1.金色の瞳のマリアミーラ①
庭のハーブ畑で採れたラベンダーの花をほぐしながら、懐かしい歌を口ずさむ。
カモミール、ローズマリー、ラベンダー、今年もよく育ってくれてありがとう。これで、寒い冬が来ても大丈夫。あなたを苦しめる悪魔に、花の香りを贈りましょう。──遠い記憶にある母の声を真似て、祈りを込める。
夏にとれたハーブを乾燥させて冬に備えるこの時期が、私は一年で一番好き。家の中が花の香りでいっぱいになるし、五年前にこの世を去った母との思い出がいっぱい詰まった季節だから。
指に着いたラベンダーの香りは強すぎるけど、これも懐かしい思い出だから指先をついつい鼻に近づけて笑ってしまう。
ほぐした花を、用意しておいた保存瓶に詰め終えても、まだ花穂の着いたラベンダーが残っている。やっぱり、今年は豊作ね。
オイル漬けが去年より多めに作れそうだ。
ラベンダーオイルは、うちの店でも人気の商品の一つだ。肌の保湿にも髪のケアにも良くて、当然、私も毎日愛用している。そのおかげで自慢の銀髪は艶々だ。
うきうきしながらテーブルの上を片付けていると、背筋が震えた。
冷たい風が抜けた訳でもないのに、何を感じたのか。背後を気にして振り返った時だ。
──助けて、マリアミーラ。死んじゃうよ。ニンゲン死んじゃうよ。
声が聞こえた。ざわざわと風の音が森を抜けるような小さな声だ。
壁に立てかけていた母の杖を掴み、私は家を飛び出した。
家の裏に広がる森を見上げ、私は大きく息を吸って耳を澄ました。杖を握りしめて瞳を閉ざし、意識を耳に集中させれば再び声が聞こえてくる。
──こっち。こっちだよ、マリアミーラ。
小さな声はいくつも重なり、何度も、何度も私を呼ぶ。
すうっと息を吸い、目を見開くと同時に宣言した。
「エンチャント・クイック!」
ふわりと風が舞い上がり、小さな魔法陣が足の下に浮かび上がる。とんっと地面を蹴れば、私の体は日頃の倍の速度で前進した。
誘われるようにして森に走り込むと、木の上から再び声が響いた。
足を止めて見上げれば、小さな動物たちの目がある。その中から一匹、リスがキキッと鳴いて樹の幹を走り下りてくる。
「私を呼んだのはリスさんなの?」
肩に飛び乗ってきたリスは、キュキッと鳴くと尻尾をぶんぶんと振った。
真っすぐ行け。そう言われたような気がして、再び走り出す。デコボコとした木の根に足を取られないようにしながら、右へ左へと森を駆け抜けていくと、その先に黒い塊があった。
「……人、よね?」
大きな木の根元に蹲っていたのは黒いローブ姿の青年だ。全身泥にまみれているが、血の匂いなどはしない。その傍に腰を下ろして彼の口元に手を寄せると、弱々しいが確かに温かな息を感じた。
良かった生きている。──ほっと安堵した私は、さてどうしたものかと首を傾げた。
見たところ身長が百八十センチはある。助けてあげたいけど、私と頭一個分以上も差がある大男をどうやって運んだら良いのか。
「動物たちに手伝ってもらうしかないかしら」
ぶつぶつと独り言を呟くと、青年の目がうっすらと開いた。その目を見た瞬間、どきり鼓動が大きく跳ねた。──私と同じ、金色の目だ。
青年の乾いた唇が何かを伝えるように動いた。
「あ、あの! 大丈夫ですか?」
「……危ない」
「え?」
微かに聞き取れた低い声を聞き返した瞬間、大きな手が私の肩を掴んだ。
弱った体のどこに、それほどの力があったのか。
私は急に引っ張られたことでバランスを崩し、青年の足元に尻もちをついていた。見上げれば、彼は手に持っていた杖を構え、大きな熊と対峙している。
「ちょっ、待って!」
私が制止する間もなく、聞きなれない声が「ウィンドフォーゲル!」と唱えれば、風が走り抜けて熊の体を切り刻んだ。
肩にしがみ付いていたリスが、小さくキュッと鳴いた。
「どうして……どうしてこんなことするの!?」
私が叫ぶと、振り返った青年は顔面蒼白のまま、理解できないという顔をする。
「その熊が、あなたに何をしたって言うの!?」
「……君は何を言ってるんだ?」
弱々しい声が問い返してくる。
「死んじゃったじゃない!」
「襲われたかもしれない」
「熊は臆病な生き物よ。今年は森の木の実も豊作だし、攻撃しなければ襲ってこないわ!」
怒りと悲しみが胸の奥に広がり、鼻の奥がツンと痛くなる。
私の剣幕に驚く青年は、小さく嗚呼と頷いた。そして、すまなかったと呟き終わる前に、その場に倒れた。
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