10.戻ることは許されない

 石造りの通路を抜けると、狭い階段が見えてきた。その先には小さな木の扉があり、アーリックが先に外の様子を伺いながら出た。


「大丈夫そうだ。さぁ、マリアミーラ」


 手を引かれ、外に出ると昏い森の中だった。動物たちも眠っているのだろう。今夜は虫も鳴かない静かな夜で、時折聞こえてくるのはフクロウの声ぐらいだ。


「……お父さん」


 森を振り返って家の明かりを探すが、そこに広がるのは昏い闇だけだ。


「このままオーラブ山を目指す」

「これから山を越えるの?」

「夜の移動は危険だから、ひとまず──」


 アーリックが言いかけた時、後方で爆音が上がった。その先は、父が残った家だ。


 暗い森の向こうに、ちらちらと赤い光が見えた。あれは炎だろうか。まさか、家が燃えているの。どうして、誰が──疑問が次から次へと湧いてきて、鼓動が激しくなった。

 きな臭い匂いが風に乗って届き、鼻腔をくすぐる。


「アーリック、戻ろう! 何かあったんだよ。お父さんを助けないと!」

「駄目だ!」


 声を上げたアーリックは私の手を掴むと、昏い森の中を歩き始めた。


「アーリック、待って! お父さんが、お父さんが!」


 振り解こうとした手はびくとも動かず、昏い道に躓きそうになりながら、私は森を振り返る。

 いつの間にか、フクロウたちの鳴き声も静まり返っていた。


「お願いだから、お父さんを──」

「俺は、君を守ると約束した」


 譲らないアーリックの言葉に、胸の奥が締め付けられた。

 どうしてこんなことになったのと、問うても答えてくれる人はいない。

 何もできない自分が情けなくて、悔しくて、強く唇を噛みしめたその時だった。


 ──逃げて、マリアミーラ!


 森の中で声が響き渡った。


「……声が、する」

「声? 追手か」

「違う。そうじゃなくて……」


 ざわざわと昏い森を揺らす声は、ひたすらに逃げてと訴えてくる。何から逃げろというのだろうか。そして、どこへ。

 足を止めたアーリックは険しい顔で私を見た。どうやら、彼には聞こえていないようだ。


 ──夜の森は危険だよ、マリアミーラ。


 風に揺れる木の葉のざわめきの中、逃げて逃げてと声が囁いている。

 ひと際強く、逃げてと告げる声が降ってきた方を振り向くと、小さなリスが肩に落ちてきた。


「リスさん……」

「そいつはこの前の?」


 アーリックの声に、キキッと応えたリスは昏い森の奥を見据えた。まるでそっちに行けというように。

 家のある方角とは逆方向を示され、私の足はすくんだ。


「マリアミーラ、すまない」

「え?……えぇっ!?」


 突然の謝罪に何をと問い返す間もなく、私の体がふわりと浮いた。まるで穀物が詰まった麻袋を担ぐように、私はアーリックの肩に担ぎあげられている。


「これが見つかるのもマズいな……」


 アーリックの視線が向けられたのは、私たちが出てきた狭い階段に通じる扉だ。

 大きな掌が暗闇で光ると、煌めく魔法陣が浮かび──「グランドブレイク!」唱えに応じるように、地面がボコボコと盛り上がった。


 小さな扉は粉々になり跡形もなく消えた。


 歩き出すアーリックの肩の上で暴れることも出来ず、私は遠ざかる我が家に手を伸ばした。あの時どうして、お父さんの手を引っ張らなかったのか。皆で逃げることだって出来たかもしれないのに。


 募る後悔に胸の奥が苦しくなっていく。

 熱い息を小さく繰り返し、零れそうな涙をこらえていると、ぽつりぽつりと私の指先や頬を冷たいものが濡らした。


「……雨」


 小さかった雨粒は、すぐに大粒となって私たちに降り注いだ。

 雨は森の葉を打ち付け、激しい音を奏でる。

 外套のフードを深く被った私は、堪えきれなくなった涙で頬を濡らしたけど、嗚咽は雨音にかき消された。

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