって、この人は兄ちゃんだから。

 この世で唯一人の、俺の兄だから。


 願いよ、叶え



2021.2.14

2023.11.25加筆修正

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