3.弟とラーメンを食べに行く話
前日の天気予報の通りに降った雪は、東京の交通を大混乱に陥れた。
郊外にマイホームを持つ上司クラスは、止せばいいのにタクシーで会社に向かうとの事で、現在、渋滞にはまっているらしい。
自分は幸か不幸か地下鉄で来れる範囲に住んでい居たのと、出身が豪雪地帯であったため特にトラブルなく出社できてしまった。
会社に着き、ゴム長靴から革靴に履き替える。
うっすらと積もる雪はよく滑る。見た目は悪いが、転ぶぐらいならゴム長靴を履いた方がマシだった。
そして、この交通混乱はそのまま業務の混乱にも繋がる羽目となる。
雪は、降り続いていた。
雨と雪とを繰り返し、積もったり溶けたりを繰り返すあたりが、太平洋側だなと他人事のように思う。
その間に、国道や高速道路での立ち往生がおこり、物流がとまったりと、なかなか事態は改善しない。
物流が止まったら、コンビニでバイトしている弟の店も混乱しているだろうな、と時折思う。
時間ができた時、LINEを送信してみれば、愚痴交じりの長文LINEが返ってきて、思わず笑ってしまった。
学生アルバイトが来れないから、長時間労働になってしまったらしいが、弟は配信もあるので、ちゃんと家へ帰っているらしい。
ひとまず、そこだけは良かったと思う。
少しずつ状況が改善し、日常も戻り始めたのは、初雪から10日目で、自分が帰宅出来たのも、それぐらいだった。
なんとか仕事にめどをつけ、今日こそはと会社を出たのが昼過ぎ。
あまりスーツ姿を見ないと思ったら、今日は日曜日であると自分の腕時計が教えてくれた。
とにかく、シャワーを浴びて少し眠ろう。
夕方には久しぶりに弟とラーメンを食べに行く予定だった。
なんとか自宅にたどり着き、ドアを開けて中に入ると、もう動けなかった。
靴を履いたまま、玄関に座り込めば、もう立てない。
ちょっとだけ、すこしだけ寝よう。
そう思った時には、すでに意識は半分溶けていた。
大好物の、シーフードヌードルの匂いがする。
鼻孔を擽るそれは食欲を刺激し、腹がぐぐうと鳴った。
「ほら、食べごろだよ」
弟の声。
その声に俺は慌てて飛び起きた。
リビングの床に布団が敷かれ、そこで俺は寝ていたのだ。
目の前には、湯気のたつ、シーフードヌードルを持つ、弟。
「ほら、食べなよ」
「ああ」
手渡された熱いカップとフォーク。それをずずっと啜ると、馴染みの味が口の中に広がる。
「俺も食べよっと」
弟が、もう一つある容器の蓋をぺりりとはがし、ずずっとシーフードヌードルを啜った。
暫く、無言でそれを食べる。
「あーうまいなー最強だよな」
素直な感想を俺は口にする。
そして、自分の置かれている状況を見た。
10日間着ていたジャケットとネクタイは外され、当然、靴も脱がされていた。
「燈がしてくれたの?」
「そうだよ」
食べながら、弟が早口に言う。「時間になっても来ないのはいつもの事としても、LINEにでねーんだもん。来てみれば、玄関で寝てるしさあ。とうとう死んだのかと焦ったよ」
「悪ぃ。ちょっとだけのつもりだったんだよ」
「せめて、靴は脱げよな」
拗ねたように言う弟に、ひとまず、謝罪する。「お前まだ食えるだろ?くるまやおごるわ」
「しかたねぇなあ」
「仕方ついでに、銭湯も付き合えよ。サウナでもいいか」
「いいよ。今日は空いてるし」
ズズっとカップラーメンの汁を全部飲み干すと、俺と弟は立ち上がる。
シャワーを浴びるつもりだったが、久しぶりに会った弟との時間が勿体ないと思ったのだ。
冷え切った体を、銭湯で癒すのも悪くない。
「じゃあ、時間もったいないし、早く行こうよ」
急かす弟の笑顔に、俺はホッとし、そして心が温かく満たされる。
くるまやは、俺たち兄弟のお気に入りのラーメン屋の一つだった。
豆板醤で和えた長ネギがたっぷりのっている、ネギ味噌ラーメンがたまらないのだ。
少し歩くので、車で行くかと提案するが、歩けない距離じゃないでしょ、と歩いて行く事になった。
「寝不足に運転してもらうほど、俺は鬼畜じゃねーの」
白い息を吐きながら、弟が笑う。
弟は、ここ最近のコンビニでの面白い客の話や、配信での話を教えてくれた。
ゲーム実況だけで生活が出来ないこともないが、収益にはまだ波があるので、気分転換も兼ねて、学生時代からしているコンビニのバイトは続けているらしい。
こどものように夢中で話す弟の声を聞きながら。
楽しそうにしている弟といられるのは、本当に幸せだなと、ひそかに思う。思い込む。
雪はこの10日間ですっかり溶けて、いつもの冬の東京の装いを取り戻していた。
時間帯がよかったのか、ラーメン屋の外に置かれている券売機に行列はなかった。
「やった、ラッキー!腹減ってるから、デラックスネギ味噌にしよー」
「マジか」
さらっと、弟はこの店で一番高いメニューを口にする。
「ドッキリ代だよ」
憮然とした表情で、弟は俺を見る。確かに、心配をかけてしまったのは事実だ。
