8.夜は静かに更ける②
手荷物を整理していると、ドアがノックされた。
ドアを開けると、穏やかに微笑む父がいた。手に持っているのは二冊の手記だ。
「マリアミーラ、渡しておきたいものがある」
「それは?」
「こっちはエイミーの日記だ。そしてこっちは、彼女が遺した魔法薬の研究ノート」
その二冊には、懐かしい母の文字が綴られていた。
「マーヴェランサに着いてすぐは無理かと思うが……エイミーはお前が立派な薬師になることを願っていたからな」
「……お父さん」
嬉しくて涙が出そうになっていると、父は「それと、もう一つ」と言って小さな箱を差し出した。
「明日は忙しくなりそうだからな。少し早いが、誕生日のプレゼントだ」
ありがとう。そう言って受け取るのがもったいないくらい、どうしようもなく嬉しくて、堪えていた熱い雫が頬を伝った。
「泣くことはないだろうに」
「だって……私、お父さんの娘でいられて……嬉しく……あ、あり……」
うまく言葉に出来なくて、しゃくりあげながら箱を受け取った。その時だ。
ドンドンドンドンッと、誰かが玄関を忙しなく叩く音がした。
「……こんな時間にお客さんかしら?」
ごしごしと涙を拭って部屋を出ようとすると、父が私の手首を掴んだ。
「お父さん?」
「マリアミーラ……荷物はそれですべてかい?」
「え、うん。あとはお母さんの杖と──」
壁にかけてある杖と外套に視線を向けると、父はそれを乱暴に掴んで私の手を引き部屋を出た。すると、険しい顔をしたアーリックがそこにいた。彼も荷物を持っていて、今すぐにでも外出するような格好だ。
「数は十二。裏にも回っていますね」
「そうか……こっちだ」
「お父さん、何が──」
何が起きているのと問う間もなく、玄関の方から「ペタルさん! 話を聞きたいのですが!」と男の声がした。
ドアが割れんばかりに、激しく叩かれている。
父は昏い書斎にそっと入ると、床板の一部を押し上げた。その下から出てきたのは狭い階段だ。廊下から差し込むわずかな光ではその先はよく分からない。
「森に繋がっている。私が時間を稼ぐから、先に行くんだ」
「で、でも……」
「大丈夫だ。アーリック様、娘を……マリアミーラを頼みます」
私の肩に外套をかけた父は薄暗い中で微笑んだ。
戸惑っている横をアーリックはすり抜けて階段を降りていく。すると、地下でぽっと明かりが点された。彼の手の上で魔法の光がくるくると回っている。
一歩を踏み出せないでいると、父が私の背をとんっと軽く押した。思わず踏み出すと、アーリックの手が私を掴んで引き寄せた。
「マリアミーラ、必ず素敵な薬師になるんだ」
「……え?」
仰ぎ見ると、父の手が床板を戻そうとしていた。小さく待ってと声をかけると、父は一度こちらを見て笑い、唇が静かに動いた。ありがとう、と。
お父さん!──叫ぼうとした私の口を、大きな手が覆った。
「静かに、マリアミーラ」
「で、でも、お父さんが……」
「奴らが捜しているのは『金の瞳の娘』だ。君がいないと分かればいなくなるだろう。だけど、もしも君が見つかったら……ラルフさんは君を隠したことで、王命に背いたと糾弾されるかもしれない」
真っ暗な地下で囁かれる真剣な声に、逃げるしかないんだと諭され、私は頷くしか出来なかった。
「さあ、行こう」
アーリックの声に促され、その手に引かれるまま、私は薄暗い地下道を歩き始めた。
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