2. お月見団子を、一緒に食べる話
確か、朝の情報番組だったかと思う。
今日の天気を伝える前に、今日は中秋の名月なんですが、実に8年ぶりの満月なんですよ、と、とっておきの秘密をしゃべるように楽しそうに言うものだから、なんとなく耳に残っていた。
お月見という行事はそれこそ幼い時、祖母が団子を用意していたという思い出以来、したことはない。
確か、ススキをとって来いと言われ、兄と一緒に近所の河川敷にとりにいったと思う。
素手でススキの茎を折ろうとして、その茎の細かなトゲトゲで手の平が痛かったから、ススキは嫌いだ。
「だからハサミで切るんだって、言ってるだろ」
呆れたように兄はオレンジの柄が付いたハサミで、ススキを切っていく。
ぱちん。ぱちん。
「あかりも!あかりもやる!」
幼かった俺は、兄のはさみを奪って、ススキを切ったっけ。
ぱちん。という音が楽しそうだったんだ。
夢中で切って、気づけば、手のひらが真っ赤で、びっくりした。
茎のトゲトゲで出来た傷は、ちくちくと痛かった。
「いたぁ!手がいたい!」
「あーもーほら、洗うぞ」
兄に手を引かれ、川の水で手を洗って血を流してから、兄は手のひらの水気を綺麗に拭い、絆創膏を貼ってくれたっけ。
この時分、川の水で手を洗うなんて言語道断と言われそうだが、澄んできらきら光る川の水が汚れているなんて、子どもの時は思わなかった。
いつも用意のいい兄は、俺とどこかに出かける時、いつも絆創膏を持ってきている。
ペタペタと俺の手のひらいっぱいに絆創膏を貼ると、家路についた。
夜に眺めた月よりも、月見用の団子よりも、ススキの方が、記憶に残っている。
たまには、お月見をしてみようか。
今日はきっとSNSには、月の写真であふれるのだろうな、と思わないでもなかったが。
夜に月を眺めるのは、きっと楽しいに違いない。そう思えば、夜が楽しみになってきた。
余裕があれば、ショート動画も撮れるかも知れない、と思うのはもはや職業病だ。
満月とお団子にビール。いや、この間ファンからもらったワインを開けるのもいいかもしれない。
そんな楽しみを密かに思う一日のスタートだった。
が。
結論から言えば、そんなお楽しみをゆっくりと用意する暇もなく。
新作ゲームの初期不良を引き当ててしまい、何度も再起動をしているうちに、気づけばあと1時間ちょっとで中秋の名月は終わる時刻であった。
5度目の再起動でやっとスムーズにスタートを切れた新作ゲームは、とても楽しくて、視聴者さんとの会話も弾んで充実したから、一日が満足であったし、それ以上を望むのは贅沢であろう。とも。
「…まあ、大きなトラブルもなく、いい配信が出来たんだし、今日は良い日だったよ」
口に出して、今日の感想を言ってみる。
せめて、月を見てみようかと、カーテンの向こうをのぞいてみようかとした時だ。
微かに、遠慮がちに鳴ったのは、iPhoneの呼び出し音。電話だ。
「もしもし、兄ちゃん?」
慌ててiPhonの通話をフリックして耳に押し当てる。
直前に見たアイコンの名前を呼ぶ。
「起きてるか?」
iPhoneからの声。それは兄のものだった。
「ん、そろそろ寝ようかと思って」
「歯ぁ、磨いたか?」
「え、まだだけど」
「じゃあ、そっち行ってもいいか?お前ンちの玄関にいるんだよ」
「え、なんでいんの」
俺の疑問には答えず、通話が切れる。数分の後に、合鍵で入ってきた兄が「よ」とドアからあらわれた。
「どうしたの、こんな時間に。仕事?」
兄は携帯用アルコールジェルで手を擦りながら「今日中に団子食おうと思ったんだけどな」
「お月見団子?」
兄の口から出た単語に驚く。用意したかったけど、タイミングがあわず買いそびれたもの。
「そうそう」
兄は笑いながら、リュックから筍の皮包みの小さなものを取り出した。
見覚えのあるそれは、幼い時に遠くに住む親せきが、よくお土産にかってきてくれたのものだと、気づく。
「それって、もしかして圓八のあんころ?」
「覚えてたか。たまたま近くで物産展やってて、懐かしいから買ったんだよ」
「小松のおじさんが、よく買ってきてくれたよね」
「月見しながら食おう。綺麗だぞ」
兄は笑いながら窓へと歩み寄る。俺は室内灯をぱちりと消灯した。
シャッと独特の音を鳴らして、カーテンを大きく開ける。
空に浮かぶ白い月はまんまるで、その柔らかな光は、仄かにあたりを照らしている。
確かに、これはとっておきの秘密だな、と思う。
ベランダの窓の前に二人で座り、兄は丁寧に包みを解いてくれた。
現れたのは、iPhoneよりも少し大きな四角い餡子の塊だ。
この中に埋まる白い餅団子を探りながら食べるのが、楽しかったのだ。
「うわ、なつかしーいただきます」
見つけ出した餡子のついた白い餅を頬張りながら言う。
懐かしい甘さだった。
「でも、どうして?」
会社員の兄は、あまり夜更けにあらわれることはない。これは、珍しいことだった。
「いや、お前さあ
兄も餅をほおばりながら言った。「さっき、配信で”今日はちゅうーしゅーの満月ですねー”って言ってたから、食べたくなったんだよ。あんころはたまたまだけど、まあ夜明けまでは今日中てことで」
「まじ?おれ、グッジョブじゃん」
懐かしい甘さ。懐かしい味。
その一言で兄が団子を持ってきてくれるなんて、嬉しいの2乗じゃないか。
そして、空に浮かぶ月も見る。
「やっぱ、兄ちゃん、いっしょに配信やろーよ」
「なんでそこにいきつくんだよ」
「だって」
俺は団子を口に運ぶ。だって、一緒に配信をするって、毎日兄ちゃんに会う事ができるじゃん。
……なんて言ったら、心底呆れられてしまうだろうから、言わないけど。
「兄弟実況者って人気あるんだよーヒカキンセイキンみたいに」
「俺は音痴だし却下」
「別に歌わないからさあ」
いつものじゃれあいのように、俺は笑った。兄ちゃんも笑ってる。
この空気感が、嬉しいんだ。
浮かぶ8年ぶりの中秋の名月は、本当に綺麗だった。
「あとは、ススキがあれば完璧だな」
「いやだよ、あれは手が痛くなるもん」
「ハサミ持っていけばいいだけだろ」
笑って言う兄の言葉がくすぐったく、そして少しだけ恥ずかしくなる。
「のどか沸くね。珈琲淹れるよ」
口実がほしくて、ひとまずたちあがる。が、兄の手が俺の腕に触れてくる。
「まてよ、もう少し見てみろよ」
見上げて来る兄は月明りに照らされている。
まるでモノトーンの世界。まるで、別世界のようで。
まるで、二人だけが赦される、時間のようで
俺は促されるまま、もう一度兄の隣に腰をおろした。
そして、美しい月を改めて見上げる。
兄と2人で、その月を。
2021.9.23
2021.11.7 加筆
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