骸と人形4
「……開けてないよ。そんな危ないことはしない」
戸惑いながら答えると、
「嘘じゃないよな」
「本当だって。……とりあえず確認しようか」
トランクの内側には奇妙な光沢があり、それが鉄板だと遅れて気づく。鉄板をわざわざ貼り付けているのだ。中身の方は緩衝材に包まれていてはっきりとは見えない。
「中身、出してもいい?」
振り返って問うと、玄礼は躊躇うように眉を寄せ、やがて小さく頷いた。
「――慎重に」
「まあなんとかやるよ」
笑顔で請け合い、玄礼が護身用の護符を持って十分に離れたのを確認してから、トランクに向き直る。
そっと緩衝材を除けると、中身が木彫りの人形だと分かった。髭面に手には剣、恐ろしい形相には馴染みがある。
予想外の中身に拍子抜けした。鍾馗人形は縁起物で、今の時期にはよく鬼市の店頭に並ぶ。六人が死んだ原因にはとても見えなかった。
「――鍾馗人形だ、これ。鍾馗って祟るっけ」
言うと、近づいてきた玄礼は夕嵐の肩越しにトランクの中を覗いた。彼は微かに目を見張る。
「なんで、こんなものが」
「内側に貼ってあるの鉄かな。何のためにこんなことしたんだろう」
さあ、と不機嫌な声が返ってきた。
トランクを閉め、掛け金をしっかり掛ける。念のために紐で上から縛り、勝手に開かないようにした。
「どうしようか。まだ招魂続ける? 危ないと思うけど」
振り返ると、玄礼は仏頂面で答えた。
「ここでやめたら金にならないだろ」
そうだけど、と夕嵐は苦笑する。
「絶対ろくでもないことになるよ。私物が無いのも妙だし、さっきの鬼の様子も変だった。わざわざ首突っ込まなくても……」
「――私物が無いのは誰かが持ち去ったからだ」
玄礼は唐突にそう言った。彼は思案するように目を伏せる。
「あの部屋、パイプ椅子が七つあった。だからたぶん、もう一人いたと思う」
「……そうだったっけ」
思い出そうとしたが、椅子の数など気にも留めていなかった。
「一人だけ逃げ出せたってこと? じゃあそいつが通報したのか」
「そうとは限らない。逃げたやつは出てこないから、たぶん管理局に捕まりたくないんだ」
「なんで?」
玄礼は逡巡し、溜息まじりに言った。
「仮の話だから真に受けるなよ。――例えば、その人形が呪詛の道具だとする。もちろん鬼市では取り扱いが禁止されているから、管理局に見つかるわけにいかない。でも商談の最中に何が起きたのかは知らないが、呪詛が自分たちに跳ね返ってきてしまった。生き残った一人は不正取引を隠すために、全員の私物を持ち去って逃げた」
「だったらこのトランクも持ち出そうとするんじゃないか?」
「……死にかけてる中の一人が管理局に通報したから、時間に余裕が無かった。トランクは死体の下敷きになってたし」
「――あ」
言いかけてから慌てて口を閉じたが遅かった。玄礼は眉をひそめて夕嵐を見る。
「何だ?」
「……別に?」
「夕嵐、言え」
追及されれば勝ち目が無い。諦めて答えた。
「いや、あのビルのエレベーター、最初二階にあったんだよ。三階にしか利用客がいなかったはずなのに変だと思ってた」
「あの時そんなこと言わなかっただろ」
「黙ってたのはごめんね。……もしかしたら、逃げた人がトランクを回収する隙を狙って二階に潜んでたかもって――まあ妄想だけど」
玄礼は苛立たしそうに顔をしかめる。
「ありえなくはない。そういうことは気づいた時に言えよ」
「ごめんって」
夕嵐は誤魔化すように笑う。
「どうする? トランクの中身を調べろって言われたけど、俺はやっぱり反対だな。このまま死体もトランクも尾崎さんに返しちゃおうよ」
「そんなことしたら仕事が回ってこなくなるだろ」
真っ当な反論だが、一応食い下がった。
「今回だけだって。仕事で死んだらどうするんだよ。労災なんて下りないぞ」
「でも働かないと生活できない。エアコン買えって言ったのは誰だ」
「……」
玄礼は倒れたカーテンスタンドを引き起こしている。まだ招魂をやる気だと分かり、呆れて溜息をついた。
「あのな、仕事は選びなよ。君はなんでそう、わざわざ危ないことに首突っ込もうとするのかな」
「そんなことしてない」
「そう見えるけど」
「たった三年で何が分かる」
苛立たしそうな声は余裕を無くしている証だ。たった三年の付き合いでも、それくらいのことは分かる。
いっそ強引にやめさせてしまおうかと考え始めた時、ふと玄礼がこちらを睨んだ。
「――何の音だ?」
「え、俺?」
「違う」
玄礼の視線は夕嵐を通り越し、ビルの入り口に向いている。つられてそちらを見た。
ガラスの嵌まったドアの向こうには雨に滲んだ通りが見える。人気は絶え、ネオンの明かりだけが瞬いていた。勢いを増す雨は石畳に跳ね返って白くけぶっている。
夕嵐には音は聞こえなかった。ただ、ひどく厭な気配がした。ビルのすぐ外、何かがこちらの隙を窺っている。
「……なんだろう」
自分で顔が強張るのが分かった。
なぜもっと考えなかったのだろう。玄礼の想定が当たっていたとしたら、トランクを奪い返しに来る者が来てもおかしくない。
「客じゃなさそうだな」
玄礼はそう呟き、夕嵐の背に手を添えた。
「夕嵐、動けるか?」
「いやー、まだ本調子じゃないかも……」
「うだうだ言うな。なるべく傷は作るなよ」
「分かってるけど、あのさ――」
言葉の途中、ドアに嵌まったガラスが一瞬で白く濁った。玄礼は瞠目し、夕嵐は咄嗟に彼の身体を後ろに押しやる。
――瞬間、凄まじい音と共にガラスが砕け散った。
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