4.告げられる真実①
木桶が栗でいっぱいになる頃、冷たい風が頬を撫でて吹き抜けた。空を見上げると、東の空に厚い雲を見た。
夜まで降らなければ良いのだけど。早めに洗濯物を取り込もうかと考えながら、家の裏戸から炊事場に向かった。
栗を水につけて、明日にでも煮てしまおう。──タライに大量の栗を移して水を注いでいると、炊事場のドアが開いた。
顔を出したのは父だ。少し申し訳なさそうな顔をしている。
「一人で収穫をさせてしまって、すまなかったな」
「もう、子どもじゃないわ。これくらい、一人で出来るわよ」
「……そうだな。明日で十六だったな」
「そうよ。お嫁にだって行けるんだから!」
冗談半分でそう言って笑うと、父は驚いたように目を丸くした。
「マリアミーラ……その、誰か良い人でも……」
「え? やだ、何でそんな深刻な顔するの? 冗談に決まってるでしょ。こんな辺境の地で、出会いなんてないんだから」
「冗談……心臓に悪いことを言わないでおくれ」
細い目をさらに細くして笑った父は、どこか寂しそうだった。
濡れた手をエプロンの端で拭きながら、私は少し声を大きくして「それより」と話題を変えることにした。
「アーリックとの話は終わったの?」
父の手がひくりと震えた。
しばしの沈黙の後、その口が深いため息をつく。そうして、何か意を決した顔つきになると、私について来なさいと言った。
向かったのは父の書斎だった。ここには国の歴史書や算術、魔法学の教本の他、母の残した薬草の図鑑や魔法薬の本、他にもたくさんの書物がある。
幼い頃から、私の勉強部屋でもあって、大切なお話を聞くのは決まってここだった。母が病気を患って余命いくばくもないと聞いたのも、私の瞳が金色なのは隔世遺伝だって聞いたのも。
私の誕生日を前に、何か大切な話でもあるのかしら。今までそんなことなかったけど。
中に入ると、アーリックが何かを読んでいた。
「アーリック、ここにいたのね」
声をかけると彼は視線を上げ、私に微笑んだ。それはどこか寂しげで、辛そうで、さっき炊事場で見た父の笑みと似ていた。
二人そろって何を考えているのかしら。
妙な胸騒ぎがして立ちすくんでいると、父は執務机の下に潜り込んで何かを探し始めた。
「何をしているの?」
「お前に、渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの?……あ! 私の誕生日プレゼントね。でも一日早いわよ?」
小さく出た安堵の吐息が、すくんでいた私の足を動かしてくれた。少しだけ不思議に思いながら父の側に歩み寄ると、机の下から出てきた父は私に銀の宝石箱を差し出した。
リボンすらかけられていない宝石箱に、再び、胸の奥がざわめいた。
手にした箱の蓋には随分と繊細な彫刻が施されている。その中央にあるのは、この国の象徴といわれる竜だ。
「こんな高価そうなもの、どこで買ってきたの? いくら十六の誕生日だって言っても──」
「
「……お父さん、何を言ってるの?」
父の口調が突然、堅苦しいものになった。それは決して娘に向けられる言葉ではない。
眉をひそめた私はもう一度「お父さん」と呼んでみたが、父の表情は真剣そのものだった。
背筋を伸ばした父の立ち姿は、まるでお屋敷に仕える執事のよう。紳士然とした姿と静かな表情に、私は息を飲んで宝石箱を握りしめた。
「貴女様の本当のお名前は、マリアミーラ・フローレンス・スペンサー=ローク……御父上は、十一年前、略奪王バシェルによって滅ぼされたスペンサー公爵様です」
突然の告白を、はいそうですかって簡単に受け入れられる人が、世の中にどれくらいいるのかしら。
「私と妻エミリーは、スペンサー家にお仕えしていました」
淡々と続けられる父の話を呆然と聞いていた私は、顔を引きつらせて笑った。だって、信じられるわけがないじゃない。
この辺境の地で薬屋の娘として十数年生きてきたのよ。大好きな母に魔法薬学を教わって、きっと素敵な薬師になるって太鼓判を押されて、毎日薬草の世話をしてきたのよ。
母のような薬師になるのが夢だった。大きな街の薬屋に負けない立派な店を、この辺境の地に作るのが目標だった。──私は、ペタル薬店の娘よ!
「何を言ってるの、お父さん?」
「十一年前、略奪王によって王城は火の海となり、全てが灰となりました。そして、王家の後ろ盾であったスペンサー家もまた」
「待って! 私はペタルの娘よ。私のお母さんは死んだエミリーで、お父さんは森が大好きなラルフで!」
「この十一年、お嬢様を騙す行いをお許しください。貴女様を無事にマーヴェランサ国へお届けするため、今日まで用意を進めて参りました」
「……マーヴェランサ?」
「火に飲まれた屋敷から連れ出すことが出来たのは、お小さかったお嬢様だけでした。使用人と護衛を多く連れて逃げることは出来ないと……旦那様は、私とエイミーに貴女様を託されたのです。スペンサー家に伝わる
静かな瞳が、私の手の中の宝石箱に注がれた。
そっと蓋を開けると、赤い敷布の上に銀細工のペンダントが置かれていた。その先端に下がるのは、光を受けて虹色に輝く涙型の石だった。
「そんな作り話はやめてよ」
いくら私が冗談をよしてと言って笑っても、父の表情が崩れることはなかった。
国の歴史を学ぶのは過ちを犯さないためだよと言って、毎晩、昔話を聞かせてくれた父も、魔法や魔法薬学を教えてくれた母の、立派な薬師になれるって言葉も、全部、嘘だったていうの。私を娘だと言って、抱きしめてくれたあの手は、何だったのよ。
私の中で、たくさんの思い出がガラガラと音を立てて崩れていく。
「……嘘つき……私は、お父さんとお母さんの子だって、言ったじゃない!」
咄嗟に宝箱を投げつけて、私は書斎を飛び出した。
鼻の奥がツンッとする。目の奥も熱くなって、視界がぼやけていく。
私は、本当に二人の娘じゃなかった。──王家だとかスペンサー家だとか、唐突過ぎる話よりも、そのことが何よりも心に暗い影を落としていた。
袖で顔を擦りながら部屋に駆け込むと、頭まですっぽりとブランケットを被って身体を丸めた。
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