「……その節は申し訳ありません」
俺は財布から、最後の万札を券売機に押し込む。
しゅー、と無慈悲に最後の万札が券売機に吸い込まれ、全てのメニューに購入ランプが灯る。
「へへへ、うまそー」
弟は笑って、購入ボタンを押す。ネギ味噌チャーシュー麺とギョーザだった。
「デラックスは可哀想だから回避してあげた」
「チャーシューと餃子だったら、値段、ほぼ一緒だろ」
言いながら、気づいた。餃子だったら、恐らく二人で食べることが出来るからだろう。
「…俺はネギ味噌に半チャーハンにしよ」
「やた!餃子あげるから、チャーハン半分ちょーだい」
「はいはい」
開けっ放しの入り口から入り、空いている奥のカウンター席に二人で座る。
手を伸ばして食券を渡し「おねがいします」というと、「しょうちしましたー」といつもの間延びした返事をかえされた。
この店はよほどのことがないかぎり、ドアを閉めないのだが、奥の方に座れば、カウンターの熱気で寒さをほとんど感じない。
「にーちゃんさあ」
ラーメンが来るまでのワクワクタイム。セルフサービスの水を弟の分と持ってくると、弟がにやりと笑って言った。
「これでわかったでしょ、やっぱり俺とゲーム配信やったほうがいいんだよ」
「何もわかってないぞ」
強引を通り越して、もはや支離滅裂な発言に、俺はため息交じりに答える。
だが、弟は、ずいと顔を寄せて、随分と真剣な表情で口を開いた。「あのさ。今回だって、夕方に俺と飯を食いに行く約束をしてたから、発見が早かったんでしょ。俺がいなかったら、兄ちゃん、今頃凍死で新聞に載ってたよ」
「んな大袈裟な…」
反論する俺に、弟はずい、とiPhoneの画面を俺の鼻先に見せつける。
そこには、ここ数日、家から出られず凍死した高齢夫婦のニュースが表示されていた。
「うわあ…気の毒だなあ」
「その気の毒の一人になりかけたって、自覚ないの!?」
「だから、大袈裟だろ」
「兄ちゃんは真面目でしっかり者だけどさあ、飯とか寝るとかは信じらんねーぐらいずさんじゃん!俺に食べろって言っときながら、自分は全然食ってねーし、俺だって兄ちゃんが心配だってわかってんの!?」
「へい、おまちどうさまでしたあー」
最後の科白は店員さんだ。カウンターからは、次々と注文したものを手渡される。
カウンターに全て並べると、魅力的な匂いに、俺と弟の腹が、ぐぐぅと鳴った。
「とりあえず、食うか」
「うまそー」
ひとまず、ご馳走を前に、俺たちは手をあわせる。
「「いただきまーす」」
半球のチャーハンの真ん中に箸をいれて、ふたつに割り、俺と弟の間に置く。
弟は餃子を同じようにおいた。
そうやってお互いに半分ずつだべるのが、子どもの時からの流儀だった。
蓮華でスープを掬い口に含む。味噌の甘みと豆板醤の辛味があとをひく。
となりでは、弟が太いちぢれ麺をズズッと啜っていた。
太い麺に食べ応えがある。カップラーメンはそれはそれでおいしいが、やはりお店のラーメンは格別だ。
蓮華でチャーハンをすくうと、俺もたべよ、と弟も真似してチャーハンを蓮華ですくう。
ラーメン屋のチャーハンって、なんでこんなに美味しいのだろう。
「やっぱ、ラーメン屋のチャーハンって別物でうまいよね!」
俺と同じ感想を弟が口にする。
「そうだな」と俺は答え「餃子もらうぞ」と断り、餃子を摘まむ。「ここの餃子、野菜たっぷりで、白菜がうまいんだよなあ」
「あ、それ、俺も思ってた!」
弟が嬉しそうに言った。
あとは、無言でラーメンをすすっていく。
自分の横で同じものを食べるのは、なんて贅沢なんだろう。
「「ごちそうさまでした」」
ほぼ同時に食べ終えて、感謝を口にする。
気づけば、入口の向こうに並ぶ人が見えた。混んできたのだろう。
椅子から立ち上がれば「ありがとうございましたー」と店員が声をかけてくれた。
外に出れば、数人が並んで待っている。俺たちが出ると、二人店内へ入っていった。
「あーうまかった」
弟が俺の隣で笑っている。微かに匂うニンニク匂い。それすらも、愛おしい。
「ちょっと食べ過ぎだよね。サウナで絞らないと」
弟が自分の腹を触りながらつぶやく。
「サウナでいいか?」
俺の問いかけに「寒いし、はやく行こう!」と弟が俺の腕を掴む。
もう少し歩けば、駅前に24時間サウナがある。
「こっちから、行こう。近いんだよ」
俺は路地を指さした。
そっちは住宅街。一人歩きは物騒だが、男二人だし大丈夫だろ。
「あまり大声だすなよ」
「ださないよ!」
「どうだか」
俺は弟の手を握り、肩を寄せる。
そして小声で「これぐらいの声の大きさな。夜は響くから」
「いいけど、ニンニクくせー」
「お互い様だろ」
そうして、弟と二人、肩を寄せ合って、歩いて行った。
こんな時間を幸せに思うなんて、われながら、ひどい兄だよな、と自嘲しながら。
2023.11.16
